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故・山川暁夫さんのこと

  ふと、評論家の山川暁夫さんのことが頭に浮かんだ。
 元共産党の中執(青年・学生担当)だったが、路線の対立で離党している。その後、政治評論家として講演や執筆などで活躍し、人気を博した。
 僕が山川さんの名前を知ったのは月刊誌「現代の眼」(廃刊)への寄稿文だった。

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  彼によると、西暦で末尾が「9」のつく年は、〝歴史的事件〟が起こっていると言うのだ。
――1949年には中華人民共和国の誕生、59年日米安保闘争、69年「東大闘争」と世界的学生運動の高揚、79年イラン革命とソ連のアフガン侵攻、89年ベルリンの壁崩壊(冷戦終結)と天安門事件。
 21世紀に入ると、2009年民主党政権の誕生。……といった具合いだ。

  晩年に佐世保で講演された折、私の行きつけの居酒屋で二人っきりで約3時間ほど話しを聞かせていただいたことがある。
――高野孟氏や田原総一郎氏に対する批評は厳しかった。情報紙『インサイダー』を創刊して、後年、高野氏に引き継ぐのだが、「高野も田原もブルジョア主義に毒されてしまった、情けない奴らだ」。
 「権力から弾圧され続けた共産党は権力に対する警戒心がしっかりしていたが、社会党は権力に甘すぎた」。「君が米国大使館に行くことがあったら、出されたコーヒーなどに手をつけてはいかん。1週間後に不審死するような〝毒〟を盛られることがあるのだ」。

   カツオくん

――話しは一転して、マンガ「サザエさん」一家のことに移った。ポケットから四つ折りにしたハガキ大のセピア色の写真を取り出して曰く。「『サザエさん』一家のモデルはわが家だよ。これが姉のサザエ。弟のカツオは俺さ」。
作者の長谷川町子さんに「国民総白痴化のようなマンガを描いたらダメだよ」苦言を呈したそうだ。山川さんも長谷川さんも福岡の出身だ。驚いたなぁ。

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  話し出したらとまらない。あらゆる情報・知識がキチン整理されて頭の中に収められている思いがした。
 2000年2月、心筋梗塞で帰らぬ人となった。(享年72歳)
 10年後、「山川暁夫=川端治さん没後10年のつどい」が開かれ、高野孟さんや長谷川慶太郎さんら約100人が集まったという。
 同年、「結婚を祝う会」(有田芳生氏?)には、上田耕一郎氏(故人)や吉岡吉典氏(故人)なども参列したらしい。

  山川氏が存命ならば、今の政治を理路整然とメッタギリにされたことだろう。
 さて、今年は末尾が「9」である。どのような歴史的事件が起こるのだろうか?

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『落葉して根に帰る』ーー長谷川忠雄さんの人生に喝采

  最近、有人から『落葉して 根に帰る』(海鳥社)という本を紹介された。西日本新聞(2月7日付)に紹介記事が載っていたという。

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 著者は長谷川忠雄さん(85歳)。なんと、元SSK(現・佐世保重工業)に勤めておられ、私も知っている方だった。
 退職後は、得意の中国語を活かしてボランティア活動などをされている、とは聞いていた。だがこの本を読んで、信じられないほど波乱万丈の人生を歩んでこられたことを知った。
 
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 長谷川さんと知り合うきっかけは「SSK争議」だったが、彼は控えめな人で表面に立つ人ではなかった。
(※ SSKの倒産危機に際し来島ドック(愛媛県)の坪内寿夫氏が社長に就任し、大胆な人員削減を断行して、労使協調を旨とするSSK老愛会(現・佐世保重工労組)は上部団体の支援を受けてストライキを断行し、佐世保地区労や総評傘下の産別組合も支援する大争議となった。)

 本書に寄せる長谷川さんの思いを「はじめに」で見てみる。
――一握りの人たちの「美しい日本を取り戻そう」のかけ声のもと、世の中は暗くて明日の命さえわからない「いつか通った道」へ逆戻りしようとしているように思えてなりません。それは、今の社会が昭和初期の状況に酷似しているからです。
 中国侵略戦争が第二次世界大戦へとつながり、その結果、1945年に敗戦。国家破滅に至りました。

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――「戦闘」を「事件」「事変」に置き換え、糊塗してきた言葉遊びが、今また海外派遣の自衛隊に用いられようとしています。
 「南京事件」。日本軍兵士による放火、略奪、殺人、レイプなどの蛮行の数々。それを報じた新聞記者を、軍部は訳の分からぬ罪で実刑に処しました。その後、日本国内の新聞・雑誌などの発表はすべて大本営の意のままになりました。今また、この暗黒時代に逆戻りしているとしか思えません。
 集団的自衛権や特定秘密保護法などの施行がよい例。誰が好きこのんで地球の裏側まで出かけて戦争に参加するでしょうか。今からそう遠くない1925(大正15)年に突然施行された「治安維持法」の再来ではないでしょうか。

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  (ブラジルの自家の綿花畑で現地の日雇い労働者らと共に。1939年頃)

――1945年8月、私は傀儡国家満州国の北部、中露国境近くの小さな町で日本帝国の崩壊に伴うみじめな敗戦を迎えました。住民を守るべき軍や役所の人たちは我先に逃げ出し、住民は地獄のような戦場の真っただ中に放置されてしまいました。
 一瞬にして最愛の両親や姉たちを失い、私と弟(当時12歳と弟10歳)は異国の地で亡国の民となりました。途方に暮れていたとき、一面識もない中国の貧しい人たちが、仏のような慈悲深さで、暖かい援助の手を差し伸べてくれました。この恩を私は終生忘れることはできません。

――「歴史を軽んずるものは将来を誤る」といわれます。しかし、我が日本は、自分たちの先祖や先輩が犯した南京大虐殺、従軍慰安婦問題、強制連行、強制労働など戦後未解決の問題に対し、民間がやった事件だとかすでに解決済みだという不謹慎な政治家が現れます。自国が犯した罪を潔く認めずして、日本が世界の国から信頼され、名誉ある国として認められることはないと思います。
 私は、地獄のようなあの戦争の時代を知らない後世の人たちが、二度とこの愚かな過ちを繰り返さないことを乞い願い、戦乱の中で尊い命を落としたすべての人や我が一族の霊を慰めるために、辛くも生き延びた一人の人間として、あえてこの拙い一文を記す決心をしました。
 「落葉して 根に帰る」。この言葉の典拠は、中国宋代の『景徳伝記録』巻五。その昔、シルクロードの辺境へ出稼ぎに出た人たちも年老いて最後には自分の故郷に帰り、己一生の蓄えをもって一族の生活の基礎をつくったとのことからきています。(あとがきより)

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松岡肇氏(中国人強制連行・強制労働弁護団団長)の「発刊を祝して」も見ておきたい。
――本書は『一粒の麦 地に落ちて』(2014年発刊)の改訂版です。長谷川さんとの出会いは、中国人強制連行・強制労働事件」の裁判に取り組んだとき、通訳をお願いしたときからです。この裁判に関わった中国人弁護士の康健律師が「幾人もの通訳と接したが、長谷川さんの中国語が一番見事だ」と言われました。
 私はこれまで多くの人の手記や思い出話を読んできましたが、長谷川さんほどの波乱万丈の人生は聞いたことがありません。
 本書(旧書)には書かれていませんが以前聞いたところでは、逃避行の途中で中共軍の戦車隊に所属して、自動車や戦車の修理・整備に従事された。当時の中共軍の規律の厳格さと、残留日本人に対する配慮の深さなど、直接見聞きしたことを率直に述べておられます。

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――長谷川さんは退職後、何度も中国を訪れ、ご両親が最後を迎えられた黒竜江省宝清の地を訪ねて慰霊されています。昔なじみの中国の人たちと旧交を暖めながら慰霊祭を行うなど、日中友好の絆を固めておられます。その努力と思いの深さに圧倒されました。

 最後に、本書の構成です。
 「プロローグ」。「新天地を求めて」。「満州での暮らし」。「収容所から製粉工場へ」。「解放軍での日々」。「帰国、そして慰霊行へ」。「最後に一言」。
 ぜひとも手に取ってご一読ください。

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2018年を振り返る

 今年一年を振り返る。

 「森友・加計問題」――閣僚らの虚ろなはぐらかし答弁、平気でウソをつき、公文書を偽造・破棄する。問題は未解決のまま。

  佐川宜壽国税庁長官
  (佐川宜壽・前国税庁長官)

 「原発問題」――多くの福島原発被災者を無視して再稼働を急ぐ政府と電力会社。貯まる一方の〝核のゴミ〟と未だ見つからぬ最終処分場。延命の原発輸出は完全に崩壊。

  もんじゅ
  (高速増殖炉「もんじゅ」)

 「沖縄問題」――戦場となり多くの命が奪われた地に、支配者然と辺野古の海を土砂で埋める政府。〝幽霊部隊〟同然の海兵隊を「抑止力」と呼ぶ愚。

  辺野古・土砂投入1
  (辺野古の海)

 「新防衛大綱」――中国・北朝鮮の脅威を煽り、「空母」の保有で「専守防衛」を逸脱。米軍需産業が求める兵器導入で膨大な無駄。安保法制施行でさらに深まる日米軍事一体化。

  ヘリ護衛艦「いずも」
  (護衛艦「いずも」)

 「入管法改正」――働き手不足対策としての外国人受け入れ。実習生の実態把握もいい加減で、労働環境や共生社会のあり方が未整備のまま。

 「水道法改正」――人口減と水道管老朽化で「水の危機」。水質悪化や料金高騰の弊害で各国が民営から直営に戻る中、「コンセッション」方式の民営化を強行。

 自動車や鉄鋼、電機をはじめ各業種で横行し放置されてきた不正の数々。

  西川広人・日産社長
  (西川広人・日産社長)

 総じて、日本の民主主義の根幹が大きく揺らぎ深化する一年であった。

 プライベートでは、初孫が生まれ、元気でお茶目な成長ぶりに笑いの絶えない毎日を過ごすことができた一年だった。

 皆さん、どうか爽やかな新年をお迎えください。
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「西郷どん」と勝海舟・田中正造

  NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」が人気だ。坂本龍馬や勝海舟、桂小五郎などおなじみのキャラも登場する。
 今年は「明治維新150年」の節目の年である。

    西郷どん

 西郷どんが明治維新で果たした役割は大きい。だが、彼の「征韓論」には異議ありだ。
福沢諭吉の「脱亜論」もまた然り。
 ここは、朝日新聞の「朝鮮からの視線」が分かり易いので、その要旨をおさらいのつもりで抜粋しておきたい。

――鎖国体制の朝鮮は、日本にしかけられた武力衝突(江華島事件)がきっかけで開国する。(1875年)
 朝鮮の兪吉濵(ユキルチョン)は、「清から干渉されず、欧米とも対等になる方法」を考えて、福沢諭吉の慶応義塾に学ぶ。
 朝鮮は、清との関係を維持するか、日本との関係を強化するかで政権内で対立。福沢との親交もあった開化派の金玉均らは、クーデターを起こすが失敗する。(1884年)
 金らの動きに期待していた福沢は失望し、こんどは「亜細亜東方の悪友を謝絶する」と「脱亜論」を発表。

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     (兪吉濵(ユキルチョン))

――日清戦争に勝利した日本は、朝鮮における清の影響力を排除。さらに日露戦争に勝利すると、大韓帝国の外交権を奪い、植民地にした。(1910年)
 併合の年、兪は日本政府から爵位を授与されるが、拒否。4年後にソウルで死去した。
 ソウル大の李泰鎮名誉教授は問う。「戦後の日本は昭和への反省は口にする。しかし、そのまなざしを明治に向けたことがどれだけあったでしょうか」。

    福沢諭吉
    (福沢諭吉)

――福沢をはじめ当時の知識人、政治家のほとんどは日本を「文明」の側におき、隣国の朝鮮、清を遅れた「野蛮国」とさげすんだ。
 しかし、勝海舟は違った。新政府で参議兼海軍卿(海軍大臣)に就いた勝だが、首相・伊藤博文に意見書を送ってこう述べる。「日本の制度、文物はことごとく支那から伝来した。仇敵のようにみるのでなく、信義をもって交際されたい」。
 日清戦争で日本軍は、抗日の朝鮮農民(東学農民軍)を3万人以上殺害したと言われる。
 この戦争を福沢は「文野(文明と野蛮)明暗の戦……世界の文明の為に戦ふ」と正当化した。
 一方、勝は「自分ばかり正しい、強いと言ふのは、日本のみだ。世界はさう言はぬ」と批判した。「福沢は文明と野蛮を対立的にとらえたのに対し、勝は文明自体がもつ野蛮性、暴力性に目を向けた。そこが大きく違っていた」(歴史学者・松浦玲氏)。

    勝海舟
    (勝海舟)

――1890年代、足尾銅山(栃木県)から出た鉱毒が農地を汚染し、社会問題化した。
 この事件について、勝は97年にこう述べる。
 「旧幕は野蛮で今日は文明ださうだ。……山を掘ることは旧幕時代からやって居た事だが、旧幕時代は手のさきでチヨイチヨイやって居たんだ。……毒は流れやしまい。……今日は文明ださうだ。文明の大仕掛で山を堀りながら、その他の(鉱毒を防ぐ)仕掛けはこれに伴はぬ……元が間違ってるんだ」。

    田中正造
    (田中正造)

 98年、鉱毒問題と闘う田中正造が勝つのもとを訪れる。勝つと田中は、アジアの隣国や鉱毒被害者の側、「野蛮」の側に身をおいて明治の「文明」を批判した。日本がアジアへの勢力拡大と近代化を急ぐなか、二人は「もう一つの近代」を見据えていた。
 田中は晩年の1912年(大正元年)、次の言葉を日記に書きつける。
 「真の文明ハ山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」。
 「文明国日本」はその後も対外戦争を繰り返し、45(昭和20)年8月、焦土となって敗戦の日を迎えた。

 あらためて深く考えさせられた。
 今、安倍政権はことさらに北朝鮮や中国の〝脅威〟を煽り立てて、軍備増強の道をばく進している。その先はどうなるのか?
 政治の世界には勝のような政治家が、国民の側には正造のような人物を必要としている。
 私たち一人一人が冷静に考え議論することが求められている。

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スポーツ界の相次ぐ暴力・不正事件を糺す

 スポーツ界の不祥事が絶えない。――アメフトの悪質タックル、相撲界の暴力事件、日本レスリング協会のパワハラ、日本ボクシング連盟の助成金不正流用や不正判定など相次いでいる。つい最近、日本体操協会でもコーチが女子に暴行を加えて登録抹消処分を受けたが、そのコーチは佐世保出身である。

     アメフトの悪質タックル

 報道では、「スポーツの組織運営では、古い体質が払拭できず、勝利至上主義や厳しい上下関係が続いてきた。勝つためには、時には体罰もやむを得ないという悪弊がいまだに残っていないか。スポーツ界の常識が取り残されているのではないか」と指摘している。

 振り返ってみると、高校の「体罰問題」が続出したのは5年ほど前だ。片山杜秀氏(政治学者)が「体罰 近代日本の遺物」と題して、次のように述べている。(朝日新聞 13.2.19)
――軍隊での暴力的指導はいつからのことか。日清戦争の頃の兵学校は暴力と無縁だった(故・鈴木貫太郎・連合艦隊司令長官談)という。
 転機は日露戦争。超大国ロシアに苦心惨憺のやりくりの末、何とか負けずに済んだ。
 仮想敵国は西洋列強ばかり。しかし、日本は人口も武器弾薬も工業生産力も足りない。結局、期待されたのは精神力だ。戦時に動員されうる国民みなに、日頃から大和魂という名の下駄を履かせる。やる気を示さぬ者には体罰を与える。

     軍事教練
     (軍事教練)

――軍隊教育だけではない。大正末期からは一般学校に広く軍事教練が課された。過激なしごきは太平洋戦争中の国民学校の時代に頂点をきわめた。
 戦後、日本から軍隊は消えた。しかし、暴力的指導の伝統はどうやら残存した。日本人は西洋人に個人の迫力では劣っても、集団でよく統率されれば勝てる。そういう話は暴力的な熱血指導と相性が良い。体格の立派な外国人と張り合うスポーツの世界ではなおさらである。

 現在も、国際競技で日本のサポーターなどは「それ行け!〝大和魂〟だ!」と大声で叫んでいるのを見かける。
 また、自衛隊内でもいじめや人権侵害行為が続発しているが、訴訟の場で国側は「『指導』の範囲内」などと言い訳をしている。自衛隊は旧軍とは別と言うが、先に紹介した「暴力的指導」を引き継いでいると言わざるを得ない。

 スポーツ各界の幹部の交代などでは、こうした暴力行為や不祥事を無くすことはできない。組織外の委員による公正な専門委員会の設置が必要ではないか。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)