反公害運動のルーツ・田中正造没後100年

  きょうは、田中正造没後100年にあたる。
 フェイスブックでは、田中正造没後100年記念事業を進める会の写真をシェアさせていただいたが、あらためて書いておきたい。
 
      田中正造2
        (田中正造)

 私がまだ若い頃、公害の原点とされる足尾銅山・鉱毒事件を民衆の先頭で闘った「田中正造」のことを知り、<真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし>との言葉を胸に、心から尊敬するようになった。

     Ashio_Copper_Mine_circa_1895[1]
       (1895年頃の足尾鉱山)

 栃木県日光市の足尾地区では、江戸時代より銅の採掘が始まり、明治時代に古河鉱業に払下げられ、大鉱脈が発見され新技術を導入して、アジア最大の銅生産地となった。
 しかし、採掘・製錬と同時に排煙・鉱毒ガス・鉱毒水が排出され、渡良瀬川周辺に甚大な被害をもたらした。

 これに怒った農民らが蜂起し田中正造はその中心人物だった。1891年以降、衆院議員だった田中正造は何度も国会で質問して、足尾銅山・鉱毒事件は全国に広がった。
 銅を掘り尽くして閉山したのは73年、しかし製錬操業は80年代まで続いた。

         原田正純先生
          (水俣病研究の権威 原田正純先生)

 きょうの天声人語から少し引用してみる。――銅は国の経済を支える産品で、政府は人を救うより富国強兵を優先した。そのさまは昭和の水俣病、今の原発にも重なってくる。(中略)原発事故のあと正造が総理だったら、困っている人、弱い立場の人を、何をおいても助けるに違いない。▼現実の総理は、早々と収束宣言を出し(民主)、経済のためには再稼働が必要と唱え(自民)、なお15万人にのぼる避難者は忘れられがちだ。事故処理より外国への原発セールスに熱心というのでは、ことの順序が違う。▼(正造の至言には続きがあって)<……今文明は虚偽虚飾なり、私慾なり、露骨的強盗なり>。一世紀が流れて、古びないのがやりきれない。……と結んでいる。

         13.9.4朝日・マンガ - コピー

 死を覚悟で天皇に直訴した田中正造。さて、今の政治家にかかる傑物は見当たらない。山本太郎よ、❛平成の正造❜をめざしてガンバレ!!
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生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)