皇室とハンセン病

  先日、「天皇主義者」について書いた。
 天皇は、自らの務めは鎮魂と慰藉の旅だと解釈され、実際、ハンセン病療養所や水俣病患者への訪問、さらにサイパン、ペリリューの慰問に出かけられている。

     ペリリュー島
     (ペリリュー島で慰霊)

 ところで、先月の毎日新聞の連載「考・皇室~社会を映す」(5月29日付)で、皇室とハンセン病の関係について解説してあった。その要点は次のとおりだ。
――2005年5月、天皇と共にハンセン病療養所「長島愛生園」を訪れた美智子皇后。背景には、歴代皇后とハンセン病の縁があるという。
 古くは奈良時代の光明皇后、明治の昭憲皇太后、そして大正期の貞明皇后はとりわけ熱心だった。

――その背後には国策が透けて見える。政府は30年に「長島愛生園」を開き、翌31年には「癩予防法」を成立させた。
 満洲事変が起きたのは31年。政府は健康な兵士の確保のためハンセン病対策を重視した。天皇を頂点とする男性皇族が軍人になったのに対し、皇后ら女性皇族は慈恵を担った。
 政府は「救らい事業」のけん引役を皇后に求めた。
 「プロパガンダの一つとして、光明皇后の先例にもあるから(貞明)皇后が哀れなるらい患者に大御心をわずらわすということにされたらいい」(次田大三郎・内務省地方局長)というわけだ。

     駿河療養所
     (駿河療養所を慰問)

――戦死者遺族の救済などのため創設された「愛国婦人会」(01年)、39年に設立された「結核予防会」は、いずれも女性皇族を総裁に迎えた。
 「行政の支援が届かない人ほど皇室の慈恵は響きやすかった」(片野真佐子・大阪商大教授)と言う。当時、貧困対策は後回しにされた。それを補ったのが、天皇という権威に裏付けられた皇后の慈恵という構図だった。

     東北新生園
     (東北新生園を慰問)

――自民党改憲草案は天皇を元首と位置付ける。「安倍政権は天皇の権威を強化し、上からの慈恵も復活させたいのではないか」、と遠藤興一・明治学院大名誉教授は話す。
 ハンセン病療養所への隔離政策を違憲とした熊本地裁判決から4年後、厚労省の第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」は、貞明皇后とハンセン病の関わりに触れ「患者は皇室の権威を借りて排除された事実も指摘しなければならない」との報告書を提出した。
 同報告書は、癩予防協会を引き継いだ藤楓協会の役割について「皇族の『仁慈』を全面的に出すことにより、人権意識に目覚め隔離政策に反対する患者を抑え、あくまでも同情される存在であり続けさせることである」と指弾した。

 「母子愛育会」、「結核予防会」、「日本赤十字社」、「東京慈恵会」など、今も女性皇族は公務に就いている。
 しかし、政府は女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」の創設に消極的だ。

     南阿蘇訪問の天皇
     (南阿蘇訪問の天皇・皇后)

 ひたすら社会的に弱い立場の人々に沿い続ける、という単純なものではなかったのか。
 しかしそれでも、福島や熊本などの被災地をひんぱんに訪れては、ひざまづいて被災者の声を聞き慰問される姿に胸をうたれる。
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生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)