日本のPKO派遣25年ーー国際平和協力のあり方を見直そう

  日本が国連PKOとかかわってから25年が経過した。
PKOとは「平和維持活動」の略称であり、約70年ちかくの歴史があるが、その任務や活動は大きく変化してきている。

 そもそも国連は、国際紛争を解決する時の措置を「集団安全保障」と言うのだが、東西冷戦の対立で機能せず、国連憲章にも明記されていない。
※第6章(紛争の平和的解決)と第7章(平和に対する脅威、平和の破壊および侵略行為に関する行動)の間という意味で、〝6.5章〟の措置とも言われる。

     i5112000[1]

  国連加盟国は、任意で要員を派遣し義務で負担金を拠出してきた。基本三原則は①当事者の受け入れ同意②不偏性③自衛および任務の防衛以外の実力不行使、である。
 〝PKOの父〟と言われるピアソン(カナダ)。強制執行を提唱して失敗したブトロス・ガリ。ルワンダ大量虐殺を見殺しにして避難を浴びたアナン(ガーナ)など、歴代事務総長の責任と苦労は大きい。
  この15年間で、派遣要員数は15PKOに延べ2万人から約10万人に増加し、年間予算も12億ドルから75億ドルへと増加している。PKO任務の多様化などにより、要員・装備面での能力不足が大きな課題となっている。
 
     PKO[1]

  さて、日本のPKO派遣は、「国連平和活動協力法」(PKO協力法)が成立(92年6月)してからだ。当時、国会での社会党や共産党による〝牛歩戦術〟で抵抗した光景が印象深い。
自衛隊の任務は「専守防衛」に徹することであり、海外に派遣することは許されないという理由からであった。

  同法の成立後、アンゴラ監視団に監視要員3人を派遣(同年9月)、同時にカンボジア暫定統治機構(UNTAC)に施設部隊約600人を派遣した。
 しかし、翌93年、国連ボランティアの中田さんが死亡(4月)、翌月には文民警察要員の高田さんが死亡するという犠牲を出した。
 以降これまでに、延べ14のPKOに約9000人が派遣され、日本の要員の活動は規律正しく信頼性の高いものとして、国際社会から高い評価を受けてきたという。

     266961_photo[1]

  そもそも、PKOへの自衛隊派遣のきっかけは「湾岸戦争のトラウマ」つまり「カネは出しても人は出さない」と揶揄されたことにあるというのだが、私は違うと思う。
  自民党や政府の中には、〝海外派遣ありき〟の考え方にこだわるものもいた。例えば、中曽根康弘首相はイラン・イラク戦争の頃、ペルシャ湾に護衛艦派遣を検討して、後藤田正晴・官房長官に体を張って抵抗され断念した、というエピソードが残っている。
  当時の状況に関しては、私の尊敬する友人だった故・佐々木芳隆氏(朝日新聞編集委員)
の著作「海を渡る自衛隊」(岩波新書)に詳しい。

     AS20161009000031_comm[1]
     (南スーダンの陸自と稲田朋美・防衛相)

  自衛隊の南スーダン派遣(12年1月)は、国連PKOが住民保護型へと〝戦うPKO〟に変化し、日本のPKO参加5原則が通用しない状況下での困難な任務となった。
  安倍政権は、戦闘状態にあることを記した「日報」にまごついたあげく、「駆けつけ警護」の新任務を与えたものの、「活動に一区切りついた」として今年5月部隊を撤収した。このまま活動を継続して自衛隊員に犠牲者が出たら政権が持たないと判断したのだろう。
  内戦や飢饉など困難の中で国連派遣団(UNMISS)が安定化の努力を続けている最中での撤収は如何なものだったろう。
 
    20150905-00049209-roupeiro-000-4-view[1]

  この25年間のPKO問題の根本は、何をやりたいのかが見定まっていないことにある。
憲法の定める「国際協調主義」とは何か、国際平和協力の在り方についてはじめから自衛隊派遣ありきではなく、もっと日本の特性を生かせる分野は何かを根本的に検討し直すことだ。
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生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)