井沢八郎「あゝ上野駅」と工藤夕貴

 井沢八郎――懐かしい名前だ。BS11の「あのスターにもう一度遭いたい」で登場した。(2016年12月20日)
 娘が語る井沢八郎の想い出。娘とはいうまでもなく女優・歌手の工藤夕貴だ。着物姿で出演し、涙を浮かべながら愛情をこめて〝パパ〟のことを初告白した。

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――父は舞台に立つとまるで別人。あの素晴らしい歌声は演歌でないような、ソウルミュージックに近い。とても不器用な人で、父親らしいこともなく親子の会話もあまりなかった。
 工藤夕貴は、国内だけでなくハリウッドを中心に国際的にも活躍し、ブルーリボン賞などを受賞している。
 番組の最後は、父の数ある曲のなかで一番好きだという「北海の満月」を熱唱した。

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 井沢の略歴。――本名・工藤金一。中学卒業後、歌手を目指して上京。作曲家・大沢浄二と出会って「男船」でデビュー。第二弾の「あゝ上野駅」が大ヒットし代表曲となった。
 やがて結婚し一女一男をもうけたが、相次ぐスキャンダルで離婚。05年頃、食道がんが見つかり手術を受けるが、07年、上野の永寿総合病院で死去。享年69歳。亡くなった1月17日は、奇しくも娘・工藤夕貴の誕生日だった。

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 敢えて今頃井沢八郎のことを書いたのは、「あゝ上野駅」への思いがある。戦後日本の世相を反映する名曲だ。東北地方からの集団就職列車は「上野駅」で「金の卵」と呼ばれた若者たちが降り立った。
 彼(彼女)らの涙ぐましい労働こそ日本の高度成長をもたらしたと言っていい。「あゝ上野駅」は団塊の世代を中心に「心の応援歌」として多くの人々に勇気と感動を与えたのだった。(若い労働力を都会に吸収されて、地方の疲弊・衰退は拍車がかかった。交付金で地方に危険を押し付けて、その電力で豊かな生活を享受する都会の構図と似ている。)
 03年には上野駅前に「あゝ上野駅」の歌碑が完成し、13年には13番ホームの発車ベルに採用された。

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 もう一つの理由は、私の亡父が「これこそ本物の歌手だ」と井沢八郎を高く評価していたことだ。とくに、清酒・白雪のCMソング「白雪の唄」を、「酒が倍うまくなる」と気に入っていた。
 井沢八郎の歌を聞くと亡父のことが偲ばれる。 昔は遠くなりにけり。
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生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)