石橋湛山が岸信介首相に宛てた「私信」

 石橋湛山の岸信介宛て「私信」が見つかった(2015年8月19日)との記事が興味深い。サンデー毎日(2016年10月30日発行)に掲載された、その内容を抜粋しておきたい。
 石橋湛山といえば、戦後日本の米国支配に抗い、自主独立を模索した自民党良識派の源流と言われる元首相である。

       石橋湛山

 石橋氏が首相指名を受けて自ら組閣した56年末のこと、「ある一人の人」が石橋氏の提出した閣僚名簿をみて、「この名簿に対して只一つ尋ねたいことがある、それはどうして岸を外務大臣にしたかということである。彼は先般の戦争に於て責任がある。その重大さは東條(英機)以上であると自分は思う」と語った、という。

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 石橋氏は恐縮し「百方辞を盡して諒解を」求めたところ、「かの一人の人」はそれ以上の追求はしなかったという。
 石橋氏は、岸氏宛ての私信の中で、この話を明らかにした上で、石橋氏が首相就任後にすぐに病気に倒れ岸氏がその後継首相となったことにも触れ、「かの一人の人は何と考えられたかとひそかに申訳なく思っている。そこに今度の條約(安保改定)問題である。(中略)かの人をして重ねて心配をさせることのないようにと願うのである」として、新条約締結を延期するよう求めた。
 この記事の筆者・倉重篤郎氏(毎日新聞専門編集委員)は、「かの一人の人とは、文脈からして昭和天皇以外には想定されにくい。昭和天皇だとすれば、閣僚人事に自らの意見を述べたということを、憲法との整合性はどうなるか」、疑問は尽きない。
 私信を発見したのは、増田弘・立正大特任教授で湛山研究の第一人者だ。

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 この「私信」を椎名悦三郎官房長官に手渡したのは、当時石橋氏の秘書であった中島昌彦氏である。
 「かの一人の人」について、岸信介研究の第一人者である原彬久氏や「昭和天皇実録」を連載中の保阪正康氏は、「昭和天皇以外に考えられない」と語っている。
 石橋氏の孫で石橋湛山記念財団代表理事の石橋省三氏は祖父をこう語っている。「総理を辞めてから1年間は静養し、書斎にこもることも多かった。三木武夫さん、宇都宮徳馬さん、石田博英さん、池田勇人さんとか、時々相談に来る人もいました」。

 56年ぶりに日の目を見たこの私信。なぜ石橋氏は、天皇発言を引用する諌言を行ったのか。「東條以上の戦争責任者」という言葉の意味するものは何なのか。次号で私信の背景に切り込む、とのことだ。
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生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)