「遠藤三郎賞」~陸軍中将が戦後「護憲運動」の先駆へ

 朝日新聞の連載記事『新聞と9条』(長沼裁判編)の7/12付に、遠藤三郎の名前が出てきた。
 (※「長沼裁判」とは、1969年、空自の「ナイキ地対空ミサイル基地」建設のため、国有保安林の指定を解除。これに対し反対住民が「自衛隊は違憲、保安林解除は違法」として起こした行政訴訟)
 遠藤三郎の名は、平和フォーラム(旧護憲連合)の全国集会で「遠藤三郎賞」として出てくる。各地で長年、護憲・平和運動に尽力してきた人・団体に贈られる。

    NikeHercules[1]
    (ナイキミサイル)

 同記事から抜粋してみる。――7/12付の書き出しは、「長沼裁判の第18回口頭弁論は、元陸軍中将で戦後は平和運動に進んだ遠藤三郎への尋問が続いた」。
(護憲運動を始めた時期は)「朝鮮戦争がぼっ発いたしまして、日本に再軍備の気配が起ったときから、この憲法を守ることをやらなければならんと考えました」。

 (国会の自衛隊法審議で反対論を述べたのは)「基本法である憲法を、もっとも責任のある国の指導者連中がごまかすようでは、国民に遵法の精神がなくなるんじゃないかと、そんなことをやったら日本は法治国としての資格がなくなる。だから……反対しました」。

 (軍備による国防は危険であり有害なものだというお考えは戦後、お持ちになったのか)
「大正の末期、旧軍首脳は仮想敵国を米国、ソ連、中国としたが、作戦計画を作ると、大幅に兵力は不足した。そんな折ジュネーブ海軍軍縮会議で、軍縮の重要性を認識した。だが当時は、日本一国の軍備撤廃は危険だと思っていた」。

     EndoSaburo[1]
     (陸軍中将・遠藤三郎)

 「戦争の残虐性をいやというほど体験して、……負けたのはくやしかったんですよ。しかし、念願しておった、世界に先がけて軍備撤廃する。これでこそ日本の将来は洋々たるものだということに気がつきまして」。
 「地理的にも、非常に日本は軍備をもって防衛しにくい国であります。細長いですし、奥ゆきがないんですから。」

    img166.jpg
    (朝日新聞 7/12付)

 「この憲法を守るのは本当にわれわれ国民だけじゃない。総理大臣が一番先に守らなければならない」。そう語って証言を終えた。
 当時から約半世紀近く、自衛隊に対する国民の認知度は90%ほどに高まったが、総理を始め閣僚・政治家らの憲法遵守義務は〝紙よりも軽く〟なった。
 秋の臨時国会を皮切りに「憲法審査会」の動向から目が離せない。
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生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)