「地下鉄サリン事件」と政治家・野中広務

  昨夜のTV「テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース」を見ていて、思い出した。
あの「地下鉄サリン事件」から21年も経ったのだ(3月20日)。

  1995年は多難な年だった。1月17日に阪神・淡路大震災。3月20日には地下鉄サリン事件が起こる。前年6月に発足した自社さ連立による村山内閣は、その対応の遅さなど不首尾を厳しく批判された。

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  当時、自治相兼国家公安委員長として対応にあたった野中広務氏は、毎年1月17日と3月20日には、現場に足を運んで花をたむけ手を合わせるのだという。
  朝日新聞政治部の円満亮太記者がその理由を聞きに京都を訪ねたという(同紙4月10日付)。野中氏の回想といまの心境を引用してみる。

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――一線を退いても事件を忘れていない政治家がいることが被害者の慰めになればと思ったこと。一連のオウム真理教の事件では県警の連携がうまくいっていなかったという反省があったこと。そして、後の世代が忘れないようにと考えたこと。
  「傷ついた人、苦しんでいる人の気持ちを忘れるものではない。そのことが本当に平和な日本を築く基礎になると若い政治家には知って欲しいね」。

  政治家・野中広務は、〝影の総理〟とまで言われた権力者の顔。苦しみや痛みを抱えた者への配慮を忘れぬ優しき顔。そして軍隊経験に根ざしたハト派としての顔。
  私がとくに印象に残っているのは、第一の子分と言われた鈴木宗男氏が国会証人喚問された際、「疑惑の総合商社だ!」と厳しく追及した辻元清美議員を野中氏は「断じて許さん!」と凄みをきかせて、秘書給与疑惑で議員辞職に追い込んだのだった。

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  野中氏が政界引退して13年、現在の政治はどう映るのか。
――安倍さんは良くやっておられる。閣内をしっかりまとめて難関を突破していく。1次政権と比べると、命がけの気持ちが伝わってくる。
  だけど、「なぜ安倍さんは集団的自衛権の行使容認に踏み切ってしまったのか」。
「憲法9条だけは変えてはいけない。血塗られた日の丸を見るのは私たちの時代だけで結構だ」。

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  憲法9条を守れるかどうか、今夏の参院選の帰趨にかかっている。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)