「エンプラ闘争」を振り返る

  先月29日、長崎新聞に私のインタビュー記事が全紙大で載った。
 戦後70年の企画で「あの頃を語る」として、米原子力空母「エンタープライズ」寄港反対闘争を振り返って語るものだった。
右側の紙面には、「長崎県の歩み」その②(1955年~69年・高度経済成長期)として相次ぐ炭鉱閉山や食品公害の問題化などが記載されている。

     エンプラ闘争
     (長崎新聞2015年11月29日付)

 空母「エンプラ」が佐世保に寄港したのはベトナム戦争のさなかの1968年だから、約半世紀前の大事件・闘争であった。当時の闘いの中心にいた労組幹部の殆どは他界されて、あの壮絶な闘いを経験し語れる人物は佐世保で何人もいない。
取材にきたK記者はまだこの世に生まれてもいない時代の出来事である。

 私は、たまたま佐賀大学の学生自治会の農学部委員長として、初めての街頭闘争を経験することになったのだった。
振り返ると、ヘルメットと角材で武装した過激な「三派全学連」と機動隊との〝流血の死闘〟が脚光を浴びたが、佐賀大自治会約300人の部隊は素手で機動隊に立ち向かった。
当時、地元の地区労や社会党は現地闘争本部をつくり、総評や社会党中央に働きかけて全国闘争を展開したのだった。

     図1・佐世保橋の攻防2
     (佐世保橋での激闘)

 最後には、素手の市民たちが機動隊に対峙して鉄条網などのバリケードを解除させたのである。後にも先にも佐世保でこれほどの闘い・騒乱はなかった。この「エンプラ闘争」は、安保や基地、核問題の問いを市民に突き付けたものであった。
この闘いがきっかけとなって、「19日佐世保市民の会」という反核平和を訴え続ける市民団体が誕生した。

     空母エンタープライズ退役2
     (退役した空母「エンタープライズ」)

 佐賀大学では、この「エンプラ闘争」に先立って講堂撤去と学寮費(電気・水道)値上げに反対するストライキ闘争が始まっていた。
私の人生の大きな転機となった二つの闘いとなった。

      67.6.27全学ストを決議した総決起集会 - コピー
      (全学ストライキを決議した総決起集会 1967年6月)

 沖縄が本土復帰するのは「エンプラ闘争」の4年後(1972年)のことであるが、いま沖縄は辺野古新基地建設を巡って、翁長知事を先頭に国と全面対決の闘いに立ち上がっている。
安倍政権は、憲法を蔑ろにし沖縄に犠牲を強いて、米国と共に海外で戦争できる国へと大きく舵を切ろうとしている。戦争と平和、いずれの道を選ぶのか私たち一人ひとりの意思が問われている。
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生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)