佐世保地区労に入ってから47年

 6月1日は、私が佐世保地区労に書記として入局して47年である。
 この年(1968年)は、1月に米原子力空母「エンタープライズ」が初入港し(1/19)、全国の労働組合や市民、学生が結集して大闘争を繰り広げたのだった。

    図1・佐世保橋の攻防2
    (空母エンプラ闘争、佐世保橋での攻防戦)
    19日市民の会
    (この闘いの後、結成され現在も活動を続け
     ている「19日市民の会」)

 初出勤日は、米原潜の佐世保入港に抗議する県庁前集会に参加することだった。前月7日に入港中の原潜から放射線漏れ事故が起こっていた。
 また6月3日には、米軍のF4ファントム偵察機が九大の大型電算センターに墜落する事故が起きた。これがきっかけとなって、翌年から6月1日に九州各県の青年労働者が福岡に結集して集会・デモを行う「6.1闘争」というのが始まった。

    九大電算センターに墜落したF4ファントム偵察機
    (九大に墜落した米軍F4ファントム偵察機)

 もう一つは、原子力船「むつ」の佐世保入港阻止・廃船を求める全国規模の闘いだった。青森県沖合で試験航海中に放射線漏れ事故を起こし、故・辻一三佐世保市長が修理受け入れを表明したが、背景には政府による「SSK救済」があった。また、長崎県は、新幹線誘致に係る「むつ念書」を政府と交わしたとされる。とくに、50隻もの船外機付きボートで海上阻止行動を展開した。結局、93年3月、廃船となった。

    地区労運動史

 一方、炭鉱じん肺訴訟の先がけとなった「長崎北松じん肺訴訟」(79年)では、地区労が中心となって支援団体を立ち上げ、15年に及ぶ闘いの末に勝訴した。(95年9月)

    じん肺訴訟支援する会結成

 この他、中小労組の闘争支援、選挙闘争、原水禁運動と被爆者支援、SSK反合理化闘争の支援など、実に多様な闘いと運動を繰り広げてきた。

    デモ行進と小島局長
    (写真の先頭左端が故・小島亨事務局長)

 全国的にも知名の佐世保地区労で32年間も仕事させて頂いたのは、私の人生にとってまさに〝宝物〟である。事務局長を辞任するきっかけは衆院選出馬であったが、思いもよらない「比例区当選」となり(00年)、3年間の充実した国政を経験させていただいた。

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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)