天皇・皇后両陛下のパラオ訪問に想う

 天皇・皇后両陛下が4月8日、パラオ(ベラウ共和国)を訪問された。
目的は、ペリリュー島での熾烈な戦いなどで亡くなった日本軍兵士はもとより、すべての戦没者への慰霊とされる。
 両陛下は戦後60年にサイパンへ慰霊の訪問をされており、かねてよりパラオ訪問を希望されていたという。

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 私がパラオに行ったのは93年1月、原水禁九州ブロック調査団の事務長としてだった。九ブロ原水禁はすでに10数回にわたってパラオを訪れて、非核・独立をめざす住民組織『キッタレン』との交流を深めてきた。

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   (『キッタレン』の皆さんと)

 ミクロネシア(小さな島々の意味)の西端にあるパラオ。約200の島々からなり、人口約1万5千人、いまなお母系社会を残す美しい国である。
米国は、ミクロネシア諸島と「自由連合協定」を結んだ。しかし、パラオは米国の強大な圧力にも拘わらず、80年に「非核憲法」を制定した。
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   (調査団と会談するクニオ・ナカムラ大統領)

 ところで、私たち調査団ときさくに応じてくれた日系二世のクニオ・ナカムラ大統領は、「米国との協調は大切だが、わが国に軍隊はなく比較平和こそ尊い」と語っていた。『キッタレン』との交流はトタン屋根の小屋で行われ、相手はすべておばさんたち、夫たちはビール片手に周りから眺めているのだ。

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   (船でペリリュー島に向かう調査団)

 日本は当時、パラオに「南洋庁」を置いてミクロネシア一帯を支配下においたのだった。旧日本軍が神社まで作らせてパラオの人々に拝礼を強要した。名前も言葉も日本人同様に変えさせた。日本人は約5万人が移り住んだ。
激戦地となったペリリュー島に行き、旧日本軍の錆びついた戦車や高射砲、塹壕などを視察した。戦死者は日本兵約1万人、米兵約2千人であった。

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   (旧日本軍の戦車)

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     (慰霊碑)

 帰国後、私たちは、「大国の援助に頼らず、経済的に自立することが大切」という『キッタレン』の皆さんの切望を受け止め、国おこし〈自給自足〉政策を進める大統領との約束どおり、大量の農機具(クワ、カマ、砥石)を贈った。

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 私は、読売新聞に帰国報告を寄稿したが、最後に「頑固なまでに非核憲法を守り抜くベラウと対照的に『国際貢献』を理由に平和憲法の変質を探る日本」と書いた。
私の懸念は、22年後の今日、安倍政権の下で実現しそうな雲行きである。

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生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)