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製鉄の起源に新たな説

 「製鉄」――人間の歴史を変えた「最大の発明」と言われる。日本の調査団が製鉄関連の最古級の遺物を発見したという。以下、朝日新聞(3/25付)より抜粋してみる。

 見つかったのは、酸化鉄を多く含む分銅形をした直径約3㌢の塊。トルコのカマン・カレホユック遺跡で「中近東文化センターアナトリア考古学研究所」(大村幸弘所長)が、2017年9月、紀元前2250~同2500年の地層から発見した。

  カマン・カレホユック遺跡の地層
  (朝日新聞 2019.3.25付)

 遺跡は、「鉄と軽戦車」を武器に古代オリエント世界で栄えたヒッタイト帝国(紀元前1200~同1400年)の中心部に位置する。
 帝国は先住民が発明した「最新技術」の製鉄を独占して軍事的優勢を得たとされる。
 だが、帝国が滅ぶと製鉄技術は周辺各国に急速に普及。鉄器時代へと向かう転換点になった。
 製鉄はアナトリア地方で生まれたというのが通説だが、塊を分析したところ、地元産ではないという結果が出たため、他の地域から持ち込まれた可能性があるとみている。

  カマン・カレホユック遺跡
   (朝日新聞 2019.3.25付)

 初期の鉄製品には宇宙起源の鉄隕石を加工したものもある。そこで、探査機「はやぶさ」が2010年に小惑星「イトカワ」から持ち帰った微粒子を最先端技術で分析したところ、鉄隕石とは組成が異なっていた。
 人為的な加熱をした際に特徴的に現れる同心円状の組成分布がみられ、この塊は人間が火を使って鉄鉱石から作り出したものと確認された。

 さらに、この塊は地元で広範囲に産出される鉄鉱石とは異なることが判明。松井孝典・東大名誉教授(比較惑星学)は「塊は鉄鉱石から中間段階まで加工した『半製品』で、誰かが遠方から持ち込んだのではないか」とみている。
 これらの地層から出た建築物は、この地区の建築とは異なる様式だった。大村所長は「そこにあった古代都市が大規模に破壊され、焼け跡の上に北方から来た異文化集団が移り住んだことを示す」と説明する。

 メソポタミア考古学教育研究所の小泉龍人代表は、「鉄鉱石の原産地の特定と、アナトリアで製鉄がどう普及・発展したかの解明が今後の課題となる」。「この時期に前後して、アナトリアの東方に展開していた『トランスコーカサス系の文化』が衰退している。こういった動向と何らかの関連があった可能性もあるが、さらに慎重に調査する必要がある」と話している。

  宗像教授異考録

 いずれにしても、カマン・カレホユック遺跡での調査は1986年から続いており、関係者の熱意・執念に敬服するばかりだ。
 私は、こうした宇宙や人類の起源や歴史に大いに興味を抱いてきた。漫画で恐縮だが、かなり以前に星野宣之の『宗像教授異考録』シリーズをむさぼり読んだことを思い出す。宗像教授の専門は「鉄」なのだ。
 「火と鉄」が日本各地にどう広がっていったかを描いていて、とても興味深いものがあった。


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『落葉して根に帰る』ーー長谷川忠雄さんの人生に喝采

  最近、有人から『落葉して 根に帰る』(海鳥社)という本を紹介された。西日本新聞(2月7日付)に紹介記事が載っていたという。

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 著者は長谷川忠雄さん(85歳)。なんと、元SSK(現・佐世保重工業)に勤めておられ、私も知っている方だった。
 退職後は、得意の中国語を活かしてボランティア活動などをされている、とは聞いていた。だがこの本を読んで、信じられないほど波乱万丈の人生を歩んでこられたことを知った。
 
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 長谷川さんと知り合うきっかけは「SSK争議」だったが、彼は控えめな人で表面に立つ人ではなかった。
(※ SSKの倒産危機に際し来島ドック(愛媛県)の坪内寿夫氏が社長に就任し、大胆な人員削減を断行して、労使協調を旨とするSSK老愛会(現・佐世保重工労組)は上部団体の支援を受けてストライキを断行し、佐世保地区労や総評傘下の産別組合も支援する大争議となった。)

 本書に寄せる長谷川さんの思いを「はじめに」で見てみる。
――一握りの人たちの「美しい日本を取り戻そう」のかけ声のもと、世の中は暗くて明日の命さえわからない「いつか通った道」へ逆戻りしようとしているように思えてなりません。それは、今の社会が昭和初期の状況に酷似しているからです。
 中国侵略戦争が第二次世界大戦へとつながり、その結果、1945年に敗戦。国家破滅に至りました。

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――「戦闘」を「事件」「事変」に置き換え、糊塗してきた言葉遊びが、今また海外派遣の自衛隊に用いられようとしています。
 「南京事件」。日本軍兵士による放火、略奪、殺人、レイプなどの蛮行の数々。それを報じた新聞記者を、軍部は訳の分からぬ罪で実刑に処しました。その後、日本国内の新聞・雑誌などの発表はすべて大本営の意のままになりました。今また、この暗黒時代に逆戻りしているとしか思えません。
 集団的自衛権や特定秘密保護法などの施行がよい例。誰が好きこのんで地球の裏側まで出かけて戦争に参加するでしょうか。今からそう遠くない1925(大正15)年に突然施行された「治安維持法」の再来ではないでしょうか。

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  (ブラジルの自家の綿花畑で現地の日雇い労働者らと共に。1939年頃)

――1945年8月、私は傀儡国家満州国の北部、中露国境近くの小さな町で日本帝国の崩壊に伴うみじめな敗戦を迎えました。住民を守るべき軍や役所の人たちは我先に逃げ出し、住民は地獄のような戦場の真っただ中に放置されてしまいました。
 一瞬にして最愛の両親や姉たちを失い、私と弟(当時12歳と弟10歳)は異国の地で亡国の民となりました。途方に暮れていたとき、一面識もない中国の貧しい人たちが、仏のような慈悲深さで、暖かい援助の手を差し伸べてくれました。この恩を私は終生忘れることはできません。

――「歴史を軽んずるものは将来を誤る」といわれます。しかし、我が日本は、自分たちの先祖や先輩が犯した南京大虐殺、従軍慰安婦問題、強制連行、強制労働など戦後未解決の問題に対し、民間がやった事件だとかすでに解決済みだという不謹慎な政治家が現れます。自国が犯した罪を潔く認めずして、日本が世界の国から信頼され、名誉ある国として認められることはないと思います。
 私は、地獄のようなあの戦争の時代を知らない後世の人たちが、二度とこの愚かな過ちを繰り返さないことを乞い願い、戦乱の中で尊い命を落としたすべての人や我が一族の霊を慰めるために、辛くも生き延びた一人の人間として、あえてこの拙い一文を記す決心をしました。
 「落葉して 根に帰る」。この言葉の典拠は、中国宋代の『景徳伝記録』巻五。その昔、シルクロードの辺境へ出稼ぎに出た人たちも年老いて最後には自分の故郷に帰り、己一生の蓄えをもって一族の生活の基礎をつくったとのことからきています。(あとがきより)

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松岡肇氏(中国人強制連行・強制労働弁護団団長)の「発刊を祝して」も見ておきたい。
――本書は『一粒の麦 地に落ちて』(2014年発刊)の改訂版です。長谷川さんとの出会いは、中国人強制連行・強制労働事件」の裁判に取り組んだとき、通訳をお願いしたときからです。この裁判に関わった中国人弁護士の康健律師が「幾人もの通訳と接したが、長谷川さんの中国語が一番見事だ」と言われました。
 私はこれまで多くの人の手記や思い出話を読んできましたが、長谷川さんほどの波乱万丈の人生は聞いたことがありません。
 本書(旧書)には書かれていませんが以前聞いたところでは、逃避行の途中で中共軍の戦車隊に所属して、自動車や戦車の修理・整備に従事された。当時の中共軍の規律の厳格さと、残留日本人に対する配慮の深さなど、直接見聞きしたことを率直に述べておられます。

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――長谷川さんは退職後、何度も中国を訪れ、ご両親が最後を迎えられた黒竜江省宝清の地を訪ねて慰霊されています。昔なじみの中国の人たちと旧交を暖めながら慰霊祭を行うなど、日中友好の絆を固めておられます。その努力と思いの深さに圧倒されました。

 最後に、本書の構成です。
 「プロローグ」。「新天地を求めて」。「満州での暮らし」。「収容所から製粉工場へ」。「解放軍での日々」。「帰国、そして慰霊行へ」。「最後に一言」。
 ぜひとも手に取ってご一読ください。

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魅力あふれる二人の女優の死を悼む

  豊かな演技力で高い人気を誇った二人の女優が相次いで亡くなった。
  樹木希林さんが昨年9月15日、75歳。2005年に乳がんの手術を受け、全身にがんがあると公表していた。
 60~70年代は主にTVの「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの高視聴率のドラマで、風変りな人物を演じた。
 80年代には、NHKドラマ「夢千代日記」で吉永小百合さんの芸者仲間を演じた。

  樹木希林

  2000年代以降は主に映画に出演。「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(07年)、「わが母の記」(12年)で日本アカデミー最優秀女優賞を、「悪人」(10年)でも日本アカデミー最優秀助演女優賞を受賞した。
 さらに、ハンセン病の元患者役で主演した「あん」(12年)と年金を当てにされる老人を演じた「万引き家族」(18年)はカンヌ国際映画祭に参加して、「万引き家族」が最高賞のパルムドールを受賞して、その演技は国際的にも評価された。

  万引き家族
  (万引き家族)

  私が印象に残っているのは、富士フイルムのCM出演でコミカルな姿だ。とくに、1980年の岸本加世子との掛け合いが傑作だった。「美しい人はより美しく。そうでない人はそれなりに」。

  岸本加世子と

  一方、市原悦子さんは、コミカルな今年1月12日に死去、82歳。2016年に自己免疫性脊髄炎を患い、昨年12月に盲腸になり心不全で死去。
  何といっても「まんが日本昔ばなし」(1975~94年、TBS系)で常田富士夫さんとの語りだろう。ユニークな語り口で独自の世界観を打ち出した。
代表作は、1983年から2008年までTV朝日系で放送された「家政婦は見た!」シリーズだ。
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  常田富士夫
  (常田富士夫)

  90年には映画「黒い雨」で日本アカデミー最優秀助演女優賞を受賞。2016年のヒット作アニメ映画「君の名は。」ではヒロインの祖母を演じた。
 空襲や疎開を経験。「不自由だった戦争中の小学生時代が今の自分をつくった」と語り、戦争童話の朗読などにも積極的だった。
  俳優座の養成所で同期だったジェームス三木さんは「ゆっくりと感情が伝わるようにセリフが話せる俳優さんだった」と話した。
 また、舞台「ハムレット」で共演した仲代達矢さんは「市原さんは声の質をもってものを言う才能を持っていた。天性の、俳優になるべき俳優でした」と語っている。
(※以上、朝日新聞の記事から引用した)

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  私の三人の子どもたちは、「まんが日本昔ばなし」を観て育ったようなものだ。当時、約300話ほどをVHSテープに録画して、見せていた。風邪で熱が出た時は、TVの前に布団を敷いて見せると、必ず機嫌が良くなったものだった。(時代は移りデジタルDVDになる前に放送は終わり、若い母親たちから希望が殺到したが再放送はなかった。すでにDVD版がかなり高価で販売されている)。
  実に寂しい。あらためて心よりご冥福をお祈りいたします。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)