チェルノブイリ原発事故30年に思う

  今月26日は「チェルノブイリ原発事故」から30年であった。

    チェルノブイリ原発
    (爆発したチェルノブイリ原発4号炉)

  あの日の出来事は今でも鮮明に覚えている。TV数局で特集報道があった。
事故のあった4号炉には、核燃料と建屋の建材などが高温で混じり合った危険物質(デブリ)が手つかずのまま残されている。この事故に関わったロシアの専門家は「デブリを取り出すのは困難で、非現実的だ」と語った。

    デブリ
    (4号炉内のデブリ)

  朝日新聞(4/27付)では、元地元記者のインタビュー記事が載っていた。
記者のコワレスカヤさん(63歳)は、事故の1か月前、旧ソ連の原子力村にあったノルマありきで質を無視する無責任体質を告発し、「欠陥のツケを払うには数十年もかかる」と指摘、旧ソ連では異例の記事だった。

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     (コワレスカヤさん)

  5年前に起こった「福島第一原発事故」について彼女は、「チェルノブイリから誰も学んでいない。学者は理論をよくわかっているけど、30年前も今も、燃えている原子炉をすぐ鎮める方法を知らない」と、原子力村への怒りは消えない。
  チェルノブイリ原発4号炉は、「石棺」で封じ込められているが老朽化が酷く、新たな建造物で石棺全体を覆う予定だ。

     志賀原発と活断層
     (志賀原発と活断層)

  ところで、原子力規制委員会は志賀原発1号機の原子炉建屋直下の断層について、「活断層と解釈するのが合理的」との有識者会合の報告を受理した。
  北陸電力は「事実誤認がある」などと否定しており、審査の場で争う考えだ。また、規制委は、敷地内のボーリング調査や周辺断層の調査など追加データの提出を北陸電力に求めた。

    岸本玄海町長
    (岸本英雄・玄海町長)

  一方、玄海原発の立地自治体である玄海町(佐賀県)の岸本英雄町長は、「核のゴミ最終処分場」受け入れに前向きの姿勢を示したという。国が同処分場を「沿岸部の海底の地下に造る」とする計画に賛意を示したとのことらしい。
  国はすでに、候補地を「公募」方式から「協力要請」方式に切り替えて、候補地の全国マップを作成するという。
 「文献調査」に応じると年10億円、「ボーリング調査」などは年20億円が当該自治体に交付される仕組みだ。この他にも国民の目の届かない所で相当の〝カネが動く〟ことが疑われる。

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    (チェルノブイリ原発の避難区域内に住む老婆)

  いずれにしても、国内の使用済み核燃料は約1万8000トン、高レベル放射性廃棄物はガラス固化体換算で2万5000本相当もある。
  これらの処分方法や処分地も決まらず、避難訓練も不充分なまま、電力各社や政府が活断層など無視して、「原発再稼働」や「原発輸出」に血道をあげるのは〝正気の沙汰〟とは思えない。
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夏の参院選を占う二つの衆院補選の結果に思う

  夏の参院選の行方を占う二つの衆院補選――昨日(4/24)の即日投開票で、衆院北海道5区では和田義明氏(自民)が競り勝ち、衆院京都3区では泉健太氏(民進)がトリプルスコアで圧勝した。

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  とくに注目を集めたのは北海道5区だった。自民にとっては町村信孝・前衆院議長の  〝弔い合戦〟であり、公明が全面支援した。加えて、北海道で存在感を示す新党大地の鈴木宗男代表が極端に共産を嫌い、結局自民の支援に回った。

  野党側は、池田真紀氏(無所属)を民進・共産・社民・生活の党が「統一候補」として支援した。さらに、学生団体「SEALDs」らの「市民連合」は告示後に現地入りし、地元の若者らの団体「ユニキタ」と連携して池田氏を支援した。

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  結果は、約1万2千票差で与党が勝った。しかし、その評価については、与・野党とも「野党共闘」の善戦振りで共通していた。
 「無党派層」の行方が注目されたが、世論調査では「池田優勢」であり、自民を心胆寒からしめるに充分であった。
  与党は、和田氏支援のため自・公の幹部・閣僚ら約200人、地方議員約2千人を投入する力の入れよう。千歳・恵庭など各地のの自衛隊票で辛うじて勝った状態だ。

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    (朝日新聞 4月25日付)

  野党4党も、それぞれ「野党共闘」に大いに手応えを感じた戦いではなかったろうか。「野党統一候補」を絞り込むまでに曲折があったものの、参院選で改選議席の過半数へ向けて大いに自信を深めたように思う。
  とくに、「初めてのデートにしては、うまくいったと思う」(小池晃・書記局長)という共産党の存在感が増してきた。

  要は、民進党内で「共産と組めば保守が逃げて、負ける」との声が支障となって、「野党共闘」が後退しないか否かである。
  ここは一つ、「ストップ!安倍政治」に向けて大局的判断を強く求めたい。

人形展~与勇輝&石井美千子

  ふとしたことから人形制作家の「与勇輝」を知った。ほのぼのとした昔の懐かしい光景に魅入られた。

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  生まれは1937年9月(79歳)、川崎市である。マネキン会社に勤務後、人形作りの道に入り布地にこだわって「木綿」を使う。
 国内での個展はもとより海外でも個展を開いて、その知名度は抜群のようだ。

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  以前、ブログでも紹介した「石井美千子」の人形を思い出した。1953年生まれ(63歳)で、福井市である。デザイン会社に勤務後、人形作りに入り込む。技法は「桐塑」というがよく分からない。

     石井美千子 - コピー

  彼女の作品に出合ったのは、今から16年前、横浜のデパート「SOGO」店での人形展だった。昭和30年代頃の光景に見入ってしまった。私がガキの頃そのままだった。
 佐世保でも「昭和のこどもたち」展を開こうと思ったが、当時、数年先まで予約で満杯だった。

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  かかる経費を度外視すれば、「与&石井」展を佐世保で開いてみたいものだ。
 熊本の大地震は周辺に広がり、被災者の皆さんが大変な苦労の最中にある。一日でも早く収まり復旧へ向かわれることを念じたい。
  だからといって、全国各地での〝自粛ムード〟には異議ありだ。こんな時こそ各地で元気な姿を示して、支援の気持ちを伝えるべきではないのか。

  一日も早い収束と被災地の復旧を心より祈りたいと思う。

「地下鉄サリン事件」と政治家・野中広務

  昨夜のTV「テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース」を見ていて、思い出した。
あの「地下鉄サリン事件」から21年も経ったのだ(3月20日)。

  1995年は多難な年だった。1月17日に阪神・淡路大震災。3月20日には地下鉄サリン事件が起こる。前年6月に発足した自社さ連立による村山内閣は、その対応の遅さなど不首尾を厳しく批判された。

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  当時、自治相兼国家公安委員長として対応にあたった野中広務氏は、毎年1月17日と3月20日には、現場に足を運んで花をたむけ手を合わせるのだという。
  朝日新聞政治部の円満亮太記者がその理由を聞きに京都を訪ねたという(同紙4月10日付)。野中氏の回想といまの心境を引用してみる。

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――一線を退いても事件を忘れていない政治家がいることが被害者の慰めになればと思ったこと。一連のオウム真理教の事件では県警の連携がうまくいっていなかったという反省があったこと。そして、後の世代が忘れないようにと考えたこと。
  「傷ついた人、苦しんでいる人の気持ちを忘れるものではない。そのことが本当に平和な日本を築く基礎になると若い政治家には知って欲しいね」。

  政治家・野中広務は、〝影の総理〟とまで言われた権力者の顔。苦しみや痛みを抱えた者への配慮を忘れぬ優しき顔。そして軍隊経験に根ざしたハト派としての顔。
  私がとくに印象に残っているのは、第一の子分と言われた鈴木宗男氏が国会証人喚問された際、「疑惑の総合商社だ!」と厳しく追及した辻元清美議員を野中氏は「断じて許さん!」と凄みをきかせて、秘書給与疑惑で議員辞職に追い込んだのだった。

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  野中氏が政界引退して13年、現在の政治はどう映るのか。
――安倍さんは良くやっておられる。閣内をしっかりまとめて難関を突破していく。1次政権と比べると、命がけの気持ちが伝わってくる。
  だけど、「なぜ安倍さんは集団的自衛権の行使容認に踏み切ってしまったのか」。
「憲法9条だけは変えてはいけない。血塗られた日の丸を見るのは私たちの時代だけで結構だ」。

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  憲法9条を守れるかどうか、今夏の参院選の帰趨にかかっている。

池孝晃が語る~永遠平和と安保法

  先月29日、戦後の安全保障政策を転換する「安保法」が施行された。敗戦を告げる玉音放送から70年7か月。

  月刊「PLAYBOY」日本版といえば、ヌード写真だけでなく政治・社会など硬派記事を同時掲載する雑誌として有名だった。その編集長を務めた(78~82年)池孝晃さんが9年前に18世紀ドイツの哲学者・カントの名著「永遠平和のために」の新訳本を世に送り、このたび朝日新聞のインタビューで語ったことに耳を傾けてみたい。

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――「安保法」が施行されます。カントは何と言うでしょう。
  平和への歩みは遅々としているけれども、いつか永遠の平和が実現するのを期待して歩むことが大事なんだ、と言っています。
  人類の歴史は戦争の歴史だからこそ戦争のない社会を、と理想を掲げたんですね。
共通の敵でもない別の国を攻撃するために軍隊を他国に貸すことがあってはならない、とも言っています。まさに集団的自衛権のことでしょう。

    カント『永遠平和のために』

――戦後日本の安保政策の転換点になります。
  この70年あまり、僕たちの国は一度も戦争をしなかった。カントが照らした道を世界で最も忠実にたどったのは戦後の日本でしょう。転換点を迎える今、思い浮かぶのはカントのこんな一節です。
  『たまには、老哲学者の言葉に耳を傾けてはどうか』

――この本を編もうと思い立ったのはどうしてですか。
  03年3月、米国のイラク爆撃の様子をテレビで見ました。映像がすごくリアルで、それはもう驚きでした。あの爆撃の下には普通の人々が暮らしており、身がすくむ思いでした。
  幼い頃の戦争体験の記憶がいっぱいある。戦争が普通の人々の生活や人生を大きく変えるということは、やはり覚えておかねばなりません。

    池孝晃氏
    (池孝晃氏)

――そんな経験を……。
  戦争というのは、体験するのとそうでないのとでは全然、違うんですね。
60年安保の時、僕は大学生でしたが、運動に参加した同世代も多かれ少なかれ、戦争を体験していました。
  しかし、70年安保の中心になったのは戦後生まれの団塊の世代です。当時、『戦争を知らない子供たち』という曲がヒットしました。
  まさに戦争を知らない若者たちの一部が、72年に連合赤軍のあさま山荘事件を起こしました。警察が鉄球で建物を壊す場面で、テレビ局がサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』を流していたのを覚えています。
 こんな闘いの先に、どんな夢や希望があるのか、僕にはさっぱり理解できなかった。

    杉田二郎
    (杉田二郎)
   
――その後、創刊に関わった月刊「PLAYBOY」日本版の読者は「戦争を知らない」若者たちだったのでしょう。
  米国版の翻訳とオリジナルの記事で編集しました。
 白人女性のヌードグラビアが話題になりましたが、藤原新也さんら若手写真家によるアジアやアフリカの写真紀行、三島由紀夫に関するスクープ記事など政治や社会、文化まで硬派な記事を並べました。
エロからサルトルまで、です。
  じつは、日本で若者が立ち上がる日は、もう来ないだろうと思っていました。権力に敗れた若い人たちに、世界へ飛び出して目を開いてほしかったのです。
  75年5月21日に発売された創刊号は、45万8千部がその日の午前中に売り切れました。

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    (サイモン&ガーファンクル)  

――エロと哲学。まさに雑誌という感じがします。
  ところが、80年代に入ると、若い人たちは自分の半径3メートルにしか関心を向けなくなった。政治的闘争なんて、どこにもないのですから、当然カモしれません。
  ファッション誌やサブカルチャー誌が好まれ、若者は政治や社会を語ることを退屈だと考えるようになったようです。

――しかし、と。
  僕が好きなことをしている間に、戦後生まれが7割を超え、戦争体験を持つ政治家も次々に政界を去っていった。
 自衛隊もイラクに派遣され、長く戦争とは無縁だった日本がそうもいかない感じになってきた。
 編集者人生の最後の1冊で若い人たちに何かを残したい。そう思った時、手に取ったのがカントの『永遠平和のために』でした。   日本の憲法がその精神を受け継いでいる、と聞いたからです。

――自信作ですね。
  06年に安倍さんが首相になって、憲法改正を堂々と唱えた。戦後生まれの政治家の言葉に、頭を殴られたような気がしました。
 カントを早く出したい。刷り上がったのが07年11月、ちょうど定年退職の日です。
 安倍さんは出版の2カ月前に退陣していましたが。

――返り咲いた安倍首相は、29日に施行される安保法が平和をもたらす、と訴えます。
  カントは行動派の政治家の特徴として『まず実行、そののちに正当化』『過ちとわかれば、自己責任を否定』と述べています。
また『力でもって先んじなければ、力でもって先んじられる』という指摘にもハッとさせられます。他国への侵略に絡んでの指摘なので安倍さんとは前提が違いますが、力でという発想は重なるようにも見えます。
  しかも、こうした主張を受け入れる国民が少なくない。多くの人にとって、僕が体験した戦争はもう、遠い出来事になっているのでしょう。

    哲学者カント
    (カント)

――夏の参院選では、18歳が選挙権を持ちます。戦争どころか、バブル景気も知らない世代です。
  18歳は、憲法改正の国民投票もできますね。だからこそ、自分の考えを持って政治に参加してほしい。
 今の日本は、200年前、遠い欧州の哲学者が唱えた『永遠平和のために』という呼びかけに応えているか。
 自身で考え続けてほしいのです。

  あらためて、カントの『永遠平和のために』を読み返してみたいと思う。


(※ my8686さんのブログも参考にさせていただきました。)
  <池 孝晃> 1939年生まれ。62年集英社入社。78~82年まで『PLAIBOY』日本版編集長。文芸出版部取締役を経て、綜合者(当時)社長。2007年退職。

清貧の政治家・ムヒカ元大統領

  「世界で一番貧しい大統領」――こんなすごい政治家がいるとは知らなかった。
 南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、近く初来日するという。

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    (自宅前のムヒカ元大統領)

  前大統領の自宅を訪ねた朝日新聞の萩一晶記者の記事「清貧の政治思想」(4月1日)から引用してみる。
――(大統領公邸に引っ越さなかった理由は)「私はもともと農民の心を持って生まれた。4階建ての豪邸で30人からの使用人に囲まれて暮らすなんて、まっぴらだ」。

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    (大統領公邸)

――(「世界で一番貧しい」という称号をどう思うか)「『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」。

――(軍事政権下、14年近く投獄された)「10年ほどは軍の独房で、眠る夜マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、その経験からだ」。「人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ」。

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    (ショッピングモールに変わった、ムヒカ元大統領が収監された刑務所)

――(独房で見えたものは)「生きることの奇跡だ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ。ファナチシズム(熱狂)は危ない。狂信は必ず、異質なものへの憎しみを生む。異なるものにも寛容であって初めて、人は幸せに生きることができるんだ」。

――(有権者があなたに期待したものは)「自分たち(貧しい層や中間層)の代表を大統領にと思ったのだろう」。「民主主義の原点は、私たち人間は基本的に平等だ、という理念だったはずだ。ところが、まるで王様のように振る舞う大統領や、お前は王子様かという政治家がたくさんいる」。

――「私たち政治家は、世の中の大半の国民と同じ程度の暮らしを送るべきなんだ。一部特権層のような暮らしをし、自らの利益のために政治を動かし始めたら、人々は政治への信頼を失ってしまう」。

――(かつてウルグアイは〝南米のスイス〟と呼ばれたのに、格差が広がったのは)「規制を撤廃した新自由主義のせいだ。格差など社会に生まれた問題を解決するには、政治が介入して、公平な社会を目指す。国家には社会の強者から弱者に再分配する義務がある」。「怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない」。

――(ご自身を政治的にどう定義するか)「左派だろう。ただ心の底ではアナキストでもある。実は私は、国家をあまり信用していないんだ」。「もちろん国家は必要だけど、危ない。あらゆるところに官僚が手を突っ込んでくるから。彼らは失うものが何もない。リスクも冒さない。なのに、いつも決定権を握っている。だから国民は、自治の力を身につけていかないと」。

  まるで、安倍政治と弱小野党に対する痛烈な皮肉ではないか。日本にもムヒカ氏のような政治家が現れて新党の旗を振れば、無党派層をはじめ圧倒的な人々が支持して政治が抜本的に変わるのではないかと思う。
  (写真はいずれも朝日新聞 4月1日付)
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)