躍進・共産党を考える

 このところ共産党が注目を浴びている。BS11では特集「安倍政治と真っ向対決~共産党の戦略」に志位和夫委員長が出演(11/10)。週刊朝日は「日本共産党大研究」との特集を組んだ(11/27号)。

      週刊朝日
   
 たしかに昨年の衆院選では前回(8議席)から21議席に倍増させる躍進ぶり。維新の党の分裂騒動もあって、いまや共産党は衆・参で民主党に次ぐ野党第2党に躍り出た。また、地方選でも、宮城県議選(10/25)では前回の4議席から8議席に倍増、民主党を抜いて野党第1党になった。

 勢いに乗る共産党は、来夏の参院選に向けて「戦争法(安保法)廃止」の一点で結集する「国民連合政府」構想を掲げて、参院選「一人区」での選挙協力を野党各党に呼び掛けている。
 仮に「一人区」での選挙協力がうまくいけば、与党が29勝2敗で大勝した前回(13年)と違って野党の議席が上回る。改選数が半数なのでいきなり与野党逆転とはいかないが、相当の緊張感が生まれ、安倍政権の足元は大きく揺らぐだろう。

    細野豪志
     (細野豪志・民主党政調会長)

 ところが肝心の民主党がハッキリしない。というより内部で細野豪志・政調会長や前原誠司・元代表らは「共産党と組む選択肢はない」と言い切り、維新の党と会談して「民主党の解党」で合意したという。
 こうした状況下で注目された大阪の〝ダブル選挙〟は、府知事・市長戦とも「大阪維新の会」側の完勝となった(11/23)。
 安倍首相と通じる黒幕・橋下徹が、参院選でいかなる布陣で臨むのか目が離せない。
  
     橋下徹
     (橋下徹・大阪市長)

 ところで、前記の週刊朝日誌上のインタビューで共産党の不破哲三・前議長が次のように語っている。
――国会では、長らく共産党の排除が原理になっていた。それが崩れたのが民主・自由党との国会共闘(98年)です。橋下政権退陣後の首班指名では菅直人さんに投票しました。
 昔の自民党は「保守総連合」で、国民の声に耳を傾ける政治家がたくさんいました。橋本龍太郎さんや小沢一郎さんとは親しかった。
――今の自民党は、劣化してしまった。極右の人たちが中心にいて、党内に多様な意見が出せなくなってしまった。大変危険なコースを歩んでいます。

    不破哲三
    (不破哲三・前共産党議長)

 こうした躍進・共産党への評価はネット上でも賛否両論賑やかだが、共産党の元政策委員長で今は保守派の論客と言われる筆坂秀世氏のインタビュー(BLOGOS編集部)がなかなか面白いので抜粋してみる。

    筆坂秀世
    (筆坂秀世・元共産党政策委員長)

――共産党が躍進するのは当たり前です。民主党など他の野党があまりに頼りないから、「自民党がイヤだ」という人の引き算の選択で、「共産党しかないな」という状態になっている。これはしばらく続くんじゃないですかね。
――「天皇制」の問題に関して。「天皇制打倒」と言ってきたけど、いまの天皇制は何の権限も持たない。不破哲三さん(元委員長)は「❛君主制❜とやったのが、マズかったんだよな」と言って、容認するように変えたんです。
 ――共産党にとって一番の課題は、若い共産党員をいかに増やすかです。全学連なんてほとんどなくなっちゃいました。民青はかつて20万人いましたが、今や全国で2000人いるかどうかです。
――過去、憲法9条を変えると言っていた共産党が、今は「9条は、世界の宝」と主張しているんだから、ムチャクチャですよね。かつてのマルクス・レーニン主義路線から社会民主主義路線に完全に変更してしまっていますね。
 本来なら、党内で大論戦をして総括をしなければならなかったのに、やらなかった。
 (※ちなみに筆坂氏は12年前、秘書と女性の3人で飲んでいて、一緒に踊っていた女性の腰に触ったとしてセクハラで訴えられて、議員辞職しすべての役職を解任されている。)

     志位和夫
     (志位和夫・共産党委員長)

 これから来夏の参院選に向けて、野党が選挙協力でいかに結束して戦えるのかを問われている時に、こうした水を差すようなことを書くのは気がひける。
 しかし、「憲法九条を変えろ!」「原発を推進しろ!」「社会党主要打撃論」「幻の民主連合政府構想」・・・という否定しようのない共産党の過去に対して、今の共産党は何一つ国民に対して納得のいく説明をしたことはない。

 また、私が国会にいた頃、当時の自衛隊の海外派兵や「有事法制」の審議に際して、野党各党は理事懇談会などで法案審議を避ける戦術をとっているにもかかわらず、共産党だけは居残ることを繰り返したのだった。
 私は今も、共産党に対してこうした根強い不信感を持っている。来夏の参院選で自・公政権を追い詰めるためには共産党の協力が不可欠だ。だからこそ、共産党は自己総括と反省を明確にすべきだと思う。

 
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高速増殖炉「もんじゅ」と核燃料サイクルは断念すべし!

  高速増殖炉「もんじゅ」に〝最後通告〟が突き付けられた。
 今月13日、原子力規制員会の田中俊一委員長は馳浩文科相に運営主体の「退場」を求める勧告文を手渡した。

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    (馳浩文文科相に勧告文を手渡す田中俊一・原子力規制員会委員長)

 その骨子は、①もんじゅの運営主体として日本原子力開発機構は不適当②文科相はそれに代わる適当な主体を探すこと③明示できない場合、もんじゅのあり方を抜本的に見直すこと④半年をめどに結論を報告すること、とされた。

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 そもそも核燃料サイクルは、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを資源として利用するのが目的だった。もんじゅが「夢の原子炉」と呼ばれたのは、発電しながら消費する以上のプルトニウムを生み出す高速増殖炉だったからだ。

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 しかし、95年、もんじゅがナトリウム漏れ事故を起こしてから20年間で核燃料サイクル政策が大きく変質した。
使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場(青森県六ヶ所村)は事故続きで運転不能の状態だ。
 貯まる一方のプルトニウム(現在約48トン)は核兵器の原料として外国から警戒されるハメになった。そこで国は、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を軽水炉で燃やすプルサーマル発電に移したが、各地で反発を買い思うように進んでいない。

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    (六ヶ所村の再処理工場)

 海外ではすでに、技術面・採算面から高速増殖炉や核燃料サイクルから撤退する国が多い。
しかし日本では、今なお核燃料サイクルに固執し高速増殖炉の実用化を諦めていない。「もんじゅは国家事業として自動的に予算がつき、運転できなくても困る直接の当事者がいない」との指摘が当たっている。

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 もんじゅを財政面から見てみる。計画初期段階(70年代)で建設費350億円は、すでに1兆円規模に達した。今も年間約200億円(1日当り約5千万円)が維持費に消えている。
1千兆円を超える巨大な借金を抱え、社会保障や教育費に大ナタが振るわれ増税を余儀なくされる現状の中で、先行き不透明な高速増殖炉や核燃料サイクルに資金を投入し続ける余裕などあるまい。

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 これらあまりに無駄な資金を、再生エネなど新しいエネルギー社会の構築に回すべきだと考える。加えて、住民避難計画やテロ対策を先延ばしして各地の原発を再稼働するなどもってのほかである。

アインシュタインと『世界連邦』

 数日前、TVで「日本を旅したアインシュタイン」という番組があった。
 私は、非武装を謳う憲法第九条と『世界連邦』は不可分のものと考えており、『世界連邦』の提唱者はアインシュタインであった。
そこで、TVを食い入るように観たのだが、残念ながら『世界連邦』に関する映像はなかった。

    アインシュタイン
    (アインシュタイン)

 それもそのはずで、アインシュタインが妻と共に日本に来たのは1922年なのだった。夫婦は約1か月日本に滞在した印象をこう語っている。「日本の建築、芸術や自然について、一種独特の価値がある。また、国民は謙虚にして篤実」であると。

ところで、広島に原爆が投下されたニュースを聞いたとき、アインシュタインは〝Oh,weh!〟(ああ、なんたることだ!)と悲痛な酢ビをあげたという。
後年、彼は「私は生涯において一つの重大な過ちをしました。それはルーズベルト大統領に原子爆弾を作るように勧告した時です」と語った。

    広島原爆

 この罪の意識が、晩年のアインシュタインをいっそう強く平和運動に駆り立てた。それが「世界政府建設の運動」である。
1948年(昭23年)、彼のメッセージは年頭の朝日新聞に発表された。――「(原爆のような)不幸を防ぐ道は只一つ、戦争突発の原因となったようなあらゆる問題を解決する機関と法的権限をもつ世界政府を樹立することである。諸国民の伝統的思想と気持ちにこれほど適応した安い道はないということを、すべての国の民衆が十分に理解した時にのみ可能である。」
 
    アインシュタインと『』湯川秀樹
    (アインシュタインと湯川秀樹)

 アインシュタイン訪日の折、通訳として身の回りの世話をした稲垣守克は「世界連邦政府のための世界運動」と連携をとり、日本に「世界連邦建設同盟」(世連)を作った。
稲垣が理事長で、総裁に尾崎行雄、副総裁に賀川豊彦をすえ、のちに湯川秀樹も加わった。現在も「世界連邦日本国会委員会」という超党派の議員連盟として存続している。
終戦・被爆60年では、「世界連邦実現への道の探求」という国会決議も採択されている。

 「非武装で国や国民が守れるのか?」との疑念は当然である。新憲法制定の帝国議会で吉田茂首相は「国際平和団体の樹立によって、侵略戦争を防止する」と答弁した。
現在の国連は国家の連合体であり各国が軍隊を持っているので、戦争が絶えない。それに対して、「世界連邦」だけが唯一軍隊を持ち、各国は警察力程度にとどめることで戦争を防止できるとの考えだ。

    15.11.2朝日・パグウォッシュ開幕 - コピー

 ところで、核兵器廃絶などを議論するパグウォッシュ会議が、今月1日から初めて長崎で開催された。
同会議の原点は、アインシュタインとバートランド・ラッセル(英国の哲学者)が核兵器廃絶と戦争廃止を訴える『ラッセル=アインシュタイン宣言』(1955年4月)である。署名した2日後、アインシュタインは病に倒れ帰らぬ人となった。

「とある米兵との会話」に感動を覚えた

  昨日のフェイスブックで、SEALDsの若者と語り合った在沖米兵の話しに感動を覚えた。少々長いけど全文引用してみる。

 今年3月、「今日はとても暑いから」と100本余りの水のペットボトルをゲート前のテントに差し入れてくれたキャンプ・シュワブ所属の海兵隊員2人。連絡先を交換していたので、到着前に連絡してみたところ、私達に会いにテントまで来てくれました。

    とある米兵
    (SEALDs RYUKYUより)

 彼らやホワイト・ビーチ所属の海軍兵2人を交えて、県内の学生と食事をしながら辺野古の新基地や既存の在沖基地についてディスカッションを行ったこともありました。その時彼らは「僕達は中国や北朝鮮から沖縄を守る為に来た」と話していました。

 今日、11月1日、3月に初めて会った時に同世代の沖縄の学生/若者と話して受けた印象やその後の変化について話してくれました。「母国を離れ、沖縄や日本を守る為に来た僕達は感謝され、歓迎されるかと思っていたのに、いざ沖縄に来ると迷惑がられ、とても困惑していた」

 「海兵隊の僕らは特に有事の際には突撃隊となるから、死ぬのが怖くないんだ。クレイジーな敵国から米国や同盟国を守る強い僕達はヒーローなんだと教えられて沖縄に来た。でも沖縄の学生から聞いた話は全然違った。僕達は沖縄を何も知らなかった」
 「僕達は琉球王国の存在や、日本に併合された事、沖縄戦における捨て石作戦とその大きな被害、その後の切り離しや復帰を機に増加した基地負担の事など、何一つ知らなかった。政治的にどれだけ振り回されてきたかを少しも知らずに沖縄に来たんだ」

    沖縄の海兵隊
    (北部訓練場の海兵隊)

 「沖縄の学生から話を聞いてすごくショックを受けた。入隊して沖縄に来るまで気化されていた事とあまりにも違いすぎた。クレイジーなのは中国や北朝鮮じゃなくて米国なのかもしれないと思った。その後、色んな資料を読んで沖縄について勉強した」
 「180度違う目線から米国について調べて初めて、愛する母国がこれまでどれだけ世界中の人々を傷付けてきたのかを知った。それも金儲けの為に。そして日本と協力しながら沖縄を利用してきた事を知った。ゲート前の抗議行動を今なら理解できる」

    10.21沖縄県民総決起大会
    (少女暴行事件に抗議する沖縄県民 1995年10月21日)

 「大きな構造の中で、沖縄の人々がここまで振り回され、人権が踏みにじられてきた事を知らずに、感謝されると思っていた自分を恥じた。そして僕達にウソを教えてきた海兵隊の教官や学校の先生を憎んだ。政府は僕らの事も利用していると気付いた」
 「ゲート前で友達になれて、沖縄の歴史や文化について教えてくれて嬉しい。今は沖縄の人々の抗議行動を支援している。米軍のシステムを批判的に考える米兵はまだまだ少ない。だから僕が知っている沖縄の事を、少しずつ周りの米兵に知らせている」
(以上、SEALDs RYUKYUのツイッターより)

 p.s.その後、話をした米兵たちと一緒に、沖縄そば食べに行った。車で基地の近くに送り、別れを告げた。彼らは、「Marines Out!!」と言われながら、基地の中に帰っていった。

 このように沖縄の現実に目覚める米兵が、一人でも多く増えることを心から願っている。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)