石木ダム問題ブックレット「出版記念会」の感想

 あいにくの雨の中、石木ダム問題ブックレットの「出版記念集会」(労働福祉センター)に出かけた。参加者数は40数人だが熱気に満ちていた。社民党総支部代表で石木ダムに反対していたH市議の告別式と重なっていなければ、会場に入りきれなかっただろう。

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 集会の中で印象深かったことの一つは、約半世紀にもわたる闘いを支えた女性たちのパワーである。32年前の「強制測量」に身体を張って闘った子供たちがすでに家庭をもち、その子どもたち(孫)がダムに関心を抱きふる里の素晴らしさに思いを馳せててくれている姿に目が潤むのだと言う。ダム予定地の川原(こうばる)地区から4人の〝おばちゃん〟たちが参加して、率直な心の内を吐露してくれた。

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 いま一つは、ブックレットにしなやかさと親しみやすさを与えてくれた<こうばる ほずみ>さん。川原地区に住み、人々の生活の有り様や川魚をはじめとする生物・自然の風景を描き続けている。彼女のコラム冊子「ダムのツボ」は、石木ダムの問題点をマンガで分かり易く綴り大好評である。
 
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 また、ブックレットの企画から発行までそのノウハウを手厚く教えてくれたTさんは、五木を育む清流川辺川を守る県民の会・事務局長でわざわざ熊本から駆けつけていただいた。
 「小さなダムの、大きな闘い」というブックレットの題名は見覚えがあると思ったら、やはり亡き山下弘文さんの現地ルポ・資料集から引用したのだという。彼は生前、県内の環境問題はもちろん全国の干潟・湿地を守る運動の中心的人物だった。

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 ところで、長崎県や佐世保市は「佐世保の水不足」「川棚川の治水」を石木ダム建設の理由にあげているが、その欺瞞性についてはこれまでの闘いと良心的学者らによって完膚無きまでに論破されている。
 実は、石木ダムを最初に思いついたのは、旧日本海軍であったと言う。戦時中、川棚には海軍工廠の魚雷訓練場や特攻隊関連施設があり、航空機生産ともなれば多大な水を必要とする。こうした計画を知って、採石業者らが石木地区に押し掛けたというのである(郷土史家の知人が教えてくれた話しであり、もっと詳しく調べた上であらためて書いてみたい)。

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 ※ブックレットの注文は、「石木川まもり隊」まで。
   メール<michi30@hyper.ocn.ne.jp>
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原潜・冷却水の海洋放出を疑う

 先日、フェイスブックで英国・ヴァンガード級戦略原潜の原子炉交換の記事があった。英国防衛相は「放射能で汚染された冷却水は原子炉内に閉じ込められており、問題ない」とコメントしているが、きわめて疑問だ。
 通常、原潜の原子炉は出力5、6万kwとされる。米国では「米海軍の定める基準値以内であれば、港内に放出できる」との規則で、第一次冷却水を放出していると言われる。

    英・ヴァンガード級「ヴェンジャンス」
     (英海軍のヴァンガード級戦略原潜)

 佐世保には今月、米原潜が寄港して通算300回を超える。横須賀では原子力空母「ジョージ・ワシントン」(出力20万kw原子炉を2基搭載)が配備されている。共通する最大の懸念事項は「原子炉に係る事故」である。米・ロの原子力艦艇は、火災事故やメルトダウン寸前の事故、艦ごと海底沈没など何度も重大事故を繰り返している。(詳しくは梅林宏道著『隠された核事故』を参照)

     隠された核事故

 舶用原子炉の危険性は、洋上での揺れ、艦内の限られたスペース、簡略化された格納容器などから避けがたい。
 ところが、米原子力艦艇に関して日本の法律(「原子炉等規制法」など)は適用されず、事故時に艦内へ立入り調査も許されない。

     原潜コロンブス
      (今年初入港の米原潜「コロンブス」。宮野さんのフェイスブックより借用)

 また、米原子力艦艇の入港に際して行う放射能モニタリング調査に関しては、日米の「密約」があること。さらに、佐世保では係留場所の赤崎岸壁は、米国の法律が定める民家との距離(500㍍)を確保していないことなど、当ブログですでに書いた(昨年11月14日)。

    原潜の放射能測定「密約」2
      (長崎新聞 08年9月6日付)

 安倍政権のもとで陸・海・空自衛隊は米軍の指揮下に入り、〝融合一体化〟は急ピッチで進んでいる。すでにヘリ搭載空母を手にした海自が、やがて米原潜を導入する日がくるのではないだろうか。

終戦直後の佐世保を振り返る

 先日、フェイスブックで知人になった方の亡きお父さんが、終戦後、外地から引き揚げてきたのは佐世保の「南風崎」だったとの記述があった。
 そこで、せっかくだから、終戦直後の佐世保の様子を振り返ってみた。「占領軍が写した終戦直後の佐世保」と「佐世保の歴史~市制百周年記念」を参考にした。
焼け野が原の市街地
 (焼け野が原となった市街地)

 軍港・サセボは、終戦直前の「大空襲」と直後の占領軍上陸(米軍を「進駐軍」と呼んだ)と大陸や南方からの引揚げ・復員が特徴的だ。
 大空襲は、45年6月28日午後11時50分過ぎ、141機のB-29が大量の焼夷弾を投下。遺族会調べによると、当日の犠牲者数は1,198人死亡、罹災者60,743人(全人口の27%)、家屋全焼12037戸・半焼69戸(全戸数の35%)であった。

上陸する進駐軍
 (前畑に上陸する海兵隊のロビンソン准将)
市街地を行進する進駐軍
 (市街地を行進する進駐軍)

 日本への占領軍の進駐は、中国・四国地方には英軍、その他の地方は米軍であった。佐世保には、第五水陸両用軍団と第五海兵師団が進駐し、第五艦隊の一部が入港した。占領軍の進駐兵士数は、沖縄を除く全土で約45万人、九州全体で7万4千人、内佐世保には5万4千人であった。この写真集は、米国防総省・陸軍・海兵隊の提供によるもので、沖縄・福岡両県との三部作の一部で、収録写真は空襲から戦後復興まで190枚に及び、実に刻銘かつ貴重である。

浦頭・引揚第一歩の地
 (浦頭・引揚第一歩の地の石碑)
 浦頭に上陸する引揚者
 (浦頭に上陸する引揚者)

 「終戦時海外にいた日本人は、軍人350万人、一般邦人310万人、その大半が昭和22年暮れまでに故国の土を踏んだ。」(長崎県の戦後史『激動20年』より)。
 九州では博多と佐世保が主力引揚げ港となり、佐世保港には朝鮮、中国、南方方面からの引揚げ輸送船が入港した。「浦頭」に上陸した引揚者は検疫を受け、身体中にDDTを吹き付けられた。その後、収容所となった針尾海兵団の兵舎で数日を過ごし、「南風崎駅」から満員の引揚げ列車に乗り、故郷へと向かった。(※森繁久弥や加藤登紀子も「浦頭」への引揚げ者である。)
 また、「浦頭」は、終戦とともに母国に引き揚げる朝鮮・中国・台湾、沖縄・奄美へと送り出す送還船の出発基地でもあった。(「佐世保の歴史~市制百周年記念」より)
 
検疫を受ける引揚者
 (DDT消毒を受ける引揚者)
南風崎駅
 (南風崎駅で列車を待つ引揚者)

 ところで、こうした悲惨な大空襲や苦難に満ちた引揚げの体験を偲ぶことはあっても、その「前史」としての大陸への侵略や植民地支配による被害者(中国・朝鮮などアジアの人々)の凄惨、過酷な実態を省みることは完全に欠落している。軍港・サセボが大陸侵略の拠点であったにも拘わらずである。長崎県史や佐世保史も同様だ。
 この〝負の遺産〟は、こんにち国際社会で孤立しかねない政治の「陥穽」となっているのではないだろうか。

朝鮮向けの物資を積み込んだLST
 (朝鮮向けの補給物資を積み込んだLST)

 終戦後、佐世保は『平和都市宣言』(50年1月)を行い、住民投票では投票90%・賛成97%であった。同年8月には、『旧軍港市転換法』も公布施行された。
 しかし、同年6月、朝鮮戦争が勃発して、佐世保は再び「軍港」への道を転げ落ちていくことになる。

増税時代と欧州モデル

 「スウェーデン・モデル」という言葉に接したのは、およそ14年ほど前、朝日新聞に載った神野直彦・東大教授(当時)の論考「絶望から希望の島へ」だった。とても分かり易く、衆院選挙の訴えでも使わせていただいた。

 今頃思い出したのは、来月から消費税が8%に上がることに関して、朝日新聞のインタビュー欄に「増税時代」と題する井出英策・慶応大教授の話が出ていたからだ(3月14日)。以下、その要点を紹介してみる。――

井出英策 日本財政・転換の指針
 (井出英策・慶応大教授)

*日本の租税負担率(国民所得に対する税収の割合)は、先進国の中で最も低い部類で、小さな政府です。
*危機的な財政状況にはあるが、ムダをなくせば財政が再建されるという単純な議論は、財務省主計局流の論理が強すぎ問題です。
*本来なら、(欧州のように)もっと早くから段階的に増税し、それにあわせて社会福祉を充実させるべきでした。できなかった理由は、日本のかつての利益分配メカニズム(農村部に公共事業、都市部に減税の組み合わせ)にあります。

*何がムダかというのは民主主義が決めることであって、経済的な損得勘定だけでは語れません。『土建国家』は、仕事を与えて生活を自立させるという意味で日本型福祉国家でもあったのです。
*それができたのは、高度成長で自然増収があったからで、問題は、低成長時代に入っても、これに代わる仕組みをつくれなかったことにあります。

    高福祉・高負担

*年金のGDP比率という指標を見ると、北欧のスウェーデンと変わりません。しかし、支出(医療費や介護費など)も合わせて考えると、日本の高齢者は決して恵まれているとはいえません。
*日本の社会保障予算は、分断されているのが問題です。私は、あらゆる人を受益者にするユニバーサルサービスの実現を唱えています。欧州の多くの国では、大学は無料だし、医療も無料ないし限りなく無料に近い。北欧にいたっては年金だってみんなもらえる。『貧しい人を助けることが自分の利益につながる仕組み』。これが欧州型の福祉国家です。

   国会議員に占める女性の割合

*(スウェーデンは競争重視社会で、企業の解雇も比較的容易だが)雇用の流動性を高めるのは重要ですが、政府が解雇された人々の雇用を保障する責任を負うことも必要です。
*まだ無理がきくいま、多少借金してでも投資すべき分野はあります。借金を返す一番の近道は人間に投資することです。欧州では職業訓練が国際競争力を強めるための柱になっています。日本の技術や労働者の質が高まれば、海外から企業が来ます。建設国債の使い道も人間の投資に広げるべきです。

   就業支援&失業手当

 さて、安倍政権は消費増税の理由を、財政再建や高齢化社会への対応を挙げる。しかし、来年度10%になっても、上げ幅5%のうち生活の充実に使われるのは1%分に過ぎない。政治不信を募らせる国民が納得するはずもなく、政治家たちは「当落」を気にして増税に後ろ向きだ。
 そうした中で、井出教授の唱える構想は現実的で検討に値すると思うのだけど、如何だろうか。
(※挿入したグラフなどは、週刊「東洋経済」2008年1月12日号からの引用でかなり古いことをお断りしておく。

3.11東日本大震災&福島原発事故・3周年に思う

 東日本大震災から3年目の「3.11」が過ぎた。
 新聞やTVの報道を見るにつけ、茫然とした気持ちで心が痛むばかりだ。今なお約26万人もの人々が避難生活を余儀なくされている。被災地の復興は、想像した以上に進んでいない。

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 とくに、深刻なのが前代未聞の大事故を起こした福島第一原発の現状である。
朝日新聞の図(3月11日)を見ると、頭がクラクラしてくる。――建屋地下や敷地に造った汚染水の貯蔵用1千トンタンクは既に1千基を超え、2日に1基のペースで増設している。汚染水の海への漏出防止の「凍土壁」の計画や、放射性物質の濃度を下げるための除去設備「ALPS」はトラブル続きで処理率10%程度だ。それでも除去できないトリチウムなどは海に流すことも国が計画しているという。

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 一方、廃炉作業には30~40年かかると見積もられているが、メルトダウンで溶けた1~3号機の核燃料の所在すら把握できておらず、圧力容器の中は放射能濃度が高すぎて作業員は入れないのが現状だ。汚染水対策や廃炉作業に毎日3千人もの作業員が従事して、この有り様である。

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 再処理工場を抱える前東海村村長で現在「脱原発をめざす首長会議」世話人の村上達也さんは語る。(朝日新聞、3月11日付)
――「原発再稼働に動く東電には、将来を見通せない多くの避難者がいるのに、原発が引き金になったという認識や責任感がうかがえません」。「東電は市場から退場すべきです。社会正義に反する企業の存続など許されないのですから」。
「東海村にも、交付金や関連産業への恩恵はありましたが、それ以外の産業は育たず、むしろ既存の産業が消えていきました。『原発による金と権力の暴風雨』という状況です」。
「原発依存から脱するには、痛みはあっても、自分の足で立つしかありません。再稼働などという誤った選択に熱意を燃やすのでなく、国全体の原発の退場に向け、しっかりとした工程表を描くことこそ求められています」。

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 もう一人は、作家・池澤夏樹さんの「終わりと始まり~原発安全神話の独り歩き」(朝日新聞、3月8日付)より。
――「(船橋洋一著「原発敗戦」を引用して)福島原発事故に係る自衛隊統幕の作戦計画・第四段階は「制御不能状態となった場合」。米軍も事態を深刻に受け止めた。そのプランを知った自衛隊の幹部は米国が「日本破滅のシナリオ」を想定していると考えて戦慄した」。
 「日本の国土はプレートの境界線上にあって、地震と津波と火山の噴火のリスクが大きい。原理的に原発に向かないところなのだ」。
 「彼(船橋)は3.11を66年前の敗戦と比較して、*絶対安全神話に見られるリスクのタブー視化*縦割り、たこつぼ、縄張り争い*権限と責任を明確にしない*明確な優先順位を定めない。この実例は原発にいくつもあった」。
「この3年で東電や経産省や保安院などの体質が変わっただろうか?同じ人々が庇い合って、省益・社益を守っている。この3年間の隠ぺいとごまかしと厚顔無恥を見ていればそれは歴然。変わる見込みは『永遠にゼロ』だ」。「僕は(船橋さんとは)別の結論に至る。国土の脆弱性だけでなく、文化と国民性から判断しても、他の国はいざ知らず、我々は原発を動かすべきではない、と」。

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 今後の原発と社会のあり方について、お二人の主張でほぼ言い尽くされていると思う。
 政府や電力会社は、権力とカネにものを言わせて、時間とおカネをあまりにも浪費して
きた。今やるべきことは、原発に代わる持続可能なエネルギーを確立しながら、私たち自身の生活のあり様を根本的に変えていくことではないだろうか。

「重慶爆撃」と「東京大空襲」

 きょうは、「東京大空襲」から69年である。都・墨田区の慰霊堂では慰霊祭が営まれた。
 <いつせいに 柱の燃ゆる 都かな>(三橋敏雄の代表句)。――木造家屋が軒をつらねる下町は焼夷弾による無差別爆撃で壊滅し、約10万人の人々が殺された。

      東京大空襲69年・慰霊法要

 私は、犠牲者の慰霊にとどまらず、「加害者」としての視点からも「東京大空襲」を考えてみたい。言うまでもなく「重慶(中国)爆撃」のことである。――『重慶爆撃とは何だったのか~もうひとつの日中戦争』(編集・戦争と空爆問題研究会、2009年刊、高文研)が参考になる。ここでは、「はじめに」と「おわりに」より要点のみ引用する。

      爆撃を受けた重慶市内
       (爆撃を)受けた重慶市内

 いま、都市に対する無差別爆撃の違法性と賠償責任を問う裁判が進行中である。
 「重慶大爆撃訴訟」(06年3月提訴)は、38年から43年の間、四川省重慶はじめ近郊都市に向けられた無差別爆撃による被害、その「謝罪と補償」を日本政府に求めるもの。

     吉野山隆英氏の絵
     (吉野山隆英氏「東京大空襲」の画)

 一方、「東京大空襲訴訟」(07年3月提訴)は、45年3月10日の下町空襲で被災した住民が、公的な慰霊行事や記念施設建設を怠り、被害者救済責任を果たしてこなかった「放置と不作為」の所在を日本政府に請求する訴えだ。とくに、「先行行為としての重慶爆撃」つまり、日本の重慶爆撃が米国の東京空襲につながったとする「歴史の因果関係」をも原告側主張として提起されている点に特徴がある。

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      (ピカソ画「ゲルニカ」)

 「重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京」の呼びかけ文には、次のように述べられている。――20世紀は「空中爆撃の世記」でした。37年4月のスペイン・ゲルニカ、そして翌38年に始まる中国抗戦首都・重慶への無差別爆撃…ここに「戦争の惨禍」の新しい形が生まれました。(中略)…何がなされるべきか?記憶の回復と謝罪の実行。ドイツ大統領はゲルニカ市民に対し謝罪し、エリザベス女王はドレスデン市民に謝罪と補償を約束しました。日本政府は、謝罪はおろか事実の認定すらしていません。
 
       東京空襲・戦災資料館
       (東京大空襲・戦災資料館)

 本誌は、「重慶爆撃の全体像」として、――➀世界最初の「意図的・組織的・継続的な空中爆撃」であった歴史的事実、➁徹底的に「眼差しを欠いた殺戮」であり、日本の66都市に対する空襲の原型である、➂被害の大半は住民の身体と住居に降りかかり、「戦場の死」とは異なる「肉親の死」や「一族被災」が街中で生み出された。

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       (東京大空襲で炭化した死体を調べる警察)

 私たちのなすべきは、歴史の事実と真摯に向き合う率直な対応である。訴訟の決着を待つまでもなく、日本人と日本政府の名による「謝罪と補償」が求められている。

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         (佐世保空襲資料室)

 昨日の「天声人語」にあった。――地道さが冷笑され、敵愾心ばかり膨らむ社会は危うい。<あやまちは くりかへします 秋の暮>(三橋敏雄の句)
 あと3か月ほどで「佐世保空襲」から69年を迎える。空襲に先行して大陸侵略の拠点となった軍港・サセボの歴史に深く思いをめぐらせたいと思う。

心に残る懐かしい名曲

 きょうは「啓蟄」だというのにずいぶん寒い。夕方、BS放送で「心の歌」の再放送があっていた。三橋美智也と春日八郎は、私が子どもの頃に聴いた代表的な歌手で好きな曲が多く、貧しくつらい時代の想い出もいっぱい詰まっている。

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             (三橋美智也)

 三橋美智也の曲では、「古城」と「リンゴ村から」。その他にも「哀愁列車」「母恋吹雪」「夕焼けとんび」「達者でナー」「俺ら炭鉱夫」など実に数多い。

           春日八郎
             (春日八郎)

 春日八郎の曲では、「お富さん」「別れの一本杉」。その他にも「赤いランプの終列車」「ロザリオの島」など数多くある。

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             (村田英雄)

 同時代では、代表曲「王将」の村田英雄。また、名台詞「お客さまは神様です」の三波春夫の「俵星玄蕃」「チャンチキおけさ」「大利根無情」。

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             (三波春夫)

 これらの曲は、亡き父が大好きだった。父は職を転々とし、母はゴルフ場のキャディなどとして働き、芋粥をすすって凌ぐほど経済的にもっとも困窮していた頃だった。
 いま振り返ると、家族を支えるために歯をくいしばって働き続けた父母のおかげで、私たち四人の兄妹はそれぞれ幸せな家庭を持つことができた。畏敬の念でいっぱいだ。

ビキニデー60周年に思う

 きょうは、ビキニ水爆実験から60周年。
 第五福竜丸など日本のマグロ漁船が被曝して、東京・杉並の主婦たちの核実験反対署名が始まり、原水禁運動の出発点となった。

     1.ビキニ水爆実験

 ところが、水爆実験場となったビキニ島沖とマーシャル諸島及びミクロネシア住民たちの被曝に関しては、70年代に入って知ることとなる。
 いま、手元に『隠された被ばく~マーシャル群島住民の23年』という本がある。執筆は私と40年来の友人でもある前田哲男氏、発行は原水禁国民会議である。

     2.水爆実験

     3.第五福竜丸

 「発刊に当って」より引用してみる。――ビキニ事件は、ヒロシマ・ナガサキに始まる「原水爆時代」の象徴的事件であった。原水禁は、核実験の被害者が日本人だけでなく、核実験場周辺のミクロネシア住民にまで及ぶ、深刻な影響が現れている事実を広く世界に知らせるとともに、アジア・太平洋一帯の国ぐにの人々と連帯した運動をめざし、1971年以後ミクロネシア被曝者との交流を開始した。
 ビキニ被災への本質的問い直しこそ、「核絶対否定」の理念を構成する柱であり、反核の国際連帯を有効ならしめる方向である。

     5.隠された被ばく

 「プロローグ」で前田氏は語っている。――ビキニとはなにより、私たちが長い間見落としてきた福竜丸の向こう側の現実なのだ。島人が自身の体で証明しつつある現実は、政府機関や御用学者たちの安全神話を突き崩し、核と人類の両存性に否定の止めを刺す。ビキニとは、島人がまだモルモットとして扱われ、もがき脱けようとする人を押さえつける核大国の力が現存している。

     4.故郷を捨てる-
      (住み慣れた島を去る住民たち)

(※ちなみに、日本では東京大空襲や広島・長崎への原爆投下が「被害」の観点から語られがちだが、これに先立って日本軍は中国・重慶を無差別爆撃していることを、前田氏は『重慶爆撃の思想』で詳細に検証している。)

     8.アーシャル諸島・核の世記
      (上記写真とこの本の著者・豊崎博光氏)
 
 さて、60周年のきょう、新聞各紙は連載や特集を組んで報道し、NBC(TBS系列)では夕方のゴールデンタイムに特集報道をしていた。私たちは、軍事利用、平和利用のいずれを問わず「核と人類は共存できない」という意味で、ビキニ被曝と福島原発被曝は通底しているということを肝に銘じておきたいと思う。

       14.3.1朝日・ビキニ60年、デモ行進
        (朝日新聞 3月1日付)
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)