武器輸出三原則と集団的自衛権を再考する

 このところ「武器輸出三原則」や「集団的自衛権」に関する記事が相次いでいる。「武器原則禁輸を転換」(2/23)、「(憲法九条の)『国際紛争』の解釈変更」(2/25)といった具合だ。こうした問題についてはすでに、昨年6月に当ブログで批判的視点より詳しく論じたが、補足的しておきたい。

          三原則の変遷

 武器輸出禁止の対象国は➀共産圏➁国連決議で禁止されている国➂国際紛争の当事国やおそれのある国、とされた。三木内閣では、これ以外の国への輸出も原則禁止とした。
 今回、与党に示された「内閣素案」では、――➀は冷戦終結で役割終わったので削除。➂は次期主力戦闘機F35の部品をイスラエルに輸出することを念頭に削除するという。
また、ミサイルや戦闘機などの国際共同開発を想定、国連など国際機関への輸出も認める方針だ。

       武器輸出三原則

 武器輸出が紛争を助長・拡大することは、アフリカ諸国やシリアの内戦を見れば歴然としている。安倍政権は、日・米軍需産業にとって長年の障壁であった武器禁輸政策を転換し、紛争助長国の仲間入りをしようという訳だ。

     安保法制懇

 また、安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の北岡伸一・座長代理は、憲法九条の解釈変更を報告書に盛り込む考えを示した。インタビューの要旨は――・九条1項は「日本が当事者となる国際紛争」と読むべきだ。・集団的自衛権不行使の理論はおかしい。・国会承認のタイミングは行使の「前もしくは後」だ。・集団的自衛権は小さな問題なのに、ひっかかることが大問題だ。

       集団的自衛権・4類型

 感情任せで非論理的な驚くべき見解だ。これでよく大学院教授が務まるものだと嘆かわしく思う。この類の思想の持ち主に共通するのは、過去の歴史と真摯に向き合わないことである。
 敗戦国・日本がポツダム宣言を受諾して、世界に先駆けた非武装憲法を受け入れたのは何故か。その経緯を思慮すれば、容易にわかるはずである。
 キーワードは「必要最小限の実力」であろう。陸・海・空の戦力を持たないと規定する九条2項にもかかわらず、自衛隊創設にあたって「必要最小限の実力」は持てると解釈。また、国連憲章第51条で「個別的及び集団的自衛権を有する」との規定にもかかわらず、集団的自衛権を行使できないのは「必要最小限の実力」を超えるからとの理屈であった。

        各国の反応

 安倍政権は、何かにつけて中・韓両国を嫌悪し牽制するが、皮肉にも両国を勢いづかせ国際社会で孤立しつつあるのではないか。戦後70年ちかく大切に堅持してきた〝最高の至宝〟「第九条」を自ら手放すほど愚かな行為はあるまい。
スポンサーサイト

米国の戦力見直しと日本外交

 来年は戦後70年を迎える。日本の政府はこんにちまで長い間、米国というフィルターをとおして世界を眺め、米国の(核)戦力に依存してきた。しかし現在、中国の著しい台頭によってアジアの戦略環境は大きく変化している。何より米中間の「相互依存」が顕著だ。

       アラメダ基地
    (閉鎖されたアラメダ米海軍基地を視察する佐世保地区労基地視察団。99年)

 米国の軍事戦略や戦力の見直しの大きな節目は、冷戦終結と9.11米国同時テロ事件だ。
冷戦後、世界唯一の超大国を自負する米国は「二正面での戦争を同時に戦う」ため、欧州に10万人・アジアに10万人の兵力を維持するとした。
 ブッシュ大統領(父)は、冷戦期の在外兵力を新たな環境に即応できる戦力へ再編するGPR(グローバル・ポスチャー・レビュー)に着手した。在日米軍の再編はその一環である。

      サンディエゴの市民団体と交流
      (サンディエゴの市民と交流する佐世保地区労・基地視察団。99年)

 同時に、米国内の基地も閉鎖・再編法(BRAC、90年)に基づき5回にわたって進めた。その結果、主要な基地の97カ所が閉鎖・55カ所が統合された。さらに、現在、319カ所の主要基地を6年間で33カ所が閉鎖・29カ所が統合される計画である。

     c7-2-1[1]

 9.11米国同時テロ事件が起きたのが01年。これをきっかけに始めたアフガン・イラク戦争で10年間に費やした戦費は約1兆ドル(約102兆円)、年間で7千億ドル(約71兆円)に膨らみ、財政赤字の大きな要因となった。
 オバマ政権は2年前、今後10年間で4900億ドル(約50兆円)以上を削減し、陸軍55万人を今後10年間で49万人以下に削減、海兵隊も20万人を15年までに2万人以上削減する方針を打ち出した。――冷戦後維持した「二正面戦力」を放棄した訳である。

     12.1.6朝日・二正面戦力を放棄 - コピー
       (朝日新聞 12年1月6日付)

 安倍政権の外交政策は、近隣諸国の反発を招き、米国からも失望されて、国際的に孤立しつつある。
 どうすべきか?――中国・韓国とは首脳会談のための環境を整えて、従前の友好関係に戻ることだ。また、米国とは、「思いやり予算」と米軍再編経費の大胆な削減・見直しを有力な「外交カード」として使えば、「普天間移設」問題の解決や在日米軍基地の閉鎖・統合も可能なはずだ。

   img-Y27105402-0001.jpg

 必要なのは、米国の反発を恐れぬ日本政府の決断であると思う。

NHKの人事に異議あり!

 このところ、NHKの新会長や経営委員の相次ぐ発言に、開いた口が塞がらない。歴史認識がまったく誤っており、しかも著しく品性に欠けるからだ。

   籾井勝人会長
     (国会で参考人として答弁する籾井・NHK会長)

 籾井勝人新会長は、従軍慰安婦について「戦争をしているどこの国にもあった」、強制連行については「(韓国は)お金をよこせ、補償しろと言っているが、日韓条約で解決済みだ」、尖閣、竹島などの領土問題では「政府が右ということを左というわけにはいかない」と述べた。

   百田尚樹
     (百田尚樹)

 経営委員・百田尚樹は、「南京大虐殺やアジア侵略などは大嘘だ」と語り、都知事選では田母神候補の応援に立ち「他の有力と言われる三候補は、いずれも『人間のクズ』だ」と演説した。

 長谷川三千子 野村秋介
   (長谷川三千子)                   (野村秋介)

 同じく経営委員・長谷川三千子は、戦後新右翼の代表格とされる野村秋介の追悼集会(昨年10月)に、自殺を称賛する追悼文を送った。野村は、ある件で朝日新聞東京本社を訪れ拳銃自殺を図った事件で知られる。追悼文には――「すめらみこと いやさか」と彼(野村)が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であった、と書いている。
 野村の弟子を自認する蜷川正大は、「(長谷川は)保守論壇で最も尊敬する学者の一人」と語る。

    長谷川氏の追悼文
     (朝日新聞 2月6日付)

 放送法は、放送事業者に「政治的公平性」を義務付けている。しかし、長谷川を経営委員に推薦した政府の判断は「我が国を代表する哲学者、評論家として活躍しており、我が国の文化にも精通している」として適切だったとしている。

     安倍晋三
      (首相・安倍晋三)

〝類は類をもって集まる〟とはよく言ったものである。
 野村の思想を受け継ぐ「一水会」の幹部は、かつて「『愛国心』は悪党の最後の隠れ家だ」と言っていた。写真の面々はもとより、国会の与野党の中にもずいぶん“悪党”がいそうだ・・・。

     175168551_624[1]
      (「一水会」)

 過去の歴史を否定したり、銃剣によるテロ行為を称賛し他人を貶めるような人物に、国家の安全や国民の幸福を語る資格などない。籾井や長谷川、百田は、NHKの新会長や経営委員を即刻辞任すべきである!

「東大紛争秘録」と佐大闘争

 先月末のNHKドキュメント現代「東大紛争秘録~45年目の真実」を興味深く観た。当時の教授たちの紛争に係る極秘座談会の議事録(600頁)が某教授宅に保存されていたのをNHKが入手した“第一級資料”のドキュメントだ。

     東大・安田講堂の攻防
      (東大紛争~安田講堂の攻防。69年)

 「東大」というネームバリューと「安田講堂の攻防」の派手さには負けるけど、一票投票による118日間の長期ストライキを闘った「佐賀大学闘争」(67~68年)の方が優っていると思った。学寮の電気・水道料金の負担を巡る学生自治会と大学側との交渉に端を発する闘争であった。当時の文部省や大学当局が脅威を感じたのは、発煙筒などで暴れた外部の過激勢力ではなく、三池闘争を手本にした大衆的な学生闘争であった。

      67.6.27全学ストを決議した総決起集会 - コピー
      (全学ストを決議した総決起集会。67年6月27日)

 結局、文部省・大学当局は機動隊導入によってストライキと大学自治を破壊した。教授陣の中にも異論があった処分の乱発(三次にわたって、退学22人・停学19人・訓告2人)と学内への機動隊導入によって、「佐大方式」という不名誉な呼称を得たのだった。おかげで私は、逮捕・長期拘留の末「無期退学処分」で大学を追われるハメとなった。三池闘争を指導した向坂逸郎・九大名誉教授が説得に来たのを玄関払いした田中定学長(故人)は、マルクス経済学者だったから皮肉なものだ。

       67.10試験阻止闘争に機動隊導入 - コピー

 私を含む8人が「教授監禁」などを理由に起訴され、長期裁判の末73年1月、5~3か月の実刑(執行猶予1年)判決が下された。
 学生側の闘争記録には、「弾圧に抗して」「闘争20周年記念誌」や裁判闘争記録などが保存されているが、東大のように大学側にも「議事録」が必ずあるに違いない。当時の教授たちは殆ど他界されているが、なんとか探し出したいと思う。

      佐賀地裁前での抗議集会 - コピー
       (佐賀地裁前での抗議集会。)

 念のために佐賀大学のHPを検索していたら、「佐賀大学美術・工芸小史」に目がとまった。なんと!--「美術・工芸教室の学生ではないが、最近、処分され二度と佐大に戻ることがなかった学生の中から国会議員が誕生したが、佐大を愛する気持ちは今も変わらないそうである」と記述されている。
「最近」というのは11~12年前のことで、当時の学長が議員会館の僕の部屋を訪ねてこられて、「佐大史上初の国会議員であるあなたを誇りに思います」と言われたのを覚えている。心の中では「不名誉な退学処分を取り消してくれ!」と叫んでいたけど・・・。

弾圧に抗して。闘争中間総括 - コピー 79.6裁かれるべきは誰か、最終号 - コピー


 数十年ぶりに闘争資料を読み返し、亡き両親に大変な心労をかけたものだと申し訳なく思う。何としても、極秘資料を探し当てて、NHKドキュメント現代の企画に載せたいものだ。
最新記事
カレンダー
01 | 2014/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 -
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

FC2USER537587ATX

Author:FC2USER537587ATX
今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)