赤崎岸壁と原潜問題
SSKと基地問題で書いたように、佐世保の基地(米軍、自衛隊)の現況について数回に分けて説明したいと思う。
(佐世保港の全景)
米海軍の施設(基地)の殆どは、占領時代に旧日本海軍の施設を接収(奪い取った)したもので、二つの弾薬施設と三つの貯油施設(内、一つは西海市)それに米艦船8隻の母港となっている。とくに、佐世保港水域の83.2%が米軍による制限水域となっているのは、全国に例がない。
(赤崎岸壁)
今回は、赤崎岸壁と原子力潜水艦(略称「原潜」)について説明する。
背後に貯油施設を抱える赤崎岸壁は、因縁曰く付きの岸壁である。
日本に初めて原潜が寄港したのは佐世保で、「シードラゴン」という名前である。(全国規模の反対闘争が取り組まれたことは、6月22日のブログに書いた)
(空母の原子炉。 原子力空母の横須賀母港化を許さない全国連絡会のパンフより)
米海軍は、原子力艦について「寄港24時間前の通告」を約束し(覚え書「エード・メモアール」)、係留場所は、「住宅地域から500メートル以上離れた所」と明言してきた。原潜の原子炉は電気出力約5万kwと推定され、港深奥部の「1号ブイ」に係留してきたが、冷戦後、民家から250メートル程の赤崎岸壁に係留するようになった。
ところが、01年の「9.11米国同時テロ事件」以来、米海軍は「24時間前の通告」を公表しないようにした。
(原子力艦の原子力災害対策マニュアル)
私は、この問題を国会(衆院予算委員会第一分科会)で質問した折、政府は「そのような数字は承知しない」とシラを切った(01年3月2日)。しかし、3年後、原子力安全委員会や中央防災会議が「原子力艦の原子力災害対策マニュアル」を策定し、「避難を計画する範囲」として原子力空母は1km以内、原潜は0.5km以内と明記した(04年3月)。初寄港から40年を経過しての出来事である。
(原潜事故想定の防災訓練)
佐世保、横須賀両市は、このマニュアルに基づく防災訓練を04年より毎年1回行うようになった。だが、肝心の米海軍は「原潜事故を想定した訓練には参加できない」として参加を拒否している。
(「隠された核事故」梅林宏道著 創史社)
だが実際には、米国やロシアなどの原子力艦の事故は何度も起きている。(「隠された核事故―恐怖の原潜、核兵器」梅林宏道著、創史社を参照)
また、米原子力艦の原子炉や核兵器の事故被害を分析した「デイビス・レポート」(88年)は、当時、関係自治体に大きな衝撃を与えた。
(長崎新聞 2008年3月7日付)
(赤崎岸壁:潜水艦母艦に接舷する原潜サンフランシスコ 13年5月15日
「リムピース」より)
実際、佐世保でも原潜「ソードフィッシュ」の放射線異常値事故(68年)や赤崎岸壁に係留中の原潜「ラ・ホヤ」のケーブル火災事故が起きている(04年)が、米海軍は情報を隠し事故を否認する。
陸上には、放射線測定のモニタリングポストが5カ所に設置され、海上でも空中・海水・海底泥などの測定をしているが、実は、このモニタリングを巡っても日米の“密約”が存在する。核問題研究家の新原昭治さんが米公文書館から入手した資料に示されていたのだ。
(1999年11月13日 サンディエゴ湾内の船上 中央の女性がキャロル・ジャンコウさん。
左端は日本人通訳)
私は、99年、佐世保地区労の米国基地調査団の一行とサンディエゴを訪れた。サンディエゴ湾には何隻もの原潜が係留されており、地元の環境・平和団体の女性リーダーキャロル・ジャンコウさんは「湾の周辺・風下地区には白血病罹患者が異常に多い。原因は原潜にあると思う」と語っていた。
(崎辺地区 96年当時の写真。現在は右側のLCACは西海市の新駐機場に移転した)
佐世保市議会は、98年、「新返還6項目」を決議して赤崎岸壁の一部返還(SSKの一時使用地区、※09年3月までに返還実現)を求めているが、周辺住民の命と健康に係る原潜係留問題には一行も触れていない。同市議会の基地対策特別委員会は、「新返還6項目」の見直しを検討しているが、米海軍LCAC跡地の返還と併せて海自・潜水艦誘致を求める声も出ていると聞く。呆れて開いた口が塞がらない!
(佐世保港の全景)
米海軍の施設(基地)の殆どは、占領時代に旧日本海軍の施設を接収(奪い取った)したもので、二つの弾薬施設と三つの貯油施設(内、一つは西海市)それに米艦船8隻の母港となっている。とくに、佐世保港水域の83.2%が米軍による制限水域となっているのは、全国に例がない。
(赤崎岸壁)
今回は、赤崎岸壁と原子力潜水艦(略称「原潜」)について説明する。
背後に貯油施設を抱える赤崎岸壁は、因縁曰く付きの岸壁である。
日本に初めて原潜が寄港したのは佐世保で、「シードラゴン」という名前である。(全国規模の反対闘争が取り組まれたことは、6月22日のブログに書いた)
(空母の原子炉。 原子力空母の横須賀母港化を許さない全国連絡会のパンフより)
米海軍は、原子力艦について「寄港24時間前の通告」を約束し(覚え書「エード・メモアール」)、係留場所は、「住宅地域から500メートル以上離れた所」と明言してきた。原潜の原子炉は電気出力約5万kwと推定され、港深奥部の「1号ブイ」に係留してきたが、冷戦後、民家から250メートル程の赤崎岸壁に係留するようになった。
ところが、01年の「9.11米国同時テロ事件」以来、米海軍は「24時間前の通告」を公表しないようにした。
(原子力艦の原子力災害対策マニュアル)
私は、この問題を国会(衆院予算委員会第一分科会)で質問した折、政府は「そのような数字は承知しない」とシラを切った(01年3月2日)。しかし、3年後、原子力安全委員会や中央防災会議が「原子力艦の原子力災害対策マニュアル」を策定し、「避難を計画する範囲」として原子力空母は1km以内、原潜は0.5km以内と明記した(04年3月)。初寄港から40年を経過しての出来事である。
(原潜事故想定の防災訓練)
佐世保、横須賀両市は、このマニュアルに基づく防災訓練を04年より毎年1回行うようになった。だが、肝心の米海軍は「原潜事故を想定した訓練には参加できない」として参加を拒否している。
(「隠された核事故」梅林宏道著 創史社)
だが実際には、米国やロシアなどの原子力艦の事故は何度も起きている。(「隠された核事故―恐怖の原潜、核兵器」梅林宏道著、創史社を参照)
また、米原子力艦の原子炉や核兵器の事故被害を分析した「デイビス・レポート」(88年)は、当時、関係自治体に大きな衝撃を与えた。
(長崎新聞 2008年3月7日付)
(赤崎岸壁:潜水艦母艦に接舷する原潜サンフランシスコ 13年5月15日
「リムピース」より)
実際、佐世保でも原潜「ソードフィッシュ」の放射線異常値事故(68年)や赤崎岸壁に係留中の原潜「ラ・ホヤ」のケーブル火災事故が起きている(04年)が、米海軍は情報を隠し事故を否認する。
陸上には、放射線測定のモニタリングポストが5カ所に設置され、海上でも空中・海水・海底泥などの測定をしているが、実は、このモニタリングを巡っても日米の“密約”が存在する。核問題研究家の新原昭治さんが米公文書館から入手した資料に示されていたのだ。
(1999年11月13日 サンディエゴ湾内の船上 中央の女性がキャロル・ジャンコウさん。
左端は日本人通訳)
私は、99年、佐世保地区労の米国基地調査団の一行とサンディエゴを訪れた。サンディエゴ湾には何隻もの原潜が係留されており、地元の環境・平和団体の女性リーダーキャロル・ジャンコウさんは「湾の周辺・風下地区には白血病罹患者が異常に多い。原因は原潜にあると思う」と語っていた。
(崎辺地区 96年当時の写真。現在は右側のLCACは西海市の新駐機場に移転した)
佐世保市議会は、98年、「新返還6項目」を決議して赤崎岸壁の一部返還(SSKの一時使用地区、※09年3月までに返還実現)を求めているが、周辺住民の命と健康に係る原潜係留問題には一行も触れていない。同市議会の基地対策特別委員会は、「新返還6項目」の見直しを検討しているが、米海軍LCAC跡地の返還と併せて海自・潜水艦誘致を求める声も出ていると聞く。呆れて開いた口が塞がらない!
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