対馬のヤマネコとカワウソ

 長崎県の対馬といえば、はるかに朝鮮半島を望むことができる離島だ。
 「ツシマヤマネコ」は絶滅危惧種で対馬だけに生息するネコとして有名だ。その対馬で最近、絶滅したはずの「二ホンカワウソ」がいることを、琉球大学や環境省が17日発表した。

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 琉球大は今年2月、自動撮影装置で1匹のカワウソが歩いているのを撮影した。映像とDNA解析の結果から、二ホンカワウソが複数いる可能性もあるという。
 また環境省は、7月中旬に追加調査でカワウソのフンのDNAを調べたところ、2個はアジアなどに住むユーラシアカワウソのものと判明したと発表した。

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     (朝日新聞 8/18付)

 調査に関わった国際自然保護連合カワウソ専門家グループの佐々木浩・筑波女学園大教授は「母親の違う別の2個体のフンという可能性が示され、まとまった数の個体が対馬にすんでいるのかも知れない」と言う。
 環境省などは、対馬で二ホンカワウソが生き残っている可能性とともに、韓国沿岸に生息するユーラシアカワウソが流れついたり、人の活動で海外から持ち込まれた可能性もあると言う。

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 二ホンカワウソは、毛皮目当ての乱獲や水質汚染で激減した。環境省は2012年、二ホンカワウソを絶滅種とした。
 水族館やペットとして飼育されているカワウソは、ユーラシアカワウソや東南アジア原産のコツメカワウソらしい。
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 イノシシやクマが民家や畑に餌を求めて出没して被害をもたらしているが、元々は人間がむやみに森林開発をして動物の住む場所や餌場を奪ったことが原因だ。
 最近の豪雨災害は気候変動によるものだが、その遠因は人間のCO2排出などの環境破壊にあるのではないか。しかも、その人間の活動はたかだかここ100年ほどの間によるものだ。
 自然界からの〝警告〟をもっと真摯に受け止めるべきではなかろうか。
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将棋界の新星・藤井聡太と私の囲碁歴

  いやー、恐れ入った!まさしく〝天才棋士〟だ。
 デビュー後28連勝、14歳の金字塔。将棋界に彗星のように現れた中学生棋士で、いま話題沸騰の藤井聡太4段のことだ。

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     (朝日新聞 6月22日付)

 対局後のインタビューなどでの応対も実に冷静で、大人の風格さえ感じさせる。
 将棋を覚えて10年に満たない少年がどこまで記録を塗り替えるか。来週の対局で勝つと、前人未到の「29連勝」となる。
師匠の杉本7段は「とにかくセンスが素晴らしい。タイトル獲得の最年少記録も十分狙える」と期待を込めている。

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     (井山裕太・6冠)

 将棋界に比べて囲碁界は、井山裕太・棋聖が6冠(本因坊・王座・天元・碁聖・十段)を独占し、高尾紳路・名人から奪取を狙う勢いだ。若手では一力遼、伊田篤史、村川大介らがいるけど、ビッグタイトルにはほど遠い。
 女流では、謝依旻のタイトル独占に若き藤沢里菜が挑んで女流名人と女流本因坊を奪取して、〝謝・藤沢時代〟となっている。

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     (謝依旻・女流3冠)
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          (藤沢里菜・女流2冠)

 私が囲碁を覚えた頃は「加藤本因坊・劔正」の時代だった。木谷實門下の石田芳夫、武宮正樹と共に「木谷三羽烏」と呼ばれ、本因坊・十段・天元・王座・鶴聖の5冠を独占して、〝殺し屋・加藤〟とも呼ばれた。福岡出身で私と同じ年でもあり、大好きな棋士だったが、2004年に日本棋院理事長に就任、同年、脳梗塞で倒れて帰らぬ人となった(享年57歳)。

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     (加藤正夫・元本因坊)

 大病前は、日本棋院の「幽玄の間」で毎夜焼酎を飲みながら、対局と会話を楽しんだものだった。最近は、禁酒中でもあり打つ意欲が萎えて、もっぱらプロの対局を観るだけだ。棋力も2段からまったく上がる気配はない。
 日本棋院といえば、新理事長に高校同期の秀才・團宏明氏が就任した。

 最近、私の周りで知人が「認知症」に襲われている。脳の働きを維持するうえで、囲碁を楽しむのは妙薬かも知れない。
 焼酎抜きで打ってみるとするか!

「骨髄移植」から5年、単調な生活にも慣れました。

 今月は私にとって格別の意味がある。――リスクの大きな「骨髄移植」からちょうど5年を経過した。担当医の説明によると「一つの峠を越えて、再発リスクが低下する」という。
 この10年ほどの間に、多くの友人がガンで他界している。高校同期会のM会長、T実行委員長、N次期委員長(予定)らは肺ガンや前立腺ガンだった。
現代は「二人に一人はガンに罹患する」時代というけど、医療技術や医薬品の目覚ましい研究・開発で、「早期発見」できれば治癒すると言われる。

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     (長女がくれた、経過5年を「5歳」にもじった祝ケーキ)

ただし、血液ガンだけは原因が不明で予防の方法がないらしく、「急性骨髄性白血病」の場合の生存率は5割と宣告されて、生きた心地はしなかった。
運よく回復してきたのは、担当医師や看護師の適切な治療はもとより、妻や子供らの支えが大きく、前向きに生き抜く気力を与えてくれたと感謝している。

 ごく普段のなんでもない日常生活なのだけど、大病を克服しつつある実感に満足を覚える。食事が美味しくいただけるのが体調の良好さを示しているようだ。
ただし、体重が8㌔も減って戻らず、体力は情けないほど低下した。胃腸の吸収力が弱いとのことで、毎日ウォーキングすることが大切で血管の老化を予防する効果もある。
ところが私は、寒い、暑いと言ってはウォーキングをさぼり、毎日、パソコンの前にへばりついている〝パソコン依存〟爺さんになりきっている。

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     (庭のボケの花)

 昨秋、長女の結婚披露宴のときは「生きていてよかった」と涙をこらえきれなかった。
やがて、長男や次女も晴れやかな日を迎えるに違いない。
遠くないうちに孫たちに会えるだろうと思うと、自然に気持ちが弾んでくる。

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 先日、芸能界きっての〝おしどり夫婦〟中尾彬と池波志乃がTVで語っていた。――生い先短いのだから、身の回りのものを思いっきり整理・処分したらスッキリしたと。
私も見倣って、まず本だなの本を処分し始めた。若いころ読み漁ったマルクス、レーニンなど革命家の著作、労働運動の関係など並べておくだけで読むことはないだろう。買った本は相当な冊数だが、そのうち三分の一も読んでいない。

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 ところが、マンガ本だけは処分したくない。白土三平や横山光輝、ちばてつやにバロン吉本、水島新司はそのまま残した。
きっと、マルクス、レーニンは恨んでいることだろう。「俺たちの本よりマンガ本のほうが大事なのか?!」って・・・。読む力が落ちてしまって、〝硬派〟の本は敬遠気味だ。
まあ、気ままにのんびり過ごしていきたい、と思うこの頃である。

井沢八郎「あゝ上野駅」と工藤夕貴

 井沢八郎――懐かしい名前だ。BS11の「あのスターにもう一度遭いたい」で登場した。(2016年12月20日)
 娘が語る井沢八郎の想い出。娘とはいうまでもなく女優・歌手の工藤夕貴だ。着物姿で出演し、涙を浮かべながら愛情をこめて〝パパ〟のことを初告白した。

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――父は舞台に立つとまるで別人。あの素晴らしい歌声は演歌でないような、ソウルミュージックに近い。とても不器用な人で、父親らしいこともなく親子の会話もあまりなかった。
 工藤夕貴は、国内だけでなくハリウッドを中心に国際的にも活躍し、ブルーリボン賞などを受賞している。
 番組の最後は、父の数ある曲のなかで一番好きだという「北海の満月」を熱唱した。

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 井沢の略歴。――本名・工藤金一。中学卒業後、歌手を目指して上京。作曲家・大沢浄二と出会って「男船」でデビュー。第二弾の「あゝ上野駅」が大ヒットし代表曲となった。
 やがて結婚し一女一男をもうけたが、相次ぐスキャンダルで離婚。05年頃、食道がんが見つかり手術を受けるが、07年、上野の永寿総合病院で死去。享年69歳。亡くなった1月17日は、奇しくも娘・工藤夕貴の誕生日だった。

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 敢えて今頃井沢八郎のことを書いたのは、「あゝ上野駅」への思いがある。戦後日本の世相を反映する名曲だ。東北地方からの集団就職列車は「上野駅」で「金の卵」と呼ばれた若者たちが降り立った。
 彼(彼女)らの涙ぐましい労働こそ日本の高度成長をもたらしたと言っていい。「あゝ上野駅」は団塊の世代を中心に「心の応援歌」として多くの人々に勇気と感動を与えたのだった。(若い労働力を都会に吸収されて、地方の疲弊・衰退は拍車がかかった。交付金で地方に危険を押し付けて、その電力で豊かな生活を享受する都会の構図と似ている。)
 03年には上野駅前に「あゝ上野駅」の歌碑が完成し、13年には13番ホームの発車ベルに採用された。

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 もう一つの理由は、私の亡父が「これこそ本物の歌手だ」と井沢八郎を高く評価していたことだ。とくに、清酒・白雪のCMソング「白雪の唄」を、「酒が倍うまくなる」と気に入っていた。
 井沢八郎の歌を聞くと亡父のことが偲ばれる。 昔は遠くなりにけり。

稀勢の里が初優勝、横綱へ昇進

 長年応援してきた甲斐があった。
 今年の初場所で、大関稀勢の里が横綱白鵬を倒し14勝1敗の成績で初優勝した。これを受けて横綱審議会は昨日(1/23)、全会一致で稀勢の里を横綱に推挙した。

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     (千秋楽、横綱・白鵬を破る)

 稀勢の里が平幕のとき、双葉山の記録(69連勝)を目指した横綱白鵬を63連勝で止めて、一躍注目を浴びた。貴乃花に次ぐスピード出世だったが、大関昇進までは所要42場所と史上5番目に遅かった。

 大関になってから何度も優勝の機会があったのに、気が弱いのか賞杯に手が届くことはなかった。
 だが、大関陣が総崩れ(琴奨菊が大関陥落、照ノ富士がカド番、豪栄道は8勝止まりで休場)の中、稀勢の里は角界入りして15年、初土俵以来休みは一日のみという体の頑丈さだ。

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     (優勝インタビューで涙を流す稀勢の里)

 今場所は2横綱・1大関が途中休場するという、願ってもない条件下での戦いでもあった。ある作家が「何でも手軽で便利な時代に、不器用とはどういうものか、を土俵上で見せつけてくれた」と言っていた。
 元横綱審議会委員の内館牧子さん(脚本家)は「バスがダメなら飛行機があるさ」と思って見ていたら、「飛行機は一気に『第72代横綱』という目的地に着いた」と例えてみせた。
 私も、稀勢の里の角界きっての誠実・生真面目さが大好きである。

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     (観客席で喜ぶ稀勢の里のご両親)

 日本出身横綱不在は第3代目若の花以来19年間。相撲協会や横綱審議会は千秋楽の対白鵬戦を待つことなく「横綱昇進」を口にした。
 新聞などメディアでは、「内規を満たしていない」「昇進判断が甘すぎる」との批判も出た。確かにせっかち過ぎるし、横綱になってから大きな負担となる。

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     (朝日新聞 1月23日付)

 いずれにしても、久しぶりの4横綱時代、しかも正代(前関脇)や御獄海、遠藤などの若い世代の台頭著しく、土俵は一層盛り上がりそうである。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)