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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)

 七夕祭りと天の川。宇宙の起源は約130億年前と言われる。私たちの属する太陽系は天の川の端っこにある。

      天の川銀河
      (天の川銀河)

 人類の起源―石器時代は約200万年前だ。では、日本に人類が登場したのはいつ頃か。
 今月11日~14日の朝日新聞の記事が興味深い。

――最初の「日本列島人」は3万年以上前に、海を越えてやってきたと分かった。旧石器時代の今から3万8千年前ごろになって突如、遺跡が多数現れるからだ。
 朝鮮半島から北部九州への「対馬ルート」、台湾から琉球列島を北上する「沖縄ルート」、大陸北側からシベリア経由の「北海道ルート」の三つが存在したと考えられている。

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――「沖縄ルート」に着目するのは、琉球列島で近年、旧石器時代の新たな発見が相次いでいるからだ。石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡で2万7千年前の人骨が見つかり、沖縄本島のサキタリ洞遺跡では2万3千年前の貝製の世界最古の釣り針が確認された。
台湾付近から、舟で黒潮を乗り越え、最も近くの与那国島へと渡り、さらに琉球列島を島伝いに舟で北上したのではないか。この仮説を古代の舟で航海して実証しようというのが「3万年前の航海、徹底再現プロジェクト」(国立科学博物館)だ。
 当時の技術で考えられるのは、手こぎの草舟、竹舟、丸木舟など。現地の材料を当時の道具で加工できるか確かめて、風や星で方角を読み取るすべを学んで航海する。

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――彼らはなぜ日本列島をめざしたのだろうか。
 過去5万年間にアフリカから世界中に広がっていった私たちの祖先は、技術を用いて、寒冷地にも向かった。
 米大陸に到達すると、わずか千年足らずで北から南に縦断したらしいことも分かってきた。

――金沢大学の研究グループは、約2500年前の縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析した結果、約8千年前の東南アジアの遺跡で出土した古人骨から得られたゲノム配列と似ていることが分かった。
 この結果を東南アジア各国の遺跡で出土した人骨や現代人のデータと比較すると、先史時代の人々は六つのグループに分類できることが判明。そのうちの約8千年前のラオスと、約4千年前のマレーシアの遺跡で見つかった人骨のグループのゲノム配列の一部が、伊川津貝塚(愛知県田原市)の人骨と酷似していた。
 同研究グループは「東南アジアの一部にいた人々と、日本列島の中央に位置する伊川津貝塚の縄文人が、遺伝的に深いつながりのあることが実証された」と話している。

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 専門家たちの気の遠くなるような研究に敬服する。これからもどんな発見があるのだろうか?
 人類の起源、宇宙の始まりと終末とはどんなものか、興味は尽きない。
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  アニメ界の巨匠・高畑勲さんが肺ガンのため、今月5日亡くなった。享年82歳。

     高畑勲

 68年の「太陽の王子 ホルスの大冒険」で映画監督デビュー。
 TVで人気を博したアニメ「アルプスの少女ハイジ」。「母をたずねて三千里」も長期間放送の名作だ。

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 最近は、映画製作会社「スタジオジブリ」の多くの作品で宮崎駿が有名のようだけど、先輩格の高畑さんが85年共同で設立した会社だ。

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 中でも深く印象に残った作品は「火垂るの墓」(88年)、野坂昭如の原作だ。戦前の兵庫・西宮などの街並みを正確に再現した上で、空襲の惨禍と、やせ衰えていく幼子を描ききった。最後は、兄も駅頭で野垂れ死にする最後のシーンが、あまりにも哀れで涙を誘った。
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 このほか、「風の谷のナウシカ」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」などのヒット映画を輩出、「かぐや姫の物語り」(13年)は米アカデミー長編アニメ賞候補になった。
 コミック誌で大人気となった「じゃりン子チエ」の映画化が高畑さんの監督とは知らなかった。

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 少しかわった作品では、水郷のまち・福岡県柳川市を舞台とした記録映画「柳川堀割物語」(87年)がある。柳川の汚れた水路(堀割)をよみがえらせようとした市民運動を記録したものだ。

 「パクさん(高畑の愛称)は、漫画映画が心理的なものを深く描ける表現方法だと立証してくれた。それが日本のアニメの特色になっていく。大変な功績です」と、宮崎さんはたたえている。(朝日新聞の「評伝」4/6付より)
  光武顕・元市長が今月米寿を迎えられた。
 光武さんとのお付き合いは、佐世保市長選挙(1995年)がきっかけなので23年ほどになる。

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     (柘植大二郎・元連合議長)

 光武さんは、長崎県議を4期15年(1971年—1986年)、衆議院議員を1期(1990年—1993年)勤めた。
 その後、1995年の佐世保市長選に挑み、三つ巴戦を制して初当選する。当初は、県議会議長を経験したベテランの宮内氏が優勢と見られたが、連合や地区労、友愛連絡会などに加えSSK(佐世保重工業)が光武さんの支援にまわったのが大きかった。
 この選挙に関しては、石橋政嗣・元衆議院議員(社会党委員長)から批判の声が出た。
村山政権(自・社・さきがけ)を手厳しく批判して社会党を離党。「地方まで自民党と組むのか」と言う訳だ。
 
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     (光武顕・元佐世保市長)

 しかし、日頃から日教組や労働組合を目の敵にする宮内氏が市長となれば、労働組合とりわけ市役所や水道局、交通局の職員は厳しい状態に追い込まれるのは目に見えていた。地区労事務局長だった私は、そういう危機感から光武氏と「政策協定」を交わして闘いに臨んだのだった。

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    市長在任中は、公共事業などのハード面をおさえ、介護保険や育児などの福祉面に力を入れた。
 また、前畑弾薬庫の撤去など、基地問題にも精力的に取り組んだ。

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 連合佐世保地協の結成を前後して、労働団体の幹部は年に数回懇親交流会を重ねていたが、途中から光武新市長が加わって「光武懇親会」となった。
選挙当時の苦労話しや政治論評など話題は尽きず楽しいひと時を過ごしたものだ。そして、初当選から20年を一区切りにやめることになった。
 ただし、私には時々昼飯のお誘いがあり、某レストランで政治談議に花を咲かせたのだった。

     18.2.9朝日・宮内県議が職員に「寄付強制」
     (朝日新聞2/9付)

   今年2月、宮内雪夫氏の不正事件が発覚した。彼が理事長を務める社会福祉法人「長崎博愛会」の施設職員らから「強制的な寄付集め」が行われていたと、内部告発があったのだ。さらに、3人の施設職員は実質的に「秘書活動」を行っていたというのだ。
 「強制的な寄付集め」の総額は約2億円に及ぶ。これらの行為は政治資金規正法に違反するものだ。
 宮内市長が誕生していれば、市政は完全に私物化されていただろう。
  「節分の日」。初めて、先月生まれたばかりの孫と迎えることができた。格別の喜びでいっぱいだ。
 本当は、先月、初孫誕生のことを書きたかったのだけど、ママとなった長女がブログやフェイスブックなどに写真を載せたり書いたりしないでと注文をつけた。ネット情報は便利だけどリスクもあるので、要注意だと言う。

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     (28年前。左端が長女)

 生まれたのはとても元気な女児で、安産だった。パパとなった娘の連れ合いは、買ったばかりのビデオカメラで出産の様子を丹念に撮っていた。
 長女が生まれた時、私は出勤中で出産に立ち会えず、ビデオカメラも持ってなかったので一眼レフカメラで撮ったものだ。
 夫の実家にとっても〝初孫〟で、とても喜んでおられた。

     83年7月、史子の百日祝い
     (1983年7月。百日祝いで祖父に抱かれた長女。)

 亡父が、「〝内孫〟で最初の子だ」と言って、その可愛がりようといったら格別だった。(「外孫」は4人)
その長女が、初めて赤ちゃんを産んだのだから、この上ない感動を覚える。「古稀」となって晴れて「オジジ」と呼ばれる身分となった。
 
 私が大病で入院した時、生存率は5割と言われながら無事に退院して現在があるのは、妻や子どもらの支えと同時に自らの覚悟だった。
 「孫に会うこともなく、この世を去りたくない!」という一心で頑張れたように思う。

       千佳ちゃん、わが家へ1.20
       (初孫を抱く私)

 娘と孫は今月中旬まではわが家で過ごした後、自分のアパート(車で約10分)に戻る予定だ。
 毎朝、孫の可愛い顔を見るだけで楽しい。
 これから、お宮参りや百日祝い、おひな祭り(節句は来年)などお祝い事が続く。
 やがて、首もすわり、這い這いを始めて、立つようになるまで1年も要しないだろう。

  ❝這えば立て 立てば歩め の親心❞

 大きな怪我や病気をすることなく、元気に成長して欲しいと心より願う。
 新年あけましておめでとうございます。
 
       18年の年賀状_色変換済 - コピー

 今年こそは良い年になればと願うけど、先行きは暗雲が立ち込めているようだ。
安倍首相は、昨年の〝国難突破〟選挙で与党が三分の二議席を確保して、「今年は憲法改正に本腰を入れたい」と年頭所感で述べた。
 各紙も「憲法改正」に関する特集や連載記事を載せていた。

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 自民党は、年内に国会で改憲発議して、来年の天皇退位と新天皇即位前に国民投票で改憲を実現する予定だ。自民党内には石破元防衛相らが「憲法改正草案」を基に、9条3項に自衛隊を明記することに異論を唱えているが、安倍首相案に収束する見込みだという。
 与党内では、公明党が創価学会などの反対論を背景に慎重な構えだ。
 野党では、立憲民主党を筆頭に民進・共産・社民・自由などが「安保法制」違憲との立場から「安倍改憲」に反対している。
 同じ野党でも、希望の党や維新の党などは「憲法改正」に積極的である。

 私も「憲法改正」を頭から否定するつもりはない。どうしても憲法を変えないと現実に対処できないときに、初めて改正の必要が生じる。そうした切実な事態に基づいて議論され、合意形成がなされていくべきものだと思う。
 ところが、安倍首相などは、「押しつけ憲法だから、変えること自体に意義がある」と「戦後レジームからの脱却」を訴えている。
 この主張は憲法制定の経緯をはき違えており、現憲法は戦後の運用の中で実効性をもって定着しているのが常識だ。
 
 改憲ありきの政治家たちは、「自衛隊の明記」や「教育の無償化」、「緊急事態条項」などを主張するが、本当に改憲しないと対応できないという事態ではなく立法での対応で済む問題だ。
 具体的な不具合ではなく「変えるため」に合意を得やすい部分を探すような議論は、ためにする改憲と言うべきだ。

 「安保法制」については当ブログで何度か言及してきた。
 ご承知の通り、安倍政権は「集団的自衛権」は違憲だとする歴代政府の憲法解釈を変えて、「一部容認」を閣議決定して「安保法制」を成立させた。
 安倍首相は、9条に第3項を加えて自衛隊を明記すると言う。第2項と矛盾するなら、「後法優位」の原則から2項は死文化し、フルサイズの集団的自衛権を認める道が開かれかねないという。(高見勝利・北海道大名誉教授)

 自衛隊のあり方についても、当ブログで何度か言及してきた。
 果たして「シビリアンコントロール」は機能しているのか?この数年、「北朝鮮の脅威」を理由にして、きわめて高額な武器を米国から導入してきた。その選定にあたっては「制服組」の言うがままだ。
 「武器輸出三原則」を事実上捨て去り、他国との武器開発にばく進し、「攻撃的兵器」へと触手を伸ばしている。
 かつた、後藤田正晴・元官房長官は、「アリの一穴から大堤防も決壊する」と警鐘を鳴らしておられた。現状は後藤田氏の指摘通りである。

 政府・防衛省は、「専守防衛」原則を超えていっそう米軍との一体化(従属物)を進めている。自民党の政治家たちは、自衛隊員の人権保障などまったく眼中にない。
 立憲民主党をはじめ野党は、「安保法制」に反対するだけでなく、自衛隊の改革・再編と自衛隊員の人権確立(「軍事オンブズマン制度」)について具体的構想を示さなければならないと思う。

 9条改憲の陥穽にはまることなく、国際社会との協調と国民生活の安全に向けて、日米安保の見直しや自衛隊の諸原則復元を図ることこそ政治に求められていると考える。

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