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『三国志』がおもしろい

 私の好きな漫画は、『カムイ伝』だ。すでにかなり以前、書いた覚えがある。長期連載でファンを魅了してきたが、後半からは実弟の岡本鉄二による〝劇画〟となっている。三部作を予定していたが、第三部は未定で〝未完の大作〟となりそうだ。

   IMG_20190903_144117.jpg

 次に好きな漫画家は横山光輝で、とくに「水滸伝」から「史記」に至る中国ものが面白い。吉川英治の小説などをわかり易く脚色しているようだ。
 朝日新聞の「天声人語」(9/3付)が「三国志」について書いている。劉備や曹操などの人物評価が、日本と中国ではずいぶん違う。
 引用してみる(今夏、『三国志演義事典』を共同刊行した仙石知子さんによると)

   曹操
   (曹操)  

 *曹操(魏)は、あくらつな計略家のイメージが強いが、中国では改革者として評価が
高い。

   劉備玄徳
   (劉備玄徳)

 *劉備(蜀)は、情に厚い指導者かと思いきや、中国では「大事な局面でメソメソ泣く敗者」という声も珍しくない。
 *ところが、劉備を支えた武将・関羽は、日本でも高い人気を誇るが、中国では清代以降、国家の守護神としてあがめられ、関羽をまつる「関帝廟」が津々浦々にある。日本でも中国とゆかりの深い横浜や長崎には「関帝廟」がある。

   関羽
   (関羽)

 *NHK人形劇では、諸葛亮孔明は気に入った強者たちを数多く起用して、劉備の座を奪う準備をしていたというから、驚きだ。

   諸葛亮孔明
   (諸葛亮孔明)

 今、何かと日中間は友好関係が薄れているが、「三国志」は両国で世代を超えて広く愛さ
れてきた。
 中国では文芸や京劇、映画を通じて老若男女に浸透している。日本でも、吉川英治の小説、横山光輝の漫画、NHK人形劇で知られる。
 「三国志」から生まれ、両国で同じ意味をもつ故事成語も少なくない。「三顧の礼」「苦肉の策」「泣いて馬謖を斬る」など・・・。
 何といっても、英雄・豪傑など数え切れぬほど登場してきて、興味がつきない。

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私にとって記憶すべき「6月」

 1週間ほど前、梅雨入りまえに家の内外の掃除を済ませようと思って張り切ったのが仇になった。寝返りもできず、パソコンに向かって作業するのも難儀な状態だ。

 ところで、6月は私にとって思い出深い月である。
 遡ること半世紀、「佐大闘争」で大学を追われて佐世保地区労に入局(書記)したのが6月1日。翌2日に米軍のF4ファントム偵察機が九州大学に墜落。沖縄戦の組織的戦闘終結に基づく「慰霊の日」と「反安保闘争」。母の命日が14日。……など。

  67.6.27全学ストを決議した総決起集会 - コピー
  (全学ストを決議した総決起集会)

 翌年から、米原潜の放射能漏れ事故(佐世保・5月)と米軍機の九大墜落を契機とした九州ブロックの青年労働者による「6.1闘争」が始まる。私も含めて多くの青年が感性を磨き問題意識を深めて、各県の労働運動のリーダーへと育っていった。

  図1・佐世保橋の攻防2
  (空母エンプラ闘争・佐世保橋の攻防)

 6月に限らず通念的にみると、いわゆる〝メモリアルデー〟に合わせた反安保・反基地・反核闘争が毎年続く。
 3.1ビキニデー、5.3憲法記念日集会、5.15沖縄平和行進、6.23反安保集会、8.6~8.9原水爆禁止世界大会、10.21国際反戦デー、護憲全国大会(11月)12.8不戦の誓い集会……など。
 佐世保にとって記録されるのは、原潜「シードラゴン」入港反対闘争(1964年)と原子力空母「エンタープライズ」入港反対闘争(1968年)である。

  九大にファントム墜落 - コピー

 こうした闘いの継続は、時の政治にも大きな影響を与えるものであった。
 世界は今、「米ソ冷戦」から「米中覇権争い」へと大きく変化しており、在日米軍基地の根本的見直しによる基地閉鎖・縮小が求められる。
 さらに、原発を巡る状況は世界的にも「脱原発」の流れが強まり、日本でも核燃料サイクルの破たんは明瞭であり、原発に依存しない社会のあり方を追求すべき時代ではないのか。
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まさに快挙だ!ブラックホールを初撮影

 これは驚いた、快挙だ!あらゆる物質をのみ込む巨大ブラックホールの撮影に初めて成功したという。

  1.BBVNxyD[2]ブラックホール19.4.10

 「ブラックホール」とは、とても大きな重力で何でも吸い込み、光も抜け出せない「真っ黒な穴」のことだ。アインシュタインは相対性理論からその存在を予言していた。
 また、エネルギーを放出して最後は消えてしまう「蒸発」が起きることも、ホーキング博士が予言している。

  2.ブラックホールの構造19.4.11

 今回捉えたM87銀河にある巨大ブラックホールは、地球から5500万光年離れており、重さが太陽の65億倍あり、半径200億㌔以内に入れば二度と抜け出せなくなる。
 半径300億㌔には、光が取り巻く「光表面」がある。その外側には円盤状のガスが光に近い速さで回っており、最大60億度もの超高温になり、明るく輝く。

  3.ブラックホールを撮影する仕組み19.4.11

 今回観測したブラックホールは、地球から5500万光年の距離にあり、約138億光年の広がりがある宇宙では「ご近所」だという。より遠く古いブラックホールを撮影できれば、進化の過程について情報を得られる。
 また、周囲のガスの動きなどから、ブラックホールの回転速度が分かる可能性があり、銀河の星々をつなぎとめる重要な天体について、理解が一気に進むという。

  4.朝日・暗黒物質の分布解明 15.7.3

 ブラックホールの撮影計画は、2006年頃始まった。米国や欧州など17の国・地域から207人の研究者が参加している。
 研究チームは、南米チリのアルマ望遠鏡を中心に、ハワイ、アリゾナ州、メキシコ、スペイン、南極にある八つの電波望遠鏡で観測した。口径は地球の直径に近い約1万㌔になり、人間の視力に換算すると、「視力300万」を実現したという。

  5.アインシュタイン
  (アインシュタイン)

 日本にある望遠鏡は使われなかったが、22人の「研究チーム」は受信した膨大なデータの通信装置を設置。さらに、完全な画像を得るため少ないデータで高品質の画像を得る技術を開発した。
 まさしく、国際協調のなせる業で世界の平和の実現にも資すると言える。

  マゼラン雲
  (マゼラン星雲)

 日本研究チームで代表を務めた本間希樹教授(電波天文学)は語る。「天文学の過去100年にわたる問いに対する、現代科学の究極の到達点だ。ブラックホールを直接撮影して研究する新たな時代が始まった」。
 「地球サイズ」の望遠鏡でも不足するので、宇宙に打ち上げた電波望遠鏡を組み合わせ、さらに巨大な望遠鏡を作る構想も出ているらしい。これからが楽しみだ!
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製鉄の起源に新たな説

 「製鉄」――人間の歴史を変えた「最大の発明」と言われる。日本の調査団が製鉄関連の最古級の遺物を発見したという。以下、朝日新聞(3/25付)より抜粋してみる。

 見つかったのは、酸化鉄を多く含む分銅形をした直径約3㌢の塊。トルコのカマン・カレホユック遺跡で「中近東文化センターアナトリア考古学研究所」(大村幸弘所長)が、2017年9月、紀元前2250~同2500年の地層から発見した。

  カマン・カレホユック遺跡の地層
  (朝日新聞 2019.3.25付)

 遺跡は、「鉄と軽戦車」を武器に古代オリエント世界で栄えたヒッタイト帝国(紀元前1200~同1400年)の中心部に位置する。
 帝国は先住民が発明した「最新技術」の製鉄を独占して軍事的優勢を得たとされる。
 だが、帝国が滅ぶと製鉄技術は周辺各国に急速に普及。鉄器時代へと向かう転換点になった。
 製鉄はアナトリア地方で生まれたというのが通説だが、塊を分析したところ、地元産ではないという結果が出たため、他の地域から持ち込まれた可能性があるとみている。

  カマン・カレホユック遺跡
   (朝日新聞 2019.3.25付)

 初期の鉄製品には宇宙起源の鉄隕石を加工したものもある。そこで、探査機「はやぶさ」が2010年に小惑星「イトカワ」から持ち帰った微粒子を最先端技術で分析したところ、鉄隕石とは組成が異なっていた。
 人為的な加熱をした際に特徴的に現れる同心円状の組成分布がみられ、この塊は人間が火を使って鉄鉱石から作り出したものと確認された。

 さらに、この塊は地元で広範囲に産出される鉄鉱石とは異なることが判明。松井孝典・東大名誉教授(比較惑星学)は「塊は鉄鉱石から中間段階まで加工した『半製品』で、誰かが遠方から持ち込んだのではないか」とみている。
 これらの地層から出た建築物は、この地区の建築とは異なる様式だった。大村所長は「そこにあった古代都市が大規模に破壊され、焼け跡の上に北方から来た異文化集団が移り住んだことを示す」と説明する。

 メソポタミア考古学教育研究所の小泉龍人代表は、「鉄鉱石の原産地の特定と、アナトリアで製鉄がどう普及・発展したかの解明が今後の課題となる」。「この時期に前後して、アナトリアの東方に展開していた『トランスコーカサス系の文化』が衰退している。こういった動向と何らかの関連があった可能性もあるが、さらに慎重に調査する必要がある」と話している。

  宗像教授異考録

 いずれにしても、カマン・カレホユック遺跡での調査は1986年から続いており、関係者の熱意・執念に敬服するばかりだ。
 私は、こうした宇宙や人類の起源や歴史に大いに興味を抱いてきた。漫画で恐縮だが、かなり以前に星野宣之の『宗像教授異考録』シリーズをむさぼり読んだことを思い出す。宗像教授の専門は「鉄」なのだ。
 「火と鉄」が日本各地にどう広がっていったかを描いていて、とても興味深いものがあった。


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魅力あふれる二人の女優の死を悼む

  豊かな演技力で高い人気を誇った二人の女優が相次いで亡くなった。
  樹木希林さんが昨年9月15日、75歳。2005年に乳がんの手術を受け、全身にがんがあると公表していた。
 60~70年代は主にTVの「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの高視聴率のドラマで、風変りな人物を演じた。
 80年代には、NHKドラマ「夢千代日記」で吉永小百合さんの芸者仲間を演じた。

  樹木希林

  2000年代以降は主に映画に出演。「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(07年)、「わが母の記」(12年)で日本アカデミー最優秀女優賞を、「悪人」(10年)でも日本アカデミー最優秀助演女優賞を受賞した。
 さらに、ハンセン病の元患者役で主演した「あん」(12年)と年金を当てにされる老人を演じた「万引き家族」(18年)はカンヌ国際映画祭に参加して、「万引き家族」が最高賞のパルムドールを受賞して、その演技は国際的にも評価された。

  万引き家族
  (万引き家族)

  私が印象に残っているのは、富士フイルムのCM出演でコミカルな姿だ。とくに、1980年の岸本加世子との掛け合いが傑作だった。「美しい人はより美しく。そうでない人はそれなりに」。

  岸本加世子と

  一方、市原悦子さんは、コミカルな今年1月12日に死去、82歳。2016年に自己免疫性脊髄炎を患い、昨年12月に盲腸になり心不全で死去。
  何といっても「まんが日本昔ばなし」(1975~94年、TBS系)で常田富士夫さんとの語りだろう。ユニークな語り口で独自の世界観を打ち出した。
代表作は、1983年から2008年までTV朝日系で放送された「家政婦は見た!」シリーズだ。
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  常田富士夫
  (常田富士夫)

  90年には映画「黒い雨」で日本アカデミー最優秀助演女優賞を受賞。2016年のヒット作アニメ映画「君の名は。」ではヒロインの祖母を演じた。
 空襲や疎開を経験。「不自由だった戦争中の小学生時代が今の自分をつくった」と語り、戦争童話の朗読などにも積極的だった。
  俳優座の養成所で同期だったジェームス三木さんは「ゆっくりと感情が伝わるようにセリフが話せる俳優さんだった」と話した。
 また、舞台「ハムレット」で共演した仲代達矢さんは「市原さんは声の質をもってものを言う才能を持っていた。天性の、俳優になるべき俳優でした」と語っている。
(※以上、朝日新聞の記事から引用した)

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  私の三人の子どもたちは、「まんが日本昔ばなし」を観て育ったようなものだ。当時、約300話ほどをVHSテープに録画して、見せていた。風邪で熱が出た時は、TVの前に布団を敷いて見せると、必ず機嫌が良くなったものだった。(時代は移りデジタルDVDになる前に放送は終わり、若い母親たちから希望が殺到したが再放送はなかった。すでにDVD版がかなり高価で販売されている)。
  実に寂しい。あらためて心よりご冥福をお祈りいたします。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)