「骨髄移植」から5年、単調な生活にも慣れました。

 今月は私にとって格別の意味がある。――リスクの大きな「骨髄移植」からちょうど5年を経過した。担当医の説明によると「一つの峠を越えて、再発リスクが低下する」という。
 この10年ほどの間に、多くの友人がガンで他界している。高校同期会のM会長、T実行委員長、N次期委員長(予定)らは肺ガンや前立腺ガンだった。
現代は「二人に一人はガンに罹患する」時代というけど、医療技術や医薬品の目覚ましい研究・開発で、「早期発見」できれば治癒すると言われる。

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     (長女がくれた、経過5年を「5歳」にもじった祝ケーキ)

ただし、血液ガンだけは原因が不明で予防の方法がないらしく、「急性骨髄性白血病」の場合の生存率は5割と宣告されて、生きた心地はしなかった。
運よく回復してきたのは、担当医師や看護師の適切な治療はもとより、妻や子供らの支えが大きく、前向きに生き抜く気力を与えてくれたと感謝している。

 ごく普段のなんでもない日常生活なのだけど、大病を克服しつつある実感に満足を覚える。食事が美味しくいただけるのが体調の良好さを示しているようだ。
ただし、体重が8㌔も減って戻らず、体力は情けないほど低下した。胃腸の吸収力が弱いとのことで、毎日ウォーキングすることが大切で血管の老化を予防する効果もある。
ところが私は、寒い、暑いと言ってはウォーキングをさぼり、毎日、パソコンの前にへばりついている〝パソコン依存〟爺さんになりきっている。

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     (庭のボケの花)

 昨秋、長女の結婚披露宴のときは「生きていてよかった」と涙をこらえきれなかった。
やがて、長男や次女も晴れやかな日を迎えるに違いない。
遠くないうちに孫たちに会えるだろうと思うと、自然に気持ちが弾んでくる。

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 先日、芸能界きっての〝おしどり夫婦〟中尾彬と池波志乃がTVで語っていた。――生い先短いのだから、身の回りのものを思いっきり整理・処分したらスッキリしたと。
私も見倣って、まず本だなの本を処分し始めた。若いころ読み漁ったマルクス、レーニンなど革命家の著作、労働運動の関係など並べておくだけで読むことはないだろう。買った本は相当な冊数だが、そのうち三分の一も読んでいない。

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 ところが、マンガ本だけは処分したくない。白土三平や横山光輝、ちばてつやにバロン吉本、水島新司はそのまま残した。
きっと、マルクス、レーニンは恨んでいることだろう。「俺たちの本よりマンガ本のほうが大事なのか?!」って・・・。読む力が落ちてしまって、〝硬派〟の本は敬遠気味だ。
まあ、気ままにのんびり過ごしていきたい、と思うこの頃である。
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井沢八郎「あゝ上野駅」と工藤夕貴

 井沢八郎――懐かしい名前だ。BS11の「あのスターにもう一度遭いたい」で登場した。(2016年12月20日)
 娘が語る井沢八郎の想い出。娘とはいうまでもなく女優・歌手の工藤夕貴だ。着物姿で出演し、涙を浮かべながら愛情をこめて〝パパ〟のことを初告白した。

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――父は舞台に立つとまるで別人。あの素晴らしい歌声は演歌でないような、ソウルミュージックに近い。とても不器用な人で、父親らしいこともなく親子の会話もあまりなかった。
 工藤夕貴は、国内だけでなくハリウッドを中心に国際的にも活躍し、ブルーリボン賞などを受賞している。
 番組の最後は、父の数ある曲のなかで一番好きだという「北海の満月」を熱唱した。

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 井沢の略歴。――本名・工藤金一。中学卒業後、歌手を目指して上京。作曲家・大沢浄二と出会って「男船」でデビュー。第二弾の「あゝ上野駅」が大ヒットし代表曲となった。
 やがて結婚し一女一男をもうけたが、相次ぐスキャンダルで離婚。05年頃、食道がんが見つかり手術を受けるが、07年、上野の永寿総合病院で死去。享年69歳。亡くなった1月17日は、奇しくも娘・工藤夕貴の誕生日だった。

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 敢えて今頃井沢八郎のことを書いたのは、「あゝ上野駅」への思いがある。戦後日本の世相を反映する名曲だ。東北地方からの集団就職列車は「上野駅」で「金の卵」と呼ばれた若者たちが降り立った。
 彼(彼女)らの涙ぐましい労働こそ日本の高度成長をもたらしたと言っていい。「あゝ上野駅」は団塊の世代を中心に「心の応援歌」として多くの人々に勇気と感動を与えたのだった。(若い労働力を都会に吸収されて、地方の疲弊・衰退は拍車がかかった。交付金で地方に危険を押し付けて、その電力で豊かな生活を享受する都会の構図と似ている。)
 03年には上野駅前に「あゝ上野駅」の歌碑が完成し、13年には13番ホームの発車ベルに採用された。

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 もう一つの理由は、私の亡父が「これこそ本物の歌手だ」と井沢八郎を高く評価していたことだ。とくに、清酒・白雪のCMソング「白雪の唄」を、「酒が倍うまくなる」と気に入っていた。
 井沢八郎の歌を聞くと亡父のことが偲ばれる。 昔は遠くなりにけり。

稀勢の里が初優勝、横綱へ昇進

 長年応援してきた甲斐があった。
 今年の初場所で、大関稀勢の里が横綱白鵬を倒し14勝1敗の成績で初優勝した。これを受けて横綱審議会は昨日(1/23)、全会一致で稀勢の里を横綱に推挙した。

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     (千秋楽、横綱・白鵬を破る)

 稀勢の里が平幕のとき、双葉山の記録(69連勝)を目指した横綱白鵬を63連勝で止めて、一躍注目を浴びた。貴乃花に次ぐスピード出世だったが、大関昇進までは所要42場所と史上5番目に遅かった。

 大関になってから何度も優勝の機会があったのに、気が弱いのか賞杯に手が届くことはなかった。
 だが、大関陣が総崩れ(琴奨菊が大関陥落、照ノ富士がカド番、豪栄道は8勝止まりで休場)の中、稀勢の里は角界入りして15年、初土俵以来休みは一日のみという体の頑丈さだ。

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     (優勝インタビューで涙を流す稀勢の里)

 今場所は2横綱・1大関が途中休場するという、願ってもない条件下での戦いでもあった。ある作家が「何でも手軽で便利な時代に、不器用とはどういうものか、を土俵上で見せつけてくれた」と言っていた。
 元横綱審議会委員の内館牧子さん(脚本家)は「バスがダメなら飛行機があるさ」と思って見ていたら、「飛行機は一気に『第72代横綱』という目的地に着いた」と例えてみせた。
 私も、稀勢の里の角界きっての誠実・生真面目さが大好きである。

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     (観客席で喜ぶ稀勢の里のご両親)

 日本出身横綱不在は第3代目若の花以来19年間。相撲協会や横綱審議会は千秋楽の対白鵬戦を待つことなく「横綱昇進」を口にした。
 新聞などメディアでは、「内規を満たしていない」「昇進判断が甘すぎる」との批判も出た。確かにせっかち過ぎるし、横綱になってから大きな負担となる。

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     (朝日新聞 1月23日付)

 いずれにしても、久しぶりの4横綱時代、しかも正代(前関脇)や御獄海、遠藤などの若い世代の台頭著しく、土俵は一層盛り上がりそうである。

わが家の笑いに満ちた新年

 明けましておめでとうございます。
 あっという間に三が日が過ぎました。妻と一緒に迎える新年は34年目になりますが、今年は格別に嬉しく笑いに包まれた新年となりました。

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 昨秋、長女が結婚して初めて迎える新年なのです。長女夫婦は夫の実家(大分県豊後高田市)で元日を迎えました。
わが家では4人での元日なのに、長男と次女は寝坊して一緒に揃いません。それでも、妻手作りのおせち料理を存分に楽しみました。

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 ただし、長年の暴飲がたたって肝臓を痛め、成人いらい半世紀で初めて禁酒の新年となりました。(6日の診察後、「腹水」を体外に除去するために、2週間ほど入院となる予定です。「ガン」ではないので心配はしませんが、入院が鬱陶しい)

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 2、3両日は妻の実家に行って、10人ほどの親戚でおせち料理を食べながら楽しい会話が続きました。
僕を含めた3人の男らは、すっかり恒例になったパチンコに出かけたのですが・・・。
途中で長女から「お母さんが大変。ぐったりして吐いたよ!」との電話が入ったのです。

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 さあ、大変。話しが一気に膨らんで「脳梗塞みたい」となりました。早速、長女夫婦が救急病院に連れて行ったのですが、当直医は検査などせずに問診のみです。「しばらく様子をみてください」とのことでした。「なんか頼りない医者だった」(長女)。

 病院から帰った時には妻の顔色も良くなり、「あんまり大げさに騒ぎすぎよ」との妻の一言でみんな〝脱力〟状態・・・。
結婚以来30余年、病気らしい病気をしたことがないのが妻の強みであり、私にとってもこの上ない頼りになる存在なのです。

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 さてさて、今年はどんな出来事が待ち受けているのか、気を引き締めて毎日を前向きに過ごしていきたいと思います。

老雄・山科隆ノ助さんが逝かれた。

  惜しい人が亡くなった。名前は「山科隆ノ助」さん。長崎県佐世保市世知原町に在住だった。

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 若い頃は北松炭鉱で炭鉱夫として働き、やがて鉱員たちの組合事務局に勤務された。
 その後、北松地区労に勤めるようになり、事務局長として能力を発揮して皆さん方の大きな信頼を得ることになった。
 当時はワープロなどなく「ガリ版」の時代で、丁寧な文字で地区労のニュースなどを手掛けられたものだ。

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 やがて、県内の地区労の合併・再編で「平戸地区平和運動センター」となり、山科さんは引退してその娘さんが書記として勤務された。
 社会党時代からの党員で、北松・平戸地区のリーダーとしても欠かせぬ存在だった。

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 引退後は、好きだった俳句づくりに精を出し、俳句の会『みやま』を主宰し全国から約30人の俳人が加入していたらしい。
 寄せられた俳句をワープロで成文化し、編集から印刷まで一手に引き受けて、皆さん方から頼りにされていたようだ。
 佐世保市から「文化功労賞」を受賞され、一方では長年の民生委員としても表彰されている。

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 山科さんとの思い出は、30~40年ほど前「書記労」(長崎県評参傘下の書記の会)で、県内の離島などを旅行して楽しく懇親を深めたものだった。

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 山科さんからの年賀状は必ず俳句がつづられていたものだけど、今回、告別式に参列して山科さんの季節折々の俳句と素敵な絵が描かれているのが並べてあって、とても感動を覚えた。

 享年88歳。心よりご冥福をお祈り申し上げます。  合掌
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)