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昨年は、初孫の成長を楽しむ一年でした

  皆さん、新年あけましておめでとうございます。
 ところで、今年のブログはこれまでの「論考」にこだわらず、随筆風に短く書くことも心がけたいと思います。

    ・2.24

  私にとって昨年は、なんと言っても一月に「初孫」が生まれて、日々その成長ぶりに目を細め心が癒される一年でした。
 とても安産で、お多福さんみたいなほっぺをした可愛い女の児です。家族が出産を見守り父親はビデオカメラで一部始終を撮りました。夫の実家(大分)にとっても「初孫」で、お母さんが駆けつけました。

    ・7.1(3)

    ・11.29


  お宮詣り、スタジオ撮り、TV「あかちゃん」欄に登場、百日祝い、クリスマスパーティー、餅踏み(大分では「背負い餅」)など、大事な祝い事が続きました。
 「這えば立て立てば歩めの親心」と言い伝えられています。誰の声か判別できるようになり、甘えたりおねだりしたりすることも覚えました。
  食欲も旺盛になり、母乳だけでなくご飯を自分で鷲づかみにして食べます。

    ・1.6(2)

  這い這いをするのも束の間、テーブルにつかまり立ちを初めて、今では立って歩くまでに成長しました。指先がとても器用で、スマホやパソコンに興味を示します。

     ・19.1.1 

  私の三人の子どもたちはそれぞれ30歳代となりますが、三人の成長ぶりをアルバム10冊に丹念にまとめ、ビデオ(8ミリテープ、15分)で30本に収めています(DVDに変換・収録)。
  現在はスマホがとても便利で、毎日、娘が10枚前後の写真をラインで送信してきます。娘は自分のアルバムを参考にしながら、すでに3冊のアルバムを作っています。

     ・19.1.6

  あと5日で満1歳。誕生祝、節分、おひな祭りなどの楽しい行事が続き、4月からは保育園通いとなります。
 大きな病気や怪我がなく、明るくお茶目な娘に成長することを願っています。
(写真は全てモザイクをかけています。)

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衆院議員2000年当選組「同窓会」は懐かしく楽しかった

 安倍改造内閣のもと臨時国会が始まり、目下、衆議院予算委員会で論戦中である。質問者の中に社民党の姿はいまはない。野党第一党は立憲民主党、第二党は国民民主党という状況になっている。

 私が衆議院議員となったのは2000年6月、今から18年前のことだ。当時の同僚議員の「同窓会」をやろうという話しが持ち上がった。行きがかり上、私が世話役となって案内・連絡を務めた。
 期日は10月20日(土)午後6時、場所は中華料理店(神田神保町)と決めた。総勢18人(内、現役3・首長2・地方議員1・その他12)である。その半数は女性であった。

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 当日は、五島昌子さん(元・土井党首秘書)を含めて10人が集まった。欠席の理由は、病気2、高齢1、日程重複4、親の介護1、音信不通1であった。
 懇親会は故・土井たか子党首に黙とうから始まった。皆を代表して阿部知子議員が当時を振り返って挨拶。続いて、土井さんの名代として五島さんが候補者発掘の苦労話しなどを披露された。
 私を含めて多くの新人議員(13人)が誕生したのは、土井党首のカリスマ性に負うところが大きい。

 各人の近況報告では、〝一騎当千〟だった皆さんの活躍ぶりが充分伺えた。
阿部知子さんは議員歴18年を越え、医療などの社会保障や脱原発問題に力を注いでいる。保坂展人さんは世田谷区長としてめざましい活躍ぶりで、出版活動も多い。
 東門美津子さんは議員引退後、沖縄市の市長を2期務めた。
大島令子さんは長久手市会議員として活動し、韓国の要人とも親睦を深めている。
 菅野哲雄さんは、東日本大震災後、故郷・気仙沼の復興活動に余念がない。
 この他、障害者支援や地域平和活動などで特性を生かした活動を続けている様子である。
 今回欠席されたが、辻元清美議員はいま立憲民主党の国会対策委員長を務め、中川智子さんは宝塚市長として、その露出度は極めて高い。

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   (二次会にて)

 私は思う。――村山政権の誕生で社会党(現・社民党)の歴史的役割は終わっている。その後、国政選挙を闘うたびに獲得票が激減している社民党の現実は、国民から見放されたというほかない。土井党首のカリスマ性がここまで長引かせたのだろう。
 国民は、自らの要求を実現するにはどの政党に託したらよいのかを求めている。今、最も必要なことは、安倍政治に一日も早く終止符を打ち、それに代わり得る野党を如何に育てるかにかかっている。村山元首相(大分県)はすでに6、7年前にそのことを訴えておられた。
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夏休みの宿題と子どもの遊具

  夏の甲子園が始まった。今年で100回の記念すべき大会だ。この時期になると、子どもらは「夏休みの宿題」を始める。虫好きの子どもらは今も昔も変わらない。だけど、今でも大きな虫取り網を手に山の中に入り込んでセミやクワガタなどを追い求めているのだろうか?そんな姿を見たことがない。

 semi[1] - コピー   クワガタ - コピー

 オニヤンマ  アオスジアゲハ - コピー

 標本の作り方2  標本の作り方1

 私が子どもの頃は、虫取り網や鳥もち竿を手に、やぶ蚊に刺されながらセミ・トンボ・クワガタなどを捕ったものだった。親は仕事で忙しく「危ない所に行くな」なんて言いもしなかった。捕った昆虫を家に持ち帰り、殺虫剤で殺して腐らないようにアンモニア水などで保存。その後、大きな箱に昆虫をピン止めして名前を書き『昆虫標本』を作るのだ。昆虫図鑑は名前を調べる。(※「鳥もち」と言っても今の子どもらが知る由もない。駄菓子屋にハマグリの殻に入れて5円か10円で売ってあった。)『折り紙の水族館』もよく作った。魚や貝などを折り紙で作って、紙で作った水族館の中に吊るすのだ。
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 あの頃は、今に比べて子どものおもちゃなどは限られていたけど、いろんなものを工夫して作って楽しんだものだ。
 例えば、紙飛行機、竹トンボ、竹馬、手作り凧、独楽などいろいろあったね。何かと器用な父が教えてくれたのは「竹製の武者」や「潜水艦」。潜水艦はブリキ片とゴムを付けると、水中に潜る。また、不要な木材を使って滑車を付けて自動車みたいに作り、ブレーキも付けて道路を滑り降りて行く。道路を走る車は限られていたので危険はなかった。

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 一方、秋になると、スズムシの捕り方も教えてくれた。マッチ箱に焼いた味噌を入れて石垣に仕掛けて捕る。虫かごに一杯入れて小学校に持っていき、級友たちが奪い合ったものだ。
 今の子どもらは、カブトムシやクワガタなどはデパートなどに売ってあるものと思い、捕り方など全く知らないのではないだろうか。
 もっとも石垣もコンクリート製なので、スズムシなどがいるはずもないのだが。

 公民館祭りなどでは、お年寄りがこうした昔の遊具の作り方を教えている。そうしたお年寄りもめっきり減ったが、子どもたちにぜひ伝承していきたいものだと思う。
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常田富士夫さんを悼む

 子どもたちにこの上なく親しまれた俳優の常田富士夫さんが、脳梗塞で亡くなった。享年81歳。

       常田富士夫

 「天声人語」(朝日新聞7/21付)が追悼しているので、紹介する。
――「むかしむかし」の語り出しをこれほど磨き上げた俳優がいただろうか。人気テレビ番組「まんが日本昔ばなし」の語り手を、市原悦子さんとともに20年間務めた。
 放送当初は30代後半だったが、声と息、間合いをみごとに演じ分けた。悪者を演じても、声に愛嬌があって憎めない。どこの方言とも違う独特の言い回しが、画面に浮かぶ農村風景と溶け合った。

       市原悦子

――長野県で生まれ、終戦翌年に熊本県へ移る。曇り空の多い10代を送ったようだ。
 薄日が差すのは俳優の世界に進んでから。市川崑監督の「細雪」では、甥のお見合いの席で俗臭をふりまく中年男性の役。アニメ「天空の城ラピュタ」では神秘の鉱石に詳しい老人の声。その印象は格別に濃かった。

――「昔話は人間の知恵を伝える財産」。晩年まで各地をめぐり、民話の朗読や講演を続けた。「正直者のじいさんは長―く慕われましたそうな」。包み込むような語りがいまも聞こえる。

   きつね女房  花咲じじいさん
    座敷わらし  舌切り雀

 わが家でも、三人の子どもらのために毎週放送の「まんが日本昔ばなし」を約300話分VHSテープに録画した。
風邪など機嫌の悪いときは、テレビの前に布団を敷いてそれを映し出してやると機嫌が直り、ストーリーはほとんど覚えたほどだ。
 視聴者からの再放送待望の声も多いようだが、現在はDVD10巻セット(1巻4話。3万円)で売り出されている。
 これとは別に、常田さんのシリーズ「日本民話」も面白い。

 日本昔ばなし(10巻セット)   745_1[1]

 その後、常田・市原シリーズとは別物で、「ふるさと再生・日本昔ばなし」「ふるさと巡り・日本昔ばなし」が放送されていたが、今年3月、終了した。
 現在、テレビなどでは子ども向けのまんがやアニメは多いが、「まんが日本昔ばなし」のような番組がほしいものだ。
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日本に人類が登場したのはいつ頃か

 七夕祭りと天の川。宇宙の起源は約130億年前と言われる。私たちの属する太陽系は天の川の端っこにある。

      天の川銀河
      (天の川銀河)

 人類の起源―石器時代は約200万年前だ。では、日本に人類が登場したのはいつ頃か。
 今月11日~14日の朝日新聞の記事が興味深い。

――最初の「日本列島人」は3万年以上前に、海を越えてやってきたと分かった。旧石器時代の今から3万8千年前ごろになって突如、遺跡が多数現れるからだ。
 朝鮮半島から北部九州への「対馬ルート」、台湾から琉球列島を北上する「沖縄ルート」、大陸北側からシベリア経由の「北海道ルート」の三つが存在したと考えられている。

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――「沖縄ルート」に着目するのは、琉球列島で近年、旧石器時代の新たな発見が相次いでいるからだ。石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡で2万7千年前の人骨が見つかり、沖縄本島のサキタリ洞遺跡では2万3千年前の貝製の世界最古の釣り針が確認された。
台湾付近から、舟で黒潮を乗り越え、最も近くの与那国島へと渡り、さらに琉球列島を島伝いに舟で北上したのではないか。この仮説を古代の舟で航海して実証しようというのが「3万年前の航海、徹底再現プロジェクト」(国立科学博物館)だ。
 当時の技術で考えられるのは、手こぎの草舟、竹舟、丸木舟など。現地の材料を当時の道具で加工できるか確かめて、風や星で方角を読み取るすべを学んで航海する。

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――彼らはなぜ日本列島をめざしたのだろうか。
 過去5万年間にアフリカから世界中に広がっていった私たちの祖先は、技術を用いて、寒冷地にも向かった。
 米大陸に到達すると、わずか千年足らずで北から南に縦断したらしいことも分かってきた。

――金沢大学の研究グループは、約2500年前の縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析した結果、約8千年前の東南アジアの遺跡で出土した古人骨から得られたゲノム配列と似ていることが分かった。
 この結果を東南アジア各国の遺跡で出土した人骨や現代人のデータと比較すると、先史時代の人々は六つのグループに分類できることが判明。そのうちの約8千年前のラオスと、約4千年前のマレーシアの遺跡で見つかった人骨のグループのゲノム配列の一部が、伊川津貝塚(愛知県田原市)の人骨と酷似していた。
 同研究グループは「東南アジアの一部にいた人々と、日本列島の中央に位置する伊川津貝塚の縄文人が、遺伝的に深いつながりのあることが実証された」と話している。

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 専門家たちの気の遠くなるような研究に敬服する。これからもどんな発見があるのだろうか?
 人類の起源、宇宙の始まりと終末とはどんなものか、興味は尽きない。(追記:NHKスペシャル『人類誕生 ホモサピエンスついに日本へ』2018年7月15日放送が参考になる)
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)