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プロフィール

FC2USER537587ATX

Author:FC2USER537587ATX
今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)


夏休みの宿題と子どもの遊具

  夏の甲子園が始まった。今年で100回の記念すべき大会だ。この時期になると、子どもらは「夏休みの宿題」を始める。虫好きの子どもらは今も昔も変わらない。だけど、今でも大きな虫取り網を手に山の中に入り込んでセミやクワガタなどを追い求めているのだろうか?そんな姿を見たことがない。

 semi[1] - コピー   クワガタ - コピー

 オニヤンマ  アオスジアゲハ - コピー

 標本の作り方2  標本の作り方1

 私が子どもの頃は、虫取り網や鳥もち竿を手に、やぶ蚊に刺されながらセミ・トンボ・クワガタなどを捕ったものだった。親は仕事で忙しく「危ない所に行くな」なんて言いもしなかった。捕った昆虫を家に持ち帰り、殺虫剤で殺して腐らないようにアンモニア水などで保存。その後、大きな箱に昆虫をピン止めして名前を書き『昆虫標本』を作るのだ。昆虫図鑑は名前を調べる。(※「鳥もち」と言っても今の子どもらが知る由もない。駄菓子屋にハマグリの殻に入れて5円か10円で売ってあった。)『折り紙の水族館』もよく作った。魚や貝などを折り紙で作って、紙で作った水族館の中に吊るすのだ。
 20121129_kanoukyouko_17[1]  20130220take3[1]

 あの頃は、今に比べて子どものおもちゃなどは限られていたけど、いろんなものを工夫して作って楽しんだものだ。
 例えば、紙飛行機、竹トンボ、竹馬、手作り凧、独楽などいろいろあったね。何かと器用な父が教えてくれたのは「竹製の武者」や「潜水艦」。潜水艦はブリキ片とゴムを付けると、水中に潜る。また、不要な木材を使って滑車を付けて自動車みたいに作り、ブレーキも付けて道路を滑り降りて行く。道路を走る車は限られていたので危険はなかった。

  2_1_1a[1]

 一方、秋になると、スズムシの捕り方も教えてくれた。マッチ箱に焼いた味噌を入れて石垣に仕掛けて捕る。虫かごに一杯入れて小学校に持っていき、級友たちが奪い合ったものだ。
 今の子どもらは、カブトムシやクワガタなどはデパートなどに売ってあるものと思い、捕り方など全く知らないのではないだろうか。
 もっとも石垣もコンクリート製なので、スズムシなどがいるはずもないのだが。

 公民館祭りなどでは、お年寄りがこうした昔の遊具の作り方を教えている。そうしたお年寄りもめっきり減ったが、子どもたちにぜひ伝承していきたいものだと思う。
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常田富士夫さんを悼む

 子どもたちにこの上なく親しまれた俳優の常田富士夫さんが、脳梗塞で亡くなった。享年81歳。

       常田富士夫

 「天声人語」(朝日新聞7/21付)が追悼しているので、紹介する。
――「むかしむかし」の語り出しをこれほど磨き上げた俳優がいただろうか。人気テレビ番組「まんが日本昔ばなし」の語り手を、市原悦子さんとともに20年間務めた。
 放送当初は30代後半だったが、声と息、間合いをみごとに演じ分けた。悪者を演じても、声に愛嬌があって憎めない。どこの方言とも違う独特の言い回しが、画面に浮かぶ農村風景と溶け合った。

       市原悦子

――長野県で生まれ、終戦翌年に熊本県へ移る。曇り空の多い10代を送ったようだ。
 薄日が差すのは俳優の世界に進んでから。市川崑監督の「細雪」では、甥のお見合いの席で俗臭をふりまく中年男性の役。アニメ「天空の城ラピュタ」では神秘の鉱石に詳しい老人の声。その印象は格別に濃かった。

――「昔話は人間の知恵を伝える財産」。晩年まで各地をめぐり、民話の朗読や講演を続けた。「正直者のじいさんは長―く慕われましたそうな」。包み込むような語りがいまも聞こえる。

   きつね女房  花咲じじいさん
    座敷わらし  舌切り雀

 わが家でも、三人の子どもらのために毎週放送の「まんが日本昔ばなし」を約300話分VHSテープに録画した。
風邪など機嫌の悪いときは、テレビの前に布団を敷いてそれを映し出してやると機嫌が直り、ストーリーはほとんど覚えたほどだ。
 視聴者からの再放送待望の声も多いようだが、現在はDVD10巻セット(1巻4話。3万円)で売り出されている。
 これとは別に、常田さんのシリーズ「日本民話」も面白い。

 日本昔ばなし(10巻セット)   745_1[1]

 その後、常田・市原シリーズとは別物で、「ふるさと再生・日本昔ばなし」「ふるさと巡り・日本昔ばなし」が放送されていたが、今年3月、終了した。
 現在、テレビなどでは子ども向けのまんがやアニメは多いが、「まんが日本昔ばなし」のような番組がほしいものだ。

日本に人類が登場したのはいつ頃か

 七夕祭りと天の川。宇宙の起源は約130億年前と言われる。私たちの属する太陽系は天の川の端っこにある。

      天の川銀河
      (天の川銀河)

 人類の起源―石器時代は約200万年前だ。では、日本に人類が登場したのはいつ頃か。
 今月11日~14日の朝日新聞の記事が興味深い。

――最初の「日本列島人」は3万年以上前に、海を越えてやってきたと分かった。旧石器時代の今から3万8千年前ごろになって突如、遺跡が多数現れるからだ。
 朝鮮半島から北部九州への「対馬ルート」、台湾から琉球列島を北上する「沖縄ルート」、大陸北側からシベリア経由の「北海道ルート」の三つが存在したと考えられている。

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――「沖縄ルート」に着目するのは、琉球列島で近年、旧石器時代の新たな発見が相次いでいるからだ。石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡で2万7千年前の人骨が見つかり、沖縄本島のサキタリ洞遺跡では2万3千年前の貝製の世界最古の釣り針が確認された。
台湾付近から、舟で黒潮を乗り越え、最も近くの与那国島へと渡り、さらに琉球列島を島伝いに舟で北上したのではないか。この仮説を古代の舟で航海して実証しようというのが「3万年前の航海、徹底再現プロジェクト」(国立科学博物館)だ。
 当時の技術で考えられるのは、手こぎの草舟、竹舟、丸木舟など。現地の材料を当時の道具で加工できるか確かめて、風や星で方角を読み取るすべを学んで航海する。

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――彼らはなぜ日本列島をめざしたのだろうか。
 過去5万年間にアフリカから世界中に広がっていった私たちの祖先は、技術を用いて、寒冷地にも向かった。
 米大陸に到達すると、わずか千年足らずで北から南に縦断したらしいことも分かってきた。

――金沢大学の研究グループは、約2500年前の縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析した結果、約8千年前の東南アジアの遺跡で出土した古人骨から得られたゲノム配列と似ていることが分かった。
 この結果を東南アジア各国の遺跡で出土した人骨や現代人のデータと比較すると、先史時代の人々は六つのグループに分類できることが判明。そのうちの約8千年前のラオスと、約4千年前のマレーシアの遺跡で見つかった人骨のグループのゲノム配列の一部が、伊川津貝塚(愛知県田原市)の人骨と酷似していた。
 同研究グループは「東南アジアの一部にいた人々と、日本列島の中央に位置する伊川津貝塚の縄文人が、遺伝的に深いつながりのあることが実証された」と話している。

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 専門家たちの気の遠くなるような研究に敬服する。これからもどんな発見があるのだろうか?
 人類の起源、宇宙の始まりと終末とはどんなものか、興味は尽きない。(追記:NHKスペシャル『人類誕生 ホモサピエンスついに日本へ』2018年7月15日放送が参考になる)

アニメ界の巨匠・高畑勲さんの死を悼む

  アニメ界の巨匠・高畑勲さんが肺ガンのため、今月5日亡くなった。享年82歳。

     高畑勲

 68年の「太陽の王子 ホルスの大冒険」で映画監督デビュー。
 TVで人気を博したアニメ「アルプスの少女ハイジ」。「母をたずねて三千里」も長期間放送の名作だ。

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 最近は、映画製作会社「スタジオジブリ」の多くの作品で宮崎駿が有名のようだけど、先輩格の高畑さんが85年共同で設立した会社だ。

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 中でも深く印象に残った作品は「火垂るの墓」(88年)、野坂昭如の原作だ。戦前の兵庫・西宮などの街並みを正確に再現した上で、空襲の惨禍と、やせ衰えていく幼子を描ききった。最後は、兄も駅頭で野垂れ死にする最後のシーンが、あまりにも哀れで涙を誘った。
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 このほか、「風の谷のナウシカ」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」などのヒット映画を輩出、「かぐや姫の物語り」(13年)は米アカデミー長編アニメ賞候補になった。
 コミック誌で大人気となった「じゃりン子チエ」の映画化が高畑さんの監督とは知らなかった。

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 少しかわった作品では、水郷のまち・福岡県柳川市を舞台とした記録映画「柳川堀割物語」(87年)がある。柳川の汚れた水路(堀割)をよみがえらせようとした市民運動を記録したものだ。

 「パクさん(高畑の愛称)は、漫画映画が心理的なものを深く描ける表現方法だと立証してくれた。それが日本のアニメの特色になっていく。大変な功績です」と、宮崎さんはたたえている。(朝日新聞の「評伝」4/6付より)

光武顕・元佐世保市長の米寿祝い会

  光武顕・元市長が今月米寿を迎えられた。
 光武さんとのお付き合いは、佐世保市長選挙(1995年)がきっかけなので23年ほどになる。

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     (柘植大二郎・元連合議長)

 光武さんは、長崎県議を4期15年(1971年—1986年)、衆議院議員を1期(1990年—1993年)勤めた。
 その後、1995年の佐世保市長選に挑み、三つ巴戦を制して初当選する。当初は、県議会議長を経験したベテランの宮内氏が優勢と見られたが、連合や地区労、友愛連絡会などに加えSSK(佐世保重工業)が光武さんの支援にまわったのが大きかった。
 この選挙に関しては、石橋政嗣・元衆議院議員(社会党委員長)から批判の声が出た。
村山政権(自・社・さきがけ)を手厳しく批判して社会党を離党。「地方まで自民党と組むのか」と言う訳だ。
 
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     (光武顕・元佐世保市長)

 しかし、日頃から日教組や労働組合を目の敵にする宮内氏が市長となれば、労働組合とりわけ市役所や水道局、交通局の職員は厳しい状態に追い込まれるのは目に見えていた。地区労事務局長だった私は、そういう危機感から光武氏と「政策協定」を交わして闘いに臨んだのだった。

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    市長在任中は、公共事業などのハード面をおさえ、介護保険や育児などの福祉面に力を入れた。
 また、前畑弾薬庫の撤去など、基地問題にも精力的に取り組んだ。

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 連合佐世保地協の結成を前後して、労働団体の幹部は年に数回懇親交流会を重ねていたが、途中から光武新市長が加わって「光武懇親会」となった。
選挙当時の苦労話しや政治論評など話題は尽きず楽しいひと時を過ごしたものだ。そして、初当選から20年を一区切りにやめることになった。
 ただし、私には時々昼飯のお誘いがあり、某レストランで政治談議に花を咲かせたのだった。

     18.2.9朝日・宮内県議が職員に「寄付強制」
     (朝日新聞2/9付)

   今年2月、宮内雪夫氏の不正事件が発覚した。彼が理事長を務める社会福祉法人「長崎博愛会」の施設職員らから「強制的な寄付集め」が行われていたと、内部告発があったのだ。さらに、3人の施設職員は実質的に「秘書活動」を行っていたというのだ。
 「強制的な寄付集め」の総額は約2億円に及ぶ。これらの行為は政治資金規正法に違反するものだ。
 宮内市長が誕生していれば、市政は完全に私物化されていただろう。
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