9.11米国テロ事件から16年ーー米国に加担した日本政府はしっかり検証すべし。

 「9.11米国テロ事件」からきょうで16年となる。僕が衆議院議員になって翌年の出来事で忘れられない。
 ブッシュ米大統領は「テロとの戦いだ!」と叫んでアフガン戦争に突入したが、16年後の現在も事態は改善せず過去最長の戦争となっている。

     WTCに突っ込む2機目

 それから2年後、「独裁者フセインを倒す!」と叫んで始めたイラク戦争だったが、こちらも事態はいっこうに安定していない。開戦の理由とした「大量破壊兵器」は見つからず、戦争の不当性が明白となった。
 この戦争に加担した英国では、「戦争は間違っていた」と言明してブレア首相は辞任した。
     
     燃料補給する「ときわ」
     (インド洋上の補給艦「ときわ」)         
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              (イラク・サマワの陸自)

 日本は、アフガン・イラク戦争に関わり、海自のインド洋派遣や陸自のサマワ派遣で米国に加担したが、その検証すら行われていない。
 自公政権に代わる新政権が出来たときは、この総括・検証をしっかりやって国際社会に示すべきだろう。

     イラク小児病院
     (イラク小児病院を訪れた筆者)
         スーザン・リンダウアー
         (スーザン・リンダウアー女史と一緒に)

 余談になるが、7、8年前、米国のスーザン女史が長崎に見えた時、「9.11米国テロ事件は自作自演の〝謀略〟だ」と話されたのには驚いた。当時、ブッシュ政権の中枢にいた従弟が「テロの予兆」を進言したが、受け付けなかったという。

(※「9.11米国テロ事件」については、13年8月21日付も参照ください)
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原爆投下から71年目の夏ーー「黒焦げの少年」の正体判明

 広島・長崎に原爆が投下されて71年目の夏。
広島の死者数は約14万人、長崎は約7万4千人。涙も枯れ果てるほどの悲劇は枚挙にいとまがないが、その一つに爆心地付近で全身黒焦げで亡くなった写真がある。故・山端庸介さんが撮影した「黒焦げとなった少年」(1945年8月10日)である。

     黒焦げの少年

 これまで長い間身元不明だったが、長崎平和推進協会の調査で、少年が旧制中学1年の谷崎昭治さん(当時13歳)である可能性が高いことが分かった。
 同協会が昨年7月に長崎市で開催した原爆写真展で2人の妹が気づいたのがきっかけだった。

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     (右・西川美代子さん。左・山口ケイさん)

 妹の西川美代子(78)さんと山口ケイさん(76)は、写真展で大きく引き延ばされた写真を見たとき、「じっちゃん(谷崎さんの愛称)だ」と直感した。
 二人は原爆関連写真を調査している深堀好敏さん(87)に面会。深堀さんが九大法医学者に鑑定を依頼し、顔の特徴などから少年が谷崎さんの可能性が高いという鑑定結果を得た。

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     (左端・谷崎昭治さん。右端・西川美代子さん)

 谷崎さんは爆心地近くに下宿しており、投下後、父親は何度も下宿を訪れ、母親も谷崎さんが送った最後の手紙を肌身離さず持っていた。
 二人の妹は昨年秋、少年の写真を手に両親の墓前に報告。山口さんは取材に「両親もほっとしたと思う」とほほ笑み、西川さも「どこかで生きているのではと思い、気持ちの整理がつかなかった。やっと会えて安心した」と語った。(以上、JIJI.COMの記事6.18付より)

     弟を背負った少年
     (死んだ弟を背負い荼毘に臥すのを待つ少年。)

 ところで、オバマ大統領が初めて広島を訪れて、犠牲者の慰霊と「核兵器廃絶」を誓ったことが話題となった。しかし、安倍首相はオバマ大統領に「唯一の被爆国」としての確固たる意志を伝えることは微塵もなかった。
 日本は長年、ひたすら米国の「核の傘」にしがみつき、米国の核兵器削減に必死で抵抗し、核兵器の先制使用に反対することもできない。
 こんなぶざまな姿こそ、原爆の犠牲者、被爆者に対する最大の侮辱であろう。

池孝晃が語る~永遠平和と安保法

  先月29日、戦後の安全保障政策を転換する「安保法」が施行された。敗戦を告げる玉音放送から70年7か月。

  月刊「PLAYBOY」日本版といえば、ヌード写真だけでなく政治・社会など硬派記事を同時掲載する雑誌として有名だった。その編集長を務めた(78~82年)池孝晃さんが9年前に18世紀ドイツの哲学者・カントの名著「永遠平和のために」の新訳本を世に送り、このたび朝日新聞のインタビューで語ったことに耳を傾けてみたい。

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――「安保法」が施行されます。カントは何と言うでしょう。
  平和への歩みは遅々としているけれども、いつか永遠の平和が実現するのを期待して歩むことが大事なんだ、と言っています。
  人類の歴史は戦争の歴史だからこそ戦争のない社会を、と理想を掲げたんですね。
共通の敵でもない別の国を攻撃するために軍隊を他国に貸すことがあってはならない、とも言っています。まさに集団的自衛権のことでしょう。

    カント『永遠平和のために』

――戦後日本の安保政策の転換点になります。
  この70年あまり、僕たちの国は一度も戦争をしなかった。カントが照らした道を世界で最も忠実にたどったのは戦後の日本でしょう。転換点を迎える今、思い浮かぶのはカントのこんな一節です。
  『たまには、老哲学者の言葉に耳を傾けてはどうか』

――この本を編もうと思い立ったのはどうしてですか。
  03年3月、米国のイラク爆撃の様子をテレビで見ました。映像がすごくリアルで、それはもう驚きでした。あの爆撃の下には普通の人々が暮らしており、身がすくむ思いでした。
  幼い頃の戦争体験の記憶がいっぱいある。戦争が普通の人々の生活や人生を大きく変えるということは、やはり覚えておかねばなりません。

    池孝晃氏
    (池孝晃氏)

――そんな経験を……。
  戦争というのは、体験するのとそうでないのとでは全然、違うんですね。
60年安保の時、僕は大学生でしたが、運動に参加した同世代も多かれ少なかれ、戦争を体験していました。
  しかし、70年安保の中心になったのは戦後生まれの団塊の世代です。当時、『戦争を知らない子供たち』という曲がヒットしました。
  まさに戦争を知らない若者たちの一部が、72年に連合赤軍のあさま山荘事件を起こしました。警察が鉄球で建物を壊す場面で、テレビ局がサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』を流していたのを覚えています。
 こんな闘いの先に、どんな夢や希望があるのか、僕にはさっぱり理解できなかった。

    杉田二郎
    (杉田二郎)
   
――その後、創刊に関わった月刊「PLAYBOY」日本版の読者は「戦争を知らない」若者たちだったのでしょう。
  米国版の翻訳とオリジナルの記事で編集しました。
 白人女性のヌードグラビアが話題になりましたが、藤原新也さんら若手写真家によるアジアやアフリカの写真紀行、三島由紀夫に関するスクープ記事など政治や社会、文化まで硬派な記事を並べました。
エロからサルトルまで、です。
  じつは、日本で若者が立ち上がる日は、もう来ないだろうと思っていました。権力に敗れた若い人たちに、世界へ飛び出して目を開いてほしかったのです。
  75年5月21日に発売された創刊号は、45万8千部がその日の午前中に売り切れました。

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    (サイモン&ガーファンクル)  

――エロと哲学。まさに雑誌という感じがします。
  ところが、80年代に入ると、若い人たちは自分の半径3メートルにしか関心を向けなくなった。政治的闘争なんて、どこにもないのですから、当然カモしれません。
  ファッション誌やサブカルチャー誌が好まれ、若者は政治や社会を語ることを退屈だと考えるようになったようです。

――しかし、と。
  僕が好きなことをしている間に、戦後生まれが7割を超え、戦争体験を持つ政治家も次々に政界を去っていった。
 自衛隊もイラクに派遣され、長く戦争とは無縁だった日本がそうもいかない感じになってきた。
 編集者人生の最後の1冊で若い人たちに何かを残したい。そう思った時、手に取ったのがカントの『永遠平和のために』でした。   日本の憲法がその精神を受け継いでいる、と聞いたからです。

――自信作ですね。
  06年に安倍さんが首相になって、憲法改正を堂々と唱えた。戦後生まれの政治家の言葉に、頭を殴られたような気がしました。
 カントを早く出したい。刷り上がったのが07年11月、ちょうど定年退職の日です。
 安倍さんは出版の2カ月前に退陣していましたが。

――返り咲いた安倍首相は、29日に施行される安保法が平和をもたらす、と訴えます。
  カントは行動派の政治家の特徴として『まず実行、そののちに正当化』『過ちとわかれば、自己責任を否定』と述べています。
また『力でもって先んじなければ、力でもって先んじられる』という指摘にもハッとさせられます。他国への侵略に絡んでの指摘なので安倍さんとは前提が違いますが、力でという発想は重なるようにも見えます。
  しかも、こうした主張を受け入れる国民が少なくない。多くの人にとって、僕が体験した戦争はもう、遠い出来事になっているのでしょう。

    哲学者カント
    (カント)

――夏の参院選では、18歳が選挙権を持ちます。戦争どころか、バブル景気も知らない世代です。
  18歳は、憲法改正の国民投票もできますね。だからこそ、自分の考えを持って政治に参加してほしい。
 今の日本は、200年前、遠い欧州の哲学者が唱えた『永遠平和のために』という呼びかけに応えているか。
 自身で考え続けてほしいのです。

  あらためて、カントの『永遠平和のために』を読み返してみたいと思う。


(※ my8686さんのブログも参考にさせていただきました。)
  <池 孝晃> 1939年生まれ。62年集英社入社。78~82年まで『PLAIBOY』日本版編集長。文芸出版部取締役を経て、綜合者(当時)社長。2007年退職。

「第五福竜丸事件」62年に思う

  きょうは「第五福竜丸事件」から62年である。
 1954静岡県年3月1日、焼津のマグロ漁船が、ビキニ環礁での米軍の水爆実験によって被曝し世界的な事件となった。船員23名は降下する〝死の灰〟を浴びて全員被曝し、久保山愛吉無線長は半年後の9月に死亡した。

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  実際は〝死の灰〟を浴びた漁船は数百隻(水産庁文書では1423隻)にのぼり、被曝者は2万人を超えたとみられる。
 米政府は「日本政府は米政府の責任を追及しない」確約のもと、200万ドルの「好意による見舞金」を支払って事件の幕引きとした。
  また、米国はこの事件後も水爆実験を繰り返し、46年から62年にかけて太平洋各地で100回以上の核実験を行った。

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  この事件では「放射能マグロ」が社会問題化した。国の検査の結果、延べ992隻が魚を廃棄させられた。
また、この事件がきっかけとなって日本で反核運動が始まり、現在の国際的な原水禁運動へと発展していく。

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 そのNews Paper(16年2月号)では、第五福竜丸展示館の学芸員・市田真理さんのインタビューが載っていた。核実験被害を展示する唯一の施設で、フォトジャーナリスト・豊崎博光さんのマーシャル諸島関係の資料や外務、厚労省からの行政資料も展示してあるという。

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    (旧知の間柄・豊崎博光さん)

 ところで、朝日新聞の「余滴」という社説で加戸靖史記者が南海放送のディレクター・伊東英朗氏の言葉を紹介している。彼は、核実験に遭った全国の漁船のその後を10年余り追い続けているという。

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 伊東氏は、「『ビキニ60年』『第五福竜丸事件』という呼び方をやめませんか」って、言い続けているという。「記念日」や「節目」にこだわる報道が「事件を矮小化するのではないか」という懸念。例えば、「放射能マグロ」の検査は54年だけで打ち切られ、乗組員の健康状態が広く調査されることもなかった。

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 この年前後の核実験でも広範な大気・海洋汚染が起きたはずだが、影響は不明だ。『ビキニ60年』『第五福竜丸事件』と呼べば、何も知らない人たちに、それ以外の被害の広がりを想像させることがますます難しくなる。
 メディアは、事件の一面を切り取って「わかりやすく」見せるだけに終わっていないか。つねに自戒する必要がある、と言う。
 今月11日、発生5年を迎える福島第一原発事故にも相通じるものがある。

核兵器事故「ブロークンアロー」

 『ブロークンアロー』……久しぶりに目にした言葉だ。朝日新聞に載った「核関連事故」の記事にあった。「59年、韓国で訓練中の米戦闘機は福岡県・板付基地所属」(2/1付)。「61年、米東海岸にB52爆撃機が空中分解、落下事故」(2/5付)。

    ブロークンアロー
    (朝日新聞 2/5付)

 Broken.Arrow――米国防総省の核兵器事故の暗号名で、直訳すると「折れた矢」。
前記記事は、朝日新聞が入手した米公文書による。後記記事は、米国が80年代に公表した32件の重大核兵器事故の一つだ。
 せっかくの機会なので、若干の記憶を呼び覚ましながら、メモ的に書きとどめておきたい。

 私は思わず、梅林宏道氏(核問題研究家)の著書『隠された核事故』(創史社、1989年刊)を思い起こした。米ソ冷戦が終焉する4か月前に出版された著書である。

    隠された核事故

 同著によると、米国防総省も次の五つのコード名で呼ばれる核事故を想定している。
①ニューク・クラッシュ(核の閃光)……偶発的または命令のない核爆発で、米ソ間の戦争を誘発する可能性のあるもの。
②ブロークンアロー(折れた矢)……a.前記の事故で戦争誘発の恐れのないものb.核兵器の燃焼や非核爆発c.放射能汚染d.核兵  器や部品の強奪、盗難、紛失e.公害あるいはその可能性のある事態。
③ベント・スピア(曲がった槍)……核兵器の重大事故もしくは未然の事故で、前記以外のもの。
④ダル・ソード(切れない剣)……核兵器の事故で重大でないもの。
⑤フェイデッド・ジャイアント(萎えた巨人)……海軍の原子炉事故ないしは放射能事故。
 実際、冷戦時代から米・ソ両国の核兵器事故は何度も起きている。原潜が丸ごと海底に沈んだケースもある。
 上記のノースカロライナ州での核事故から4年後、奄美大島沖で、米空母から水爆搭載機が水中に落下する事故が発生。いまなお深海に水没したままになっている。

    引揚げられた水爆。スペイン
    (スペイン沖から引揚げられた水爆)

 さらに、日本に寄港する米原子力艦で原子炉の事故や搭載核兵器(今なお米国は核搭載について「否定も肯定もしない」との政策だ)の事故被害に関する「デイビス・レポート」が有名だ。横須賀・呉・佐世保に対する想定事故シナリオの定量的分析で、風下10キロの住民が遺伝障害も含め約15万人が死亡するとの分析結果は、関係自治体に大きな衝撃を与え、内閣府中央防災会議の資料にも引用してある。

    16.2.1朝日・福岡の米軍機、核関連事故
    (朝日新聞  2/5付)

 佐世保や横須賀では、12年前から年に1回、米原子力艦の事故を想定した避難訓練を実施しているが、米軍は「事故はあり得ない」との立場で訓練に参加を拒んでいる。
 さらに佐世保では、原子炉から約200メートルほどの岸壁に原潜が停泊を繰り返しているのは、米国の原子力規制法に違反しているということは何度も指摘したとおりだ。
 日本政府は、こうした事実を知りながら「一切承知しない」としらを切り、「安全保障上に影響を及ぼす」として肝心の情報を公開しない。

    核兵器事故を報じる各紙
    (『隠された核事故』より)

 目下、国際的にも問題となっている北朝鮮の弾道ミサイル発射に関して、国連や米・中両国も打開策を見い出せないでいる。本来なら、東アジアの「非核地帯」構想について関係各国が具体的シナリオを協議して、相互の信頼醸成を通して北朝鮮の核保有を断念させるべきなのだ。
 日本が米国の「核の傘」に安住しているようでは、そうした構想もおぼつかないと言うほかない。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)