石牟礼道子さんの死去を悼む

 一人の作家が亡くなって、これほど大きな記事になったのは稀ではなかろうか。各方面から惜しむ声が寄せられた。
 エッセイスト・作家の石牟礼道子さんが10日に亡くなられた。享年90歳。

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 1969年に「苦海浄土 わが水俣病」を出版して評判が高まった。
 まず、朝日新聞の社説(2/12)を引用してみたい。
――石牟礼さんが告発したのは、公害や環境の破壊にとどまらない。社会に深く横たわる「近代」の価値そのものだった。
――恵みの海とともにあった人々の質素だが穏やかな暮らしが、いかに奪われたか。成長を最優先し欲望をかきたてる政治、科学への信頼、繁栄に酔い、矛盾に目を向けぬ人々。
 患者のかたわらで克明な観察を続けた。「東京にゆけば、国の在るち思うとったが、東京にゃ、国はなかったなあ」(苦海浄土、第2部)。

――権力は真相を覆い隠し、民を翻弄し、都合が悪くなると切り捨てる。
 石牟礼さんが大切にしたのは歴史的な視点だ。公害の原点ともいうべき「芦尾鉱毒事件」を調べ、問題の根を探った。
 「水俣」後、公害対策は進み、企業も環境保全をうたう。だが、効率に走る近代の枠組みは根本において変わっていない。

――石牟礼文学には西南戦争や島原の乱に材をとった魅力的な作品も多い。通底するのは民衆への深い共感と敬意である。
 どん底に身をおいても、人は希望をもち、隣人を思いやることができる。石牟礼さんの確信は、今の時代を生きる私たちにとって、一つの道しるべといえるのではないか。

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 石牟礼さんは、十数年前から患うパーキンソン病のため、筆を執ることがままならない。そのため、50年来の友人で評論家の渡辺京二さんが口述を書き取り、執筆を支えてきた。
――不知火海。漁師さんは『光凪』と呼んでおりました。「魚(いお)は天のくれらすもの。人間が好きにできるものではありません」
――患者さんたちは病気になっても、水俣を豊かにした会社(チッソ)をどこか誇りにして『親さま』と思っていた。親さまの親身な言葉を求めたのに、会社はお金のことしか語らなかったのです。
――2011年、東日本大震災と福島原発事故に際しては「福島と水俣で起きたことの背景にあるのは、お金が一番の生きがいであり、倫理になってしまっているということです」。
 経済のものさしだけで価値を測ることに慣れきった私たちに、お金によらない価値を人々が共有した豊饒な世界が、かつて確かに存在したことを、言葉の力によって教えてくれている。
――水俣病の公式確認から今年で60年を迎えました。でもこの60年の背後には、はるかに分厚い時間の層があったことを、まず思い浮かべてほしいと思います。
 『魚(いお)の湧く海』と言われた不知火海のほとりで、天の恵みを必要なぶんだけ分けてもらっていた人々の、何代にもわたる暮らしが積み重なった時間の層です。
(朝日新聞の「評伝」2/11より)

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 「苦海浄土」は、池澤夏樹さん編集の「世界文学全集」に日本人作家の長編として唯一収録された。何度も石牟礼さんを訪れた池澤さんは追悼文を朝日新聞に寄せている。
 この他、瀬戸内寂聴さんや加藤登紀子さんをはじめ多くの人々から石牟礼さんの死を惜しむ声が寄せられている。
 2013年、天皇・皇后両陛下が胎児性水俣病患者とお忍びでの対面が実現したのも、石牟礼さんの、「50歳を超えてもあどけない顔の胎児性患者に会ってやって下さいませ」との皇后さまへの手紙がきっかけとなった。

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      (石牟礼道子さんと原田正純先生)

 ところで、長女が熊本学園大学時代に「水俣病」に関心を抱いたのは、同大の原田正純先生の影響が大きいと言っていた。卒論は「水俣病」についてだった。
 私は、『苦海浄土』と聞くと一人芝居の砂田明さんを思い出す。京都に在住の砂田さんは『苦海浄土』に導かれてご夫婦で水俣に移り住み、やがて一人芝居『天の魚(いお)』を全国各地で演じられた。

      一人芝居「天の魚」

 佐世保でも3度ほどお招きして演じていただき、大好評だった。それがきっかけで友人と水俣を訪れて、砂田さん宅に泊めていただき水俣病患者の皆さんと懇談したのは、今から40年ほど前のことだ。
 砂田さんは93年に亡くなられた。(享年65歳)その砂田さんに師事された川島宏知さんが『天の魚(いお)』を演じておられるようだ。

 心よりご冥福をお祈り申し上げたい。   合掌
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崩壊した企業の「信用力」

 このところ、著名な日本企業の経営トップが深々と頭を下げる事態が繰り返されている。
「不正問題」が放置されて、定評のあった日本企業の「信用力」が崩壊した。

 まず、東芝。米原発子会社ウェスティングハウス(3月経営破綻)が巨額損失を発生するに至った原因を隠し、隠蔽を目的とした監査法人対策まで組織的にやっていた。
 自動車関係では、三菱自(16年4月)・スズキ(16年5月)・日産(17年10月)・スバル(17年10月)などが、燃費性能測定に関わり無資格者が検査をしていた。

     データ改ざん、三菱電線・三菱マテ・東レハイブリッド
     (上:右・村田博昭・三菱電線前社長。中央・竹内章・三菱マテリアル社長。下:右端・鈴木信博・東レハイブリッドコード前社長。左端・日覚昭広・東レ社長。11月28日)
 次いで、神戸製鋼。「中国などの格安品に対して、日本は工業品の品質が高いという評価に依存していたが、一連の問題によって台無しだ」(米紙「ニューヨークタイムズ」)。
 「日本には<完璧主義への強迫観念>があり、一連の問題は<自己満足の社風が一因>だ。<欺瞞とたるんだ経営管理によってごまかしていた>」(英紙「フィナンシャル・タイムズ」)。
 「神戸製鋼では、〝特採〟という仕組みが悪用された疑い。現場で特採を正規品と偽って売るような暴走が起き始めたのではないか」(経済ジャーナリスト・町田徹氏)。

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 三菱マテリアルの子会社で発覚した不正。――三菱電線工業と三菱伸銅、三菱アルミが、検査記録データを書き換えて「不適合品」を出荷していた。
 これら製品は約2、7億個、出荷先は229社にも上り、自動車や航空機のゴム製パッキンなどに使用されたという。

 東レの不正事件(15年)は、榊原定征・経団連会長が社長時代に起きている。榊原氏は謝罪して「発覚した時点で公表するのが原則だ」と述べた(11月29日)。まず、東レが率先して改めるべきではないか。

 「企業にとって危機的状況は、不正の発覚だけでなく、重大事故や競争環境の変化などさまざま。日本では、最悪シナリオを想定すること自体が不謹慎という考え方が根強く、真剣さが足りない企業が多い」(井之上パブリックリレーションズ・尾上玲円奈執行役員)。
 大手製造業に不正が頻発する背景について、安東泰志氏(ニューホライズンキャピタル会長兼社長)は、「大手製造業は開発、購買、製造、品質管理、販売、アフターケアといった部門間の縦割りが非常に強い」。「日本企業の問題は、取締役会と社員の間に境目がなく、社員が不正をするとかばったりする」と説明する。

     発覚した著名企業の主な不正 - コピー
     (「サンデー毎日」12月10日)

 経済産業省によるアンケート(16年)では、上場企業の62%に相談役や顧問が在任中だった。同省は今年3月、企業統治に関する指針をまとめ、「株主等に対して責任を負ってない相談役・顧問が、社長・CEOの選解任や経営に不当な影響力を行使している事態」などを問題視しているという。
 利益を優先し、品質管理の基本が疎かになっている企業の体制を点検して、利用者・消費者に対して責任を果たすことこそ肝要である。

「秩父事件」と菅原文太

 「秩父困民党事件」のことは、詳しくは知らなかった。
 朝日新聞のシリーズ「みちものがたり」で、『俳優・菅原文太と秩父事件』という記事に目がとまった。

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 菅原文太と言えば、映画「仁義なき戦い」や「トラック野郎」シリーズに主演する東映の看板スターというイメージが強い。
 その菅原さんと「秩父事件」に接点ができたのは、1980年放映のNHK大河ドラマ「獅子の時代」にさかのぼるらしい。以下、朝日新聞の記事を追ってみたい。

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 同ドラマは山田太一さんのオリジナル脚本で、主人公は会津藩と薩摩藩の架空の下級武士二人。偉人ではなく、民衆の側から幕末・明治の激動の時代の光と影を浮き彫りにした。
 ドラマの終盤で菅原さん演じる会津藩士・平沼銑次は秩父事件に身を投じる。「自由自治元年」の旗を掲げた銑次が一人で鎮台兵に斬り込んでいく強烈なラストシーン。
 
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 それから31年後の2011年12月、菅原さんが東馬流集落(長野県)のはずれにある「秩父暴徒戦死者之墓」を訪れた。翌年1月にNHK・Eテレで放送されたシリーズ「日本人は何を考えてきたのか」の第2回「自由民権、東北で始まる」のロケ現場の下見のためだ。
 菅原さんは出演にあたって注文した。「自由民権を今の問題として考えたい」「東日本大震災の被災地に行きたい」、そして「ぜひ秩父事件もとりあげたい」。

 菅原さんは墓石をそっとなでた。その場面に、本人のナレーションがかぶせられた。「歴史の中で長く『暴徒』とされた困民党の人々こそ、自由民権の志を最後まで貫いた志士たちではなかったか」。

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 「獅子の時代」放送翌年の1981年は「自由民権百年」。同年11月、横浜市で開かれた「自由民権百年全国集会」には延べ7千人が参加した。出席した菅原さんは、日本が「どこからか戦争の足音が聞こえないでもない」状況だとして「銑次が現代に生き続けて民衆のために戦っているとすれば演じがいがある」と発言。「銑次はゲバラじゃないかと考えながら演じていた」とも語っている。

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 権力に抗い、志半ばで倒れた者たちへの熱い共感。俳優・菅原文太の原点はどこにあったのか。
 仙台市で生まれ、戦争中は一迫町(現・栗原市)で過ごした。父・狭間二郎は戦前に一時期、プロレタリア詩人として活躍、戦後は画家となった。底辺労働者たちの苛酷な境遇を憤る父の詩には、菅原さんの反骨精神へと通じるものがある。
 仙台一高の1年後輩で、終生の友だった憲法学者の樋口陽一さんは、「権勢や流行にあらがって自分の信じるところをゆく。文ちゃんは、借り物ではない自分の言葉をもっていた」。
 約250本の出演映画で演じたほとんどが社会の底辺や裏で生きる人たちだった。

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 晩年、戦争を知る世代として、身を削るように反戦、護憲、反原発、沖縄の基地問題について訴え続け、各地を飛び回る姿は、銑次そのものだった。
2014年11月1日には、沖縄県知事選で辺野古基地建設に反対する候補の応援に駆け付けた。対立陣営に向けて「弾はまだ残っとるがよ」と、「仁義なきー」の決めゼリフを放ち、地響きのような歓声がわいた。

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 困民党が終わりを迎えた11月9日、菅原さんの姿は秩父市にあった。「秩父事件130周年」の記念講演のためだった。
「今、日本はおかしくなっていますね」、「なぜ怒りの声があがらないのか」。「秩父事件をみると、かつての日本では、一人一人の力は弱くても、権力の理不尽なことには団結して抵抗する底力があった」。

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 なぜ長年、秩父事件と困民党に「愛着」をもち続けてきたのか。――「『天朝様に逆らうから助っ人しろ!』と悲痛な覚悟で官憲に突っ込んでいった若者がいたと聞いて感銘深くてね。天皇制が絶対の時代に、そんな日本人もいたんだと」。

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 菅原さんが亡くなったのは11月28日。秩父での講演から19日後のことだった。
 あまりにも惜しい人がこの世を去ってしまった。あらためて心よりご冥福をお祈りいたします。  合掌

皇室とハンセン病

  先日、「天皇主義者」について書いた。
 天皇は、自らの務めは鎮魂と慰藉の旅だと解釈され、実際、ハンセン病療養所や水俣病患者への訪問、さらにサイパン、ペリリューの慰問に出かけられている。

     ペリリュー島
     (ペリリュー島で慰霊)

 ところで、先月の毎日新聞の連載「考・皇室~社会を映す」(5月29日付)で、皇室とハンセン病の関係について解説してあった。その要点は次のとおりだ。
――2005年5月、天皇と共にハンセン病療養所「長島愛生園」を訪れた美智子皇后。背景には、歴代皇后とハンセン病の縁があるという。
 古くは奈良時代の光明皇后、明治の昭憲皇太后、そして大正期の貞明皇后はとりわけ熱心だった。

――その背後には国策が透けて見える。政府は30年に「長島愛生園」を開き、翌31年には「癩予防法」を成立させた。
 満洲事変が起きたのは31年。政府は健康な兵士の確保のためハンセン病対策を重視した。天皇を頂点とする男性皇族が軍人になったのに対し、皇后ら女性皇族は慈恵を担った。
 政府は「救らい事業」のけん引役を皇后に求めた。
 「プロパガンダの一つとして、光明皇后の先例にもあるから(貞明)皇后が哀れなるらい患者に大御心をわずらわすということにされたらいい」(次田大三郎・内務省地方局長)というわけだ。

     駿河療養所
     (駿河療養所を慰問)

――戦死者遺族の救済などのため創設された「愛国婦人会」(01年)、39年に設立された「結核予防会」は、いずれも女性皇族を総裁に迎えた。
 「行政の支援が届かない人ほど皇室の慈恵は響きやすかった」(片野真佐子・大阪商大教授)と言う。当時、貧困対策は後回しにされた。それを補ったのが、天皇という権威に裏付けられた皇后の慈恵という構図だった。

     東北新生園
     (東北新生園を慰問)

――自民党改憲草案は天皇を元首と位置付ける。「安倍政権は天皇の権威を強化し、上からの慈恵も復活させたいのではないか」、と遠藤興一・明治学院大名誉教授は話す。
 ハンセン病療養所への隔離政策を違憲とした熊本地裁判決から4年後、厚労省の第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」は、貞明皇后とハンセン病の関わりに触れ「患者は皇室の権威を借りて排除された事実も指摘しなければならない」との報告書を提出した。
 同報告書は、癩予防協会を引き継いだ藤楓協会の役割について「皇族の『仁慈』を全面的に出すことにより、人権意識に目覚め隔離政策に反対する患者を抑え、あくまでも同情される存在であり続けさせることである」と指弾した。

 「母子愛育会」、「結核予防会」、「日本赤十字社」、「東京慈恵会」など、今も女性皇族は公務に就いている。
 しかし、政府は女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」の創設に消極的だ。

     南阿蘇訪問の天皇
     (南阿蘇訪問の天皇・皇后)

 ひたすら社会的に弱い立場の人々に沿い続ける、という単純なものではなかったのか。
 しかしそれでも、福島や熊本などの被災地をひんぱんに訪れては、ひざまづいて被災者の声を聞き慰問される姿に胸をうたれる。

ネット依存症とSNSの時代

 松飾などを片付け「七草がゆ」をいただいて、お正月に一区切りした。
 それにしても、年末年始のTV番組の面白くないこと。ニュースはもっぱら、トランプ新米大統領、朴槿恵韓国大統領の弾劾、〝小池劇場〟のあれこれなどの繰り返しだ。

 私の日常生活も、まったく単調で退屈この上ない。毎朝、新聞記事の切り抜きとパソコン保存、ブログにフェイスブックといったことの繰り返しで、パソコンから離れない。
・・・たまたま、朝日新聞に「危険、若者のネット依存」(1/7)、「SNSの時代、格闘は続く」(1/9)という記事が目にとまった。

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 「インターネット依存」――厚労省の中高生のネット依存度調査(12年度)では、中学生の6%、高校生の9・4%が該当し、全国で約52万人と推計した。
 この問題に詳しい医師の話しでは、若者のネット依存が顕在化したのは15年ほど前から。低年齢ほど人格形成が未成熟で依存に陥りやすいという。

 どうすれば防げるのか。――専門医によると、ネットでゲームができる環境の与えっぱなしをやめ、利用制限するルールを家庭で作るのが有効。趣味や学業、部活などに取り組むように保護者や周囲が仕向ける。
 子どもがネットに逃避する背景には、家族関係のゆがみがあることが多く、特に父親の家庭への関与が薄いケースが目立つという。

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 一方、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が本格化するのは1990年代に入ってからのようだ。
 紀元105年の紙、15世紀の活版印刷の発明。そして新聞、ラジオ、テレビ、ネットの登場。技術の発展に伴い、人類が生む情報量は増え続けてきた、と言われる。実際、掲載した図を見ると驚くべき勢いだ。

 1950年代半ば、評論家の大宅壮一が「家庭の茶の間に氾濫しては一億総白痴化になる」と発言して流行語になった。新しいメディアが登場するたびに、悪影響を心配する声も出た。「自分で選択し判断できる『自律した人間』が近代西洋社会の理想だった。それが難しくなりつつある」と門林岳史・関西大学准教授は指摘する。
 いずれにしても、難しい時代を迎えつつある。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)