「花子とアン」と波乱に満ちた柳原白蓮の生涯

 今月1日放送の「歴史列伝~柳原白蓮」(BS-TBS)が実に面白かった。
NHK朝ドラの「花子とアン」は視聴率も高く、その中で仲間由紀子が演じている「葉山蓮子」が白蓮である。
 白蓮の一生はとても波乱に満ちていて、主人公を蓮子にしたほうがよほど面白いほどだ。

          仲間由紀恵
        (葉山蓮子こと柳原白蓮を演じる仲間由紀恵)

 白蓮は、明治18年、父・柳原前光伯爵と母・奥津りょう(前光の妾)の間に東京で生まれ、「燁子」と名付けられる。大正天皇の生母・柳原愛子の姪で、天皇の従妹にあたる。
 9歳で子爵・北小路随光(よりみつ)の養女となり、和歌の手ほどきを受ける。華族令や家範という管理下で随光の子・資武(すけたけ)と不本意な結婚を強いられ、15歳で出産した男子を残す条件で離婚。

         伊藤伝右衛門と
        (白蓮と伊藤伝右衛門)

 実家に戻ってからも不遇な生活だったが、やがて東洋英和女学校に編入学し、村岡花子とも親交を深める。同校を卒業した年、九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門と見合い結婚することとなる。親子ほどの年齢差や伊藤家の複雑な家族関係など歪んだ結婚生活の懊脳・孤独をひたすら短歌に託し、竹柏会の師・佐佐木信綱の勧めで雅号「白蓮」を名乗る事となる。

         家族四人
        (宮崎龍介と二人の子ども)

 1919年(大正8年)、白蓮は戯曲「指鬘外道」(しまんげどう)を雑誌『解放』に発表し、これがきっかけで同誌主筆の宮崎龍介との運命的出会いとなった。龍介は宮崎滔天(孫文を支援した)の長男で、東京帝大の在籍しながら労働運動に打ち込んでいた。
 2年後、京都での逢瀬で白蓮は龍介の子を身ごもった。「姦通罪」のあったこの時代に、道ならぬ恋は命がけであった。白蓮は伊藤家を出る覚悟を決め、龍介は朝日新聞記者の赤松克麿(赤松広隆・現衆議院議員の祖父)らと相談して、白蓮出奔の計画を練った。

         晩年の白蓮
          (晩年の白蓮)

 関東大震災(大正12年)の頃、駆け落ち騒動の最中に生まれた長男・香織と共に宮崎家の人となった白蓮は経済的困窮に直面するが、小説・歌集・講演などで家計を支えた。
 この頃、吉原遊郭から脱出した花魁の森光子が宮崎家に助けを求めている。娼妓や労働運動関係者、中国人留学生らを食客として世話をした。

         飯塚市・白蓮の歌碑
         (飯塚市・白蓮の歌碑)

 龍介は昭和12年、盧溝橋事件で緊迫する中国との和平工作の特使として、近衛文麿首相の依頼で上海へ派遣されるが失敗。長男・香織は学徒出陣で串木野基地(鹿児島)で爆撃を受けて戦死する。
 戦後、NHKラジオで子どもの死の悲しみと平和を訴える気持ちを語り、「悲母の会」を結成して全国を行脚、世界連邦運動婦人部へ発展させた。
 1961年、緑内障で両眼の視力を失う。龍介の介護と娘夫婦に見守られ、歌を詠みつつ暮らした穏やかな晩年であった。67年2月、81歳で死去。遺骨は香織と共に顕鏡寺(相模原市石老山)に納められた。

 〝大正三美人〟あるときは〝筑紫の女王〟と称され、男尊女卑が当たり前の時代にあって、幾多の困難を乗り越えて自らの信念と生きざまを貫いた美貌の歌人・柳原白蓮に感激した
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ボノボとベラウの女性優位社会

 昨日の朝日新聞で、サルの記事が興味深かった。「ボノボ」――チンパンジーと並んで人間に最も近い動物で、アフリカ・コンゴの熱帯雨林に生息し、絶滅危惧種に指定されている。熊本県宇城市の京大野生動物研究センターで4頭の飼育が始まったという。

          ボノボ
           (ボノボ 朝日新聞13年12月4日付)

 チンパンジーはオス優位の群れを作るが、ボノボはメス優位の社会を築くらしい。ふと思い浮かんだのは、太平洋のベラウ共和国(パラオ諸島)のことだ。地球上で最後に残る「母系社会」と言われる。
 20年前の93年1月、原水禁九州ブロックの第九次ベラウ交流調査団(団長:慶田盛泰八、12人)の事務長として参加した。私の帰国報告(読売新聞、93年2月19日付)から抜粋してみる。

          パラオ諸島

 ベラウ共和国(パラオ諸島)は、約200の島々から成り総面積5百平方キロで淡路島より狭く、人口は約1万5千人。日本の委任統治領だったが、戦後、米国の信託統治領となる。

        集会場「アバイ」
         (「アバイ」と呼ばれる男性の集会所)

 80年7月、三度の投票の末に世界で初めて「非核憲法」を制定する。日本の憲法第九条を参考に起草されたもので、あらゆる核・生物・化学兵器及び廃棄物の実験・貯蔵・廃棄をいっさい禁じた。米国にとっては甚だ不都合な内容だった。

          ベラウ・キッタレンの女性たち
           (キッタレンの女性たち)

 私たちが交流したのは、ベラウの非核・独立を求める住民組織「キッタレン」の人々であった。米国の強大な圧力の下で、二人の大統領が銃弾に倒れた。私たち調査団との会見に気さくに応じてくれた日系二世のクニオ・ナカムラ大統領は「わが国に軍隊はなく、非核・平和こそ尊い」と率直に語った。(※翌94年10月、米国と「自由連合協定」を結んで独立する)

        ペリリュウ島の戦車
         (ペリリュー島に放置された旧日本軍の戦車)

 コバルトブルーに輝く美しい海に魅せられて、多くの日本人観光客が訪れるミクロネシア。そこは、敗戦までの30年間、「南洋群島」と呼ばれ、日本の植民地支配を受けた地域でもあった。ペリリュー島には、錆びついた戦車や高射砲の残がいが散在し、激戦の傷痕をしのばせていた。

 これら諸島は、戦後補償の対象から外された。今日、日本の観光資本による開発、遠洋漁船による乱獲、ODA援助などによって、伝統的な文化・慣習が壊され、経済的自立を妨げられてさえいる。

          キッタレンの人たちと交流団
           (キッタレンの人々と交流視察団)

 ヤシの木が生い茂るトタン屋根の下で、交流したキッタレンのメンバーは全員女性で、男性は缶ビールを飲みながら交流の様子を周りで覗っている。女性優位の社会は、なんとなく落ち着きと平穏を感じて、楽しいひと時だったことをしみじみ思い出す。
 戦前・戦後の女性解放運動の指導者だった平塚らいてうの「原始、女性は太陽であった」という有名な言葉が重なる。

          平塚らいてう
            (平塚らいてう)

 頑なに「非核憲法」を守り抜くベラウの人々とは対照的に、憲法九条を無きものにしてアジア太平洋に新たな野心を抱く❛大国ニッポン❜の姿と、70年前の暗い歴史が重なって見える気がしてならない。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)