佐伯啓思氏の『異論のススメ』に異論あり!

 朝日新聞のコラム『異論のススメ』には、とても違和感を抱く。佐伯啓思氏(京都大学名誉教授)の主観と偏見に満ちた論説には辟易する。

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     (佐伯啓思氏)

5月5日付の「憲法9条の矛盾 平和守るため戦わねば」を要約してみる。
――「朝鮮半島有事」が現実味を帯びてきたが、果たして憲法の枠組みのなかで対応できるのか。「安保法制」は違憲という野党や識者・学者は、朝鮮半島情勢にはまったく無関心のふりだ。

――今日のような「緊急事態前夜」になってみれば、そもそもの戦後憲法の基本的な立場に無理があった。もはや「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いるわけにはいかなくなった。
 ロシアや北朝鮮とはいまだに平和条約を締結していない。中国との国交回復に際しては、尖閣など領土問題は確定していない。つまり、これらの諸国とは、形式的にはいまだに戦争は終結していない。

――9条は「戦力の放棄と交戦権の否定」(2項)しており、自衛のしようがない。
 しかし、自衛権は主権国家の固有の権利であり、国防は憲法の前提なのだ。
 われわれが他国によって侵略・攻撃されたら、断固として自衛の戦いをしなければならない。これこそ「普遍的な政治道徳の法則」である。

 いやー、恐れ入ったね。(笑い)事実誤認もさることながら、これほど手前勝手に物事を解釈して平然としておれるとは・・・。
 こんな人物をあえてコラムニストに選ぶとは、朝日新聞の見識を疑いたくなる。

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      (内田雅敏氏)

 520日付のコラム「私の紙面」では、内田雅敏氏(弁護士)が反論を加えている。
――中国とは、72年の日中共同声明で中国は戦争賠償の請求を放棄し、78年には日中平和条約が結ばれて、日中間の戦争は終結している。
――無人島の防衛で息巻く人たちが沖縄問題に冷淡なのには驚く。佐伯氏は、ポツダム宣言や降伏文書に沖縄の現状が違反していることになぜ気づかないのだろうか。
――「諸国家」同士は争っていても、「諸国民」同士は戦争を望んでいないし、煽らなければ仲良くできるのだ。

     首相・安倍晋三

 「朝鮮半島有事」とか大上段に振りかぶっているけど、その正体は――米朝の〝チキンゲーム〟。「危機などない」と自衛隊幹部。在韓米国人への退避勧告なし。空母艦載機パイロットの離着陸訓練も前倒しなし。演出含みの危機に過剰反応せず、危機を「正しく恐れる」ことも重要ではないか。(朝日新聞5/19付の社説『余滴』)
 安倍政権はこの間、北朝鮮ミサイルや中国軍拡の「脅威」を煽り〝奇禍〟として、「秘密保護法」「安保法制」を成立させ、今「共謀罪」も成立寸前だ。
 どうやら佐伯氏は、こうした流れを後押ししているようだ。
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憲法施行70周年ーー2020年制定めざす安倍首相

  改憲をめざす安倍首相の鼻息が荒い。
 憲法施行70周年を迎える5月3日を前に、読売新聞のインタビュー(4月26日)で自民党総裁としての決意を語った。

     17.5.3読売・首相インタビュー

――東京五輪・パラリンピックが開催される20年を『新しい憲法』が施行される年にしたい。
 (具体的な改正項目は)9条に自衛隊の根拠規定を設ける。「党の改憲草案にこだわるべきでない」と明言して、「私の世代は自衛隊を合憲化することが使命」との考え方を示した。
 また、日本維新の会が主張する「教育無償化」について、歓迎すると述べた。

  安倍首相は第一次政権の時「戦後レジームからの脱却」を掲げて、占領下で押し付けられた憲法を見直して天皇や国家を中心とした〝明治体制〟に戻る理念を示した。
  憲法第96条の三分の二突破が困難とみるや、第二次政権では「集団的自衛権の行使」を閣議決定するという奇略を断行して、「緊急事態条項」など〝各個撃破〟作戦に転じた。

     小林節

  元々、改憲派だった小林節氏(慶応義塾大学・名誉教授)は次のように語る。
――自民党の改憲草案は、国民主権を制限し、天皇や国家を中心とした明治憲法に戻ろうと戦前回帰を狙った内容になっている。
――自民党の改憲派は、現憲法は米国の押しつけで、人権は欧米の産物だという考え方が強い。「安倍一強」の時代となり、党内の反対者やメディアまで押し黙っている。
――私は、専守防衛を明確にするためにも、「自衛軍」と「個別的自衛権」は明記すべきだ。9条の精神を損なわないための改正が必要だ。

  自民党の上川陽子議員(衆院憲法審査会委員)は、「〝押し付け論〟を卒業して、基本的な議論を深めていきたい」と言っている。
  米国による「押し付け論」は事実に反するし、〝戦前回帰〟だとの批判を招くとの思いに至ったのだろう。
 「『押し付けだから気に入らない』というのでは、『いまの日本国憲法に内容的問題がない』と自白しているようなもの」と、木村草太氏(首都大学・法学系教授)は手厳しい。

     小熊英二
     (小熊英二氏)

  小熊英二氏(慶応義塾大学教授)は、「各党(自民・民進・公明・維新)が挙げる改正点は、環境権・地方自治・緊急事態対応・合区解消・教育無償化・首相の解散権。それらは改憲せずとも法律の改正で対応できる」と語り、ケネス・盛・マッケルウィン氏(東大社会科学研究所准教授)の解説を紹介している。

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     (マッケルウィン氏)

――日本国憲法は字数でかなり短い。人権規定は多いが統治機構は少なく曖昧で、法律に委ねているものが圧倒的に多い(「法律でこれを定める」と書いてある条文は10カ所もある)。
 憲法は権力者が守るべきもの。憲法の規定が簡略すぎるのは問題だ。政権党や政府の裁量や解釈が入り込みやすい。

  ところで、憲法の「制定過程」については以前に書いたと思うが、再確認の意味で述べておきたい。
 最近、米国による「押し付け論」への反論として「幣原首相による提案」説が見受けられる。だが、幣原首相はマッカーサーからの「戦争放棄」の提案に消極的な発言をしたことを理由に反論もあり、9条の発案者を巡る論争は決着していないとされる。

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  マッカーサーは「回想記」で幣原提案説を語っている。それは、帰国後、大統領選挙に出馬するにあたり日本の「非武装」を批判されたことへの反論の必要からだ。
  マッカーサーは日本の統治に天皇を必要と考え、天皇も「皇室存続」だけが関心事であり、アジア諸国にたいしても日本の「非武装」が不可欠だったのである。
 「幣原提案」説は当時の天皇を差し置いてありえず、天皇の命でマッカーサーに提案したと推測するのが妥当だろう。

     天皇とマッカーサー

  いずれにせよ、憲法は施行以来70年間一度も改正されることもなく、国民の間に定着しているのが現状だ。あえて改正すべき具体的事情がほとんど見当たらない。

安倍政権と「日本会議」ーー近代民主主義を巡る一大決戦

 先の参院選で自・公など与党が改憲の発議に必要な三分の二を確保し、「自分の任期中に憲法改正をやり遂げる」と断言した安倍晋三首相。
 この安倍政権と密接な関係を持ち、憲法改正などの政治運動を展開する草の根右派組織『日本会議』。――20人の閣僚の内13人が「日本会議国会議員懇談会」に名を連ね、約280人前後の国会議員が加盟している。

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 とても気になって、「日本会議の正体」(青木理、平凡社新書)や朝日ジャーナル緊急復刊の「激論・島薗VS菅野」などを読んでみた。
 まず、「日本会議の正体」をベースに全体像をスケッチしておく。

 日本会議は97年5月、「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が合流して結成された。国民会議は、財界・政界・学会・宗教界などの代表が集まって結成。守る会は、右派系の宗教団体が中心となって結成され、とくに「生長の家」教祖の谷口雅春が大きく貢献した。
 設立時の基本運動方針では、①皇室の尊崇②憲法の改正、③国防の充実、④愛国教育の推進、⑤伝統的な家族観の重視、に集約される。
会員は約3万8千人、会費収入は年間約3億8千万円。資金面では、神社本庁や明治神宮をはじめ資金潤沢な宗教団体が支えているとされる(推測)。
 
     谷口雅春
     (「生長の家」初代総裁・谷口雅春)

 それにしても、驚いたのは日本会議の事務総長を務めている椛島有三のことだ。日本会議での活動の原点が母校・長崎大での反左翼運動だったという。
 60年安保闘争から全共闘運動へ連なっていく66年、全国の大学は新左翼系セクトの学生たちに席捲されていた。

 ところが、この年10月、長崎大教養部の自治会選挙で、左派学生主導のストライキに反対を唱えて、右派学生の「有志会」が委員長の座を獲得した。主要大学で初めての出来事で、これを主導したのが椛島有三や安東巌であった。
 いずれも生長の家系のサークル「精神科学研究会」のメンバーで、両親や本人が生長の家の熱心な信者だった。
 ちなみに、かつて新右翼団体「一水会」の代表を務め、現在は評論家として活躍中の鈴木邦男も生長の家出身だ。

     日本会議などの幹部
     (日本会議などの幹部。左端・田久保忠衛会長。右端・櫻井よしこ)

 彼らは、それまでの右翼と異なりビラまきや個別オルグなどを地道に展開するなど、全共闘運動から学んだという。
 日本会議が特に力を入れているのが、地方組織の充実化で小選挙区に合わせて300を目標にしている。
 同時に、「日本会議地方議員連盟」を組織して、地方議会への浸透に力を入れている。
「地方から都市へ」という戦略を重視し、まるで毛沢東の「農村から都市を包囲する」という戦略を倣っているかのようだ。

 生長の家が政治連合(生政連)を結成して正式に政界進出を宣言したのが64年8月。ところが83年、突如方針を大転換して、政治とのかかわりを一切断つと宣言した。
理由は、人工中絶反対の考えで優生保護法改正運動を展開したが、自民党の大半がこれに反対したこと、お抱え政治家の玉置和郎との溝が深まったことなどであった。

     みんなで靖国神社お参拝する国会議員の会
     (みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会の尾辻秀久会長ら)

 現在、第3代総裁・谷口雅宣のもとでも、日本会議とは無関係。むしろ昨今は「エコロジー」に力を入れる環境左派の色彩を強め、安倍政権のありようには批判的である。
参院選を目前に控えた今年6月、「与党とその候補者を支持しない」との本部方針を決定した。
――安倍政権は立憲主義を軽視し、原発再稼働を強行し、海外に向かっては緊張を高め、私たちの信仰や信念と相容れない政策や政治運営を行ってきた。
 日本会議の主張する政治路線は、生長の家の信念と方法とはまったく異質のものであり、時代錯誤的である。

     美しい日本の憲法をつくる国民の会
     (「美しい日本の憲法をつくる国民の会」主催の集会)

 14年1月、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の設立総会で、生学連出身の参院議員・衛藤晟一は「安倍晋三内閣は憲法改正のために成立した。最後のスイッチが押されるときがきた」とのエールを送った。
 結成いらい約20年間、地方での「改憲決議」、中央での大規模集会、政府や与党を突き上げる改憲派議員など〝草の根〟的な運動を積み上げてきた日本会議。

 安倍政権の誕生は、「阻止・反対の運動をする段階から価値・方向性を提案する段階へと変化した」(椛島事務総長)というほどに理想的なものである。
 椛島は『祖国と青年』誌にこう書いている。――「このような憲法改正の機会は戦後70年において初めて起こったことであると思えば、歴史的事件が起きているとの自覚に立たなければならない。与えられたチャンスは一度と定め、チャンスを確実にする戦いを進めていきたいと思います。」(05年5月号より)

     安倍首相

 ジャーナリストの青木理によると、「安倍政権的なもの、日本会議的なものを許容する日本社会の変質がある」。「全共連運動などがなくなり、冷戦体制の崩壊があり、社会党や労働組合の衰弱もあった」。
 宗教学の泰斗・島薗進(東大名誉教授)によると、「日本会議はかなり特殊な勢力です。神社本庁も含めて、復古的な思想を持った人たちの集まりです」。「戦前もそうでしたが、停滞期において不安になった人々は、自分たちのアイデンティティーを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠するようになる。非常に危ういですね」。

 メディアもひどく鈍感になった。「今年5月の伊勢志摩サミットの折、安倍が各国首脳を伊勢神宮へ誘ったことを批判的に捉える報道すら皆無だった。」
 戦後日本の右派をウオッチしてきた『月刊日本』主幹の南丘喜八郎の分析によると、「憲法をめぐる考えひとつとっても、日本会議の内部や周辺には『明治憲法の復元』から『自主憲法の制定』、そして『現行憲法の改正』までいろいろな立場がある。一方、昨年の安保関連法制を解釈改憲で押し切ったことも影響し、憲法改正を支持する世論はむしろ減ってしまったから、現実には憲法改正は相当難しくなっている。改憲がうまくいかないということになれば内部対立が顕在化し、組織が瓦解してしまうことも十分に考えられます」。

 戦後、いや近代民主主義の根本原則そのものを守れるか否か、最後の砦をめぐるせめぎ合いである。
                                         (※文中、敬称は省略)

天皇の「お言葉」と生前退位に思う

 今月8日、天皇陛下自らが象徴天皇のあり方を問いかけるビデオメッセージ(約11分)が公表された。

 天皇は数年前から、自らの「身の処し方」や「象徴天皇のあり方」について思索を重ね、皇太子や秋篠宮と食事を共にして自らの考えを伝えていたようだ。
 3年前には、自分の「最後」に際して火葬や陵の見直しなどを宮内庁に伝えていた。これまでの天皇にはなかったことだ。

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 今回の「お言葉」で天皇は、公務を減らすつもりはなく、摂政を置くことを事実上否定し、儀礼の簡素化などかなり踏み込んだ内容になっている。
 「戦前的、権威的な面があった昭和天皇に対し、平成天皇はここ十数年、開かれた皇室と皇室外交、戦争の犠牲者への慰霊追悼という平和希求、国民とくに弱者に寄り添うという四つの柱を立てて、象徴天皇として内実を築くのに大きな役割を果たしてきた」(吉田裕・一橋大教授)。

     憲法と皇室典範の条文

 天皇がその位を生前に皇太子に譲る「生前退位」の意向を示されたと、新聞報道されたのは先月14日だった。
 譲位継承を実現するには、「皇室典範改正」が必要となる。現天皇に限って例外的に特別立法をつくるのは将来に禍根を残しかねない、との指摘がある。
 皇室典範改正に現政権は消極的と言われる。女性・女系天皇についての議論が再燃しかねないからだ。

     16.8.9朝日・象徴天皇の1-4 - コピー

 こうした「天皇制」に関して、国民の大半が支持している。しかし、左翼や平和運動家、労組活動家などは否定的である。共産党も「国民的合意に基づいて廃止する」と綱領に書いている。また、「皇室に関心はない」という人たちも少なくない。

 私の率直な感想――終身天皇って想像以上に大変なんだ。天皇・皇后が「私人」になれる時はどれほどあるんだろうか?
 「私人として過ごすときにも自分たちの立場を完全に離れることはできません」(68歳)。「私は(結婚する前)家庭生活をしてこなかった」(75歳)。「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものです」(80歳)。(いずれも天皇の会見より。「天声人語」8/9付)

     南阿蘇訪問の天皇
     (南阿蘇の被災者を慰問する天皇)

 今日、最大の「憲法擁護」者は天皇ではないかと思う。「象徴天皇制」(第一章)と「非武装」(第九条)はワンセット。つまり第九条は、「天皇免責と皇室存続」の〝担保〟となっているのだ。
 最近、「米国による憲法押し付け」論への反論として「第九条の発案者は幣原首相だった」との説が流布している。しかし、幣原首相が天皇の頭越しに第九条提言(対マッカーサー)などできるはずがなく、真相は昭和天皇が「命じた」はずである。
 現天皇は、皇室にとって憲法が何より重要であるということを、昭和天皇よりしっかり受け継いでいるのである。

     「岸時代の調査会」肉声発見

 いずれにしても、自民党の「憲法改正草案」で謳う「天皇元首化」など論外で、皇室にとっては甚だ迷惑な話しであろう。
 皇室典範改正ともなれば数年がかりの煩雑な作業となり、憲法改正は当分棚上げせざるをえないのではないか。
 

「遠藤三郎賞」~陸軍中将が戦後「護憲運動」の先駆へ

 朝日新聞の連載記事『新聞と9条』(長沼裁判編)の7/12付に、遠藤三郎の名前が出てきた。
 (※「長沼裁判」とは、1969年、空自の「ナイキ地対空ミサイル基地」建設のため、国有保安林の指定を解除。これに対し反対住民が「自衛隊は違憲、保安林解除は違法」として起こした行政訴訟)
 遠藤三郎の名は、平和フォーラム(旧護憲連合)の全国集会で「遠藤三郎賞」として出てくる。各地で長年、護憲・平和運動に尽力してきた人・団体に贈られる。

    NikeHercules[1]
    (ナイキミサイル)

 同記事から抜粋してみる。――7/12付の書き出しは、「長沼裁判の第18回口頭弁論は、元陸軍中将で戦後は平和運動に進んだ遠藤三郎への尋問が続いた」。
(護憲運動を始めた時期は)「朝鮮戦争がぼっ発いたしまして、日本に再軍備の気配が起ったときから、この憲法を守ることをやらなければならんと考えました」。

 (国会の自衛隊法審議で反対論を述べたのは)「基本法である憲法を、もっとも責任のある国の指導者連中がごまかすようでは、国民に遵法の精神がなくなるんじゃないかと、そんなことをやったら日本は法治国としての資格がなくなる。だから……反対しました」。

 (軍備による国防は危険であり有害なものだというお考えは戦後、お持ちになったのか)
「大正の末期、旧軍首脳は仮想敵国を米国、ソ連、中国としたが、作戦計画を作ると、大幅に兵力は不足した。そんな折ジュネーブ海軍軍縮会議で、軍縮の重要性を認識した。だが当時は、日本一国の軍備撤廃は危険だと思っていた」。

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     (陸軍中将・遠藤三郎)

 「戦争の残虐性をいやというほど体験して、……負けたのはくやしかったんですよ。しかし、念願しておった、世界に先がけて軍備撤廃する。これでこそ日本の将来は洋々たるものだということに気がつきまして」。
 「地理的にも、非常に日本は軍備をもって防衛しにくい国であります。細長いですし、奥ゆきがないんですから。」

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    (朝日新聞 7/12付)

 「この憲法を守るのは本当にわれわれ国民だけじゃない。総理大臣が一番先に守らなければならない」。そう語って証言を終えた。
 当時から約半世紀近く、自衛隊に対する国民の認知度は90%ほどに高まったが、総理を始め閣僚・政治家らの憲法遵守義務は〝紙よりも軽く〟なった。
 秋の臨時国会を皮切りに「憲法審査会」の動向から目が離せない。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)