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米軍ヘリの緊急着陸と米軍の思惑

  今月13日、米軍ヘリが「天候不良、燃料不足」を理由に対馬に緊急着陸した。このところ米軍機の不時着や緊急着陸が相次いでいる。
 専門家の説明では「パイロットの疲労や機体の整備不足」が緊急着陸の原因ではないかと言う。

   米軍ヘリ対馬に不時着
   (米軍ヘリ対馬に緊急着陸)

  しかし、私は「緊急着陸は、きわめて意図的」なものと思う。
90年代に米海軍の空母やイージス艦などが全国各地の「民間港」に寄港したことを思い出した。
 そこで、関係資料を探したのだが見つからない。資料などは一度処分したら、もう二度と戻らない。ーー当たり前のことなのに、「残り少ない人生で読むこともあるまい」と思って大半の保存ファイルを処分してしまっていたのだ。
 幸いにも、「米軍航空機や艦艇の民間空港・港湾の利用」について、残したファイルのなかに当該記事があった。

   10.4.24長崎・安保改定50年2 - コピー
   (長崎新聞2010.4.24付)

  『安保改定50年』。沖縄タイムス・神奈川新聞・長崎新聞の三社共同による長期連載だ。
 1994年、米軍が朝鮮半島有事を想定し、自衛隊側に要求した「対日支援要求」。米側が最も期待したのは、自衛隊による公海上での掃海活動(機雷除去)だった。
しかし、内閣法制局は「国際法上は戦争状態となり憲法9条に抵触する」との判断を下した。

   米軍艦の民間港への寄稿隻数

  これと並行するように、自衛隊内でも具体的な協議が進行していた。
在日米軍司令部から、具体的な要望が届けられたのは1994年4月。民間空港・港湾の使用、弾薬輸送、在日米軍基地の警備など1059項目に及んだ。
冨澤暉・陸幕長は「その後の周辺事態法のベースになった」。石原信雄・官房副長官も「安保再定義、ガイドライン見直しなど、すべてのスタートラインになった」と口をそろえる。
97年の安保再定義、99年の周辺事態法、03年の有事法制三法と急ピッチで進んだ。

   主な在日米軍基地

  「9.11米国テロ事件」後、基地のない民間港への入港が増えている。「港の形状や自治体、住民の反応、娯楽などの環境を情報収集」しているという。
 2009年までの7年間で37都市、155隻に達した。(外務省調べ)
 米側から事前通告があれば、入港料は不要とされる。
 空港では、長崎空港がダントツで2番目は福岡空港、「佐世保基地に滑走路がない」のが理由という。
 一方、米軍は自衛隊基地を利用することで日米の〝軍事一体化〟を進め、併せて基地の整備・維持費などが自衛隊負担なので、経費節減になるという訳だ。
 外務省は、米軍に基地を提供した以上、「米軍の運用には一切口を挟まない」としており、米軍の自由放任がまかり通っているのが現状だ。

     IMG_20180916_152647.jpg

  同シリーズを加筆・編集した本『米軍基地の現場から』(高文研)が7年前に出版されている。
 また、安保改定50年にあわせて連載された「赤旗」(共産党機関紙)の『従属の同盟』は佳作だった。
  2年後は「安保改定60年」だ。沖縄・辺野古の問題はもとより「米軍再編の現状」、「日米同盟のあり方」を根源的に問い直すことが、国会だけでなく国民一人一人に問われているのではないかと思う。

 
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九州大にファントム戦闘機墜落から50年に思う

 「エンプラ闘争」があった1968年の6月2日、九州大学箱崎キャンパス(福岡市東区)に米軍機ファントムが墜落してから50年になる。私が佐世保地区労に入局した翌日の出来事だ。

     九大にファントム墜落
     
 朝日新聞の記事(今年6月2日付)から引用すると、
 ――同事故では、板付基地に向かっていたファントムが建設中の大型計算機センターに衝突、炎上した。操縦士は脱出し、けが人はなかった。
 当時はベトナム戦争の最中で、九大総長が先頭に立って街頭デモに繰り出すなど、基地撤去を求める声が大きく広がった。現場は学生らがバリケードで取り囲み、反戦・反基地運動の象徴になった。

 ――敷地の大半が返還され、72年4月に「福岡空港」となった。
 だが、約353ヘクタールの敷地のうち滑走路や誘導路など48.5ヘクタールが今も日米地位協定に基づく日米共用の「米軍一時使用区域」で、ほかに「米軍専用区域」が2.3ヘクタールある。

――板付基地のルーツは旧陸軍が45年に完成させた「席田飛行場」。戦後、米軍が接収し、拡大が繰り返された。
 米軍機は月8千回離着陸したという。福岡市によると、45年10月から72年1月の間、米軍機の墜落・炎上は34件、不時着や燃料補助タンク落下なども含めると事故は計114件にのぼり、計20人が死亡した。

     福岡市内の米軍機墜落現場

 私たちが若い頃この事故をきっかけにして、その翌年から九州各県の労組青年部による「6.1闘争」が始まり80年代前半まで続く。
 約1万人もの青年労働者が結集して、集会とデモ行進を延々と続けたものだった。佐世保を筆頭に長崎県内からはバス数台で参加したものだ。

 ところで最近、米軍機の「緊急着陸」という事態が相次いでいる。NHKが「不時着」を「緊急着陸」と報道しているのは不正確だ。
 昨年から今年にかけて判明しているだけでも、15件もある。伊計島(2回、AH1ヘリ)、伊計島補助飛行場(2回、オスプレイ)久米島空港(1回、CH53Fヘリ)、大分空港(1回、オスプレイ)、嘉手納基地(4回、F35A、F15、F22)読谷村(1回、ヘリ)、熊本空港(1回、UH1ヘリ、AH1ヘリ)、奄美空港(2回、オスプレイ2機)、築城基地(1回、F35B)といった具合いだ。

       オスプレイ2機が奄美空港に緊急着陸
       (オスプレイ2機が奄美空港に「緊急着陸」)

 専門家は、米国防費削減による整備不足や対北朝鮮対応によるパイロットの疲労などが原因だと指摘している。
 しかし私は、1980年代に第二次朝鮮戦争を想定して、米空母などの大型艦が函館から鹿児島まで全国各地に入港し、戦闘機があえて民間空港に「緊急着陸」を繰り返したことを覚えている。
 まもなく(今月12日頃)米朝首脳会談が開かれる予定だが、〝最悪の事態〟に備えた米軍の「訓練」と思われるのだ。果たして私の考えすぎだろうか?
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「エンプラ事件から半世紀」に思う

  今年に入ってから、「エンプラ闘争50年」に関して私や「19日佐世保市民の会」関係者などへの取材が続いた。
 世界初の米原子力空母「エンタープライズ」が佐世保に入港したのは1968年1月19日。「パリ五月革命」など国際的なベトナム反戦運動が高揚していた時期。日本でも、「羽田闘争」など全国で100を超える大学紛争が起こっていた。
 当時の「エンプラ闘争」については、3年前のブログ(12月7日)に書いておいた。

    IMG_20180119_112139.jpg

 延べ十万人を超える闘争参加者やメディアでも大きく取り上げられた闘いは前後に例をみない。あれほどの闘いから半世紀が経ち、当時を記憶する人々も稀になった。
 メディアでも、長崎新聞の連載記事(4回)を除いて大きなニュース・記事にはならなかった。「市民の会」や地区労などの講演会でも、若い参加者たちは当時の映像に興味を示さず居眠りする有様だった。

 「エンタープライズ」は6年前に前線任務から外されて、原子炉の抜き取り・解体作業を経て、昨年2月に「除籍」された。
 米議会では、「テロとの戦い」に大型空母は不要との議論もあるが、米政府は「技術者の確保と造船所の維持のために空母建造が必要」だと弁明している。
(※空母の建造はニューポート・ニューズ造船所。原潜の建造はジェネラル・ダイナミクス・エレクトリック・ボート) 

     佐世保に入港する「ワスプ」
     (佐世保に入港する強襲揚陸艦「ワスプ」)

 ところで、佐世保の米軍や自衛隊の現況を簡単にふれておきたい。
今月14日、佐世保に配備されていた強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」が交代した。新艦は「ワスプ」である。
 同艦は、甲板を拡大・強化して戦闘機F35Bを運用できるようにしたほか、LCAC(水陸両用艇)やオスプレイも運用できる。
 佐世保には現在、強襲揚陸艦1隻・ドック型輸送揚陸艦1隻・ドック型揚陸艦2隻・掃海艦4隻である。
 ステルス・ミサイル駆逐艦(ズムワルト級)や沿海域戦闘艦配備の情報もあったが定かではない。

 自衛隊では、話題の「水陸機動団」が3月末に発足する。規模は約2100人で司令部のほか2個の水陸機動連隊を置く。
 日米両政府は、在沖海兵隊の一部がグアムに移転した後に三つ目の連隊(約600人)をキャンプ・ハンセンに配置する基本方針を確認しているという。(朝日新聞17年10月31日付)

     崎辺
     (工事が進む崎辺の水陸両用車配備地)

 先日、元TV記者や大学教授と共に水陸両用車の配備予定地(崎辺)を視察に行った。
 計画では隊舎や訓練施設・体育館などが建設されて、来月末に完了するはずの工事が半年も延びているとのこと。主な原因は、元々埋め立て地だったことから建設地盤に大量の海水が浸透していること。さらにダンプなど大型車の頻繁な往来に難色を示す周辺住民の説明会に時間をとられたと、工事現場の責任者は語っていた。

 いずれにしても防衛省は、冷戦時代の「対ソ戦略」から一転して、外洋展開著しい中国への米対抗戦略に沿う形で佐世保や沖縄・南西諸島への自衛隊配備を進めている。
 明日から始まる通常国会で野党はこうした軍備増強に対して徹底した論戦を展開してほしいと思う。
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『軍転法』を反基地運動に活用しよう

  今月、佐世保で前田哲男(軍事評論家)さんと食事した折、反基地運動を進める上で『軍転法』をもっと活用したらどうか、と提言された。
  なるほど、佐世保では今、前畑弾薬庫の針尾への移転・集約後の跡地利用について市議会で検討が進んでいるのでよい機会だと思う。

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    (前畑弾薬庫のメインゲート)

  だけど、『軍転法』を知っている人はほとんどいない。私自身も『軍転法』制定30周年の記念式典(佐世保市主催。1980年)に出席して以来、関心は薄らいでいた。
  『軍転法』とは、正式に『旧軍港市転換法』と称し、旧憲法下で軍港を有していた「旧軍港四市」を平和産業港湾都市に転換することにより、平和日本実現の理想達成に寄与する事を目的として制定された法律(特別都市建設法)である。

  「旧軍港四市」とは、横須賀・呉・舞鶴・佐世保である。この法律案は1950年4月11日国会で可決後、憲法第95条による「特別法」として対象四市で住民投票が行われ、いずれも過半数の賛成で成立した。

    住民投票50年7賀津
    (『軍転法』への住民投票を呼びかける中田市長)

  佐世保では中田市長が市議会で「平和都市宣言」を行い、平和産業港湾都市、国際貿易港を目指すとした。(1950年1月)
  住民投票の結果は、投票率89.43%、賛成97.31%という驚異的結果で他都市を抜きん出ていた。(1950年6月4日)

  同年8月、同法は公布施行され、佐世保市は膨大な旧海軍の遺産を譲り受けることになった。貯水池、水道、学校、公園、工場、港湾施設、住宅、道路、グラウンド……など多方面にわたっている。
  しかし、皮肉なことに同年6月に「朝鮮戦争」が始まり、平和産業港湾都市、国際貿易港を目指すという市の基本方針は転換を余儀なくされた。(「佐世保の歴史」市政百周年記念より)
    朝鮮戦争・仁川上陸作戦
    (朝鮮戦争・仁川上陸する米軍)

  現在、佐世保市は米軍・前畑弾薬庫の針尾への移転・返還を受けて、跡地利用に関する「有識者会議」を設けて検討を進めている。そのメンバーは産業・学識・建築・造園・住民・公募市民(2人)というもので、長年基地問題に取り組んできた人は皆無だ。
 この調子では、明治以来手つかずの弾薬庫の豊かな森は、企業立地などで荒らされかねない。
 
  まず、市民に『軍転法』のことを知ってもらい、住民本位の跡地利用とすべく新たな運動を起こしていかなければ、と思う。

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在日米軍基地の検証をすべきだ

 日米安保や安保法制についての議論はあるけど、「在日米軍基地」の全体像についての記事などはさっぱり見かけなくなって久しい。

 80年代までは航空・軍事評論家の故・青木日出雄氏などが盛んに書いており、在日米軍基地はもとより世界各地の米軍基地については実に精緻な著作があった。軍事アナリストの小川和久氏や元朝日新聞の軍事専門家・田岡俊次氏は「青木門下生」と言われる。

 ところが、朝日新聞(1/14付)が「米軍基地はいま」という二人の評論記事を載せていた。少し紹介してみると・・・

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     (リチャード・サミュエルズ氏)

――リチャード・サミュエルズ氏(米マサチューセッツ工科大学教授)。
 ・「吉田ドクトリン」の柱は、比較的少ない防衛予算で、安全保障は米国に依存し、経済的繁栄をめざすこと。米国の安全保障に「安乗り」することだった。
 ・米国にとっても「二重の封じ込め」の道具だった。共産主義を封じ込め、日本をソ連に支配されない地政学上の要にすると同時に、米軍基地は日本を再び軍事大国にしない「ビンのフタ」でもあった。
 ・冷戦が終わって約30年。社会党が自民党との連立政権に入って、基地反対の動きは全国的には下火になっている。
  いまは中国が軍事力、経済力をつけて台頭しており、尖閣諸島などがきっかけとなり、米国が「日本と中国の戦争に巻き込まれる」ことを警戒するようになっている。
 ・アジアの国際環境の劇的な変化を踏まえれば、「吉田ドクトリン」に代わる国家戦略について、国民的な議論を深めるべきだった。
  東日本大震災では日米が初めて共同作戦を実行した。しかし、自衛隊と在日米軍の配置や役割、指揮命令系統の再編など、めざましい変化をもたらしていない。

     佐道氏
     (佐道明広氏)

――佐道明広氏(中京大学教授)。
 ・外国の軍隊が自国の中に居続けるのは、占領期を除けば例外的なことだ。
 日米安保の本質は「基地と防衛の交換」で、「基地を提供する代わりに日本を守ってください」という発想から始まっている。
 ・ドイツやイタリアでも米軍基地があるが、北大西洋条約機構(NATO)という枠組みで、「双務性」があり「基地と防衛の交換」ではない。
  日本は憲法9条の制約が大きいから、「基地と防衛の交換」という方法が発明された。
 ・日本は国会で「国家安全保障問題調査会」のようなものを与野党がつくり、憲法もタブーにせず、きちんと議論すべきだ。NATO加盟国のアジア版のようになることも一つの選択肢だ。
 ・自衛隊の役割は何なのかも、根本的に考え直すべきだ。国防、災害救助の支援、国際協力という三つの役割をこなしていくには、組織的にも、予算的にもすでに限界にきている。
 ・海上保安庁をもっと拡充してはどうか。自衛隊との連携のあり方も検討すべきだ。
  中国の状況なども考えると、米軍の駐留は当面必要だ。だが、全部米軍の都合に合わせるのではなく、「我が国の防衛戦略はこうだ。だから基地の数や場所はこうしてくれ」と言える関係にしていくべきだ。
 ・明確な戦略をもって米国と議論していけば、沖縄の海兵隊撤退の可能性を含めて、基地のあり方を変えていくことはできるはずだ。

    17.1.14朝日・米軍基地の3
    (朝日新聞 1月14日付)

 お二人にはまことに失礼だが、リチャード氏は古すぎるし、佐道氏は甘すぎるというの
が、私の感想である。
 米軍基地を語っていただくには、前田哲男氏(軍事評論家)や我部政明氏(琉球大学教
授)、田岡俊次氏(元朝日新聞記者)などの論客がおられる。
 沖縄では、普天間基地の辺野古移設をめぐって激しい闘いが繰り広げられている。
 沖縄の海兵隊は果たして日本の防衛に関わっているのか、在日米軍基地はどの程度役に立っているのか、根本的に検証すべき時期にきていると思う。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)