柄谷行人氏のマルクス評

 毎週土曜日の朝日新聞「書籍紹介・解説」が面白い。
 きょう(6月9日)の紙面に、柄谷行人氏のカール・マルクス評が載っており興味深かった。

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 私が哲学者である柄谷氏を知ったのは、彼の著作『世界共和国へ』(岩波新書)であった。
新憲法制定にあたり、「非武装で国・国民が守れるか?」との問いに対して、高柳賢三・貴族院議員(大学教授)は「世界国家が成立すれば、各国は第九条の想定する非武装国家となる」と応えている。
 以来、私は第九条の根拠(担保)は「世界連邦」であると認識している。このことを詳しく論述しているのが柄谷氏であった。

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朝日新聞の柄谷氏のマルクス評の要点はこうだ。
――マルクス主義は唯物史観(史的唯物論)だということになっているが、この考えは20世紀の末にはほとんど消滅してしまった。
 資本主義経済という現実を見るのに、マルクスの『資本論』が不可欠である。
――私はマルクスを今も読んでいる。その理由は、宇野弘蔵の影響を受けたことにある。宇野は、唯物史観も社会主義もイデオロギーであるが、『資本論』は科学である、という。

――戦後から60年代半ばまで、東大の法学部・経済学部では、宇野ないし宇野派の教授による『資本論』の解読が必須科目で、日本の国家・資本の中枢に向かった人たちの多くが精読した。

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――マルクスの経済学というと労働価値説で、マルクスはアダム・スミスやリカード派の見解を受け継いでいることは確かであるが、『資本論』は何よりも、「国民経済学批判」なのだ。
 私が学生時代に震撼させられたマルクスの著作『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は、唯物史観などで説明できるものではない。その透徹した分析は、今もって示唆的である。

――私は、基本的に宇野弘蔵の考え方であったが、20世紀の末に考えが変わった。『資本論』は商品の交換から出発して、全体系に及ぶ。私はそれと同様に、ただし、別のタイプの交換から出発して、共同体、国家、宗教、社会主義などを科学的に把握できると考えるようになった。

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 柄谷氏の著作は、『世界共和国へ』と同様実に難解だ。
 カール・マルクス……久しぶりに聞く名前だ。今年、生誕200年である。今の学生も、レーニンは知らないがマルクスは知っているようだ。
 『資本論』は、私が佐世保地区労に入局した折、記念にと事務局長からいただいた。解説書は読んだことがあるが、書棚に半世紀間並べたままだ。宇野弘蔵の著作は処分してしまった。
 『レーニン全集』は、入局後、給料の2倍以上もする価格(5万数千円)なのに買って、ダンボール箱に入れて押入れの中で寝ている。図書館や大学、古本屋も受け取ってくれないのだ。学生運動がない時代なんて想像だにしなかった。
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九州大にファントム戦闘機墜落から50年に思う

 「エンプラ闘争」があった1968年の6月2日、九州大学箱崎キャンパス(福岡市東区)に米軍機ファントムが墜落してから50年になる。私が佐世保地区労に入局した翌日の出来事だ。

     九大にファントム墜落
     
 朝日新聞の記事(今年6月2日付)から引用すると、
 ――同事故では、板付基地に向かっていたファントムが建設中の大型計算機センターに衝突、炎上した。操縦士は脱出し、けが人はなかった。
 当時はベトナム戦争の最中で、九大総長が先頭に立って街頭デモに繰り出すなど、基地撤去を求める声が大きく広がった。現場は学生らがバリケードで取り囲み、反戦・反基地運動の象徴になった。

 ――敷地の大半が返還され、72年4月に「福岡空港」となった。
 だが、約353ヘクタールの敷地のうち滑走路や誘導路など48.5ヘクタールが今も日米地位協定に基づく日米共用の「米軍一時使用区域」で、ほかに「米軍専用区域」が2.3ヘクタールある。

――板付基地のルーツは旧陸軍が45年に完成させた「席田飛行場」。戦後、米軍が接収し、拡大が繰り返された。
 米軍機は月8千回離着陸したという。福岡市によると、45年10月から72年1月の間、米軍機の墜落・炎上は34件、不時着や燃料補助タンク落下なども含めると事故は計114件にのぼり、計20人が死亡した。

     福岡市内の米軍機墜落現場

 私たちが若い頃この事故をきっかけにして、その翌年から九州各県の労組青年部による「6.1闘争」が始まり80年代前半まで続く。
 約1万人もの青年労働者が結集して、集会とデモ行進を延々と続けたものだった。佐世保を筆頭に長崎県内からはバス数台で参加したものだ。

 ところで最近、米軍機の「緊急着陸」という事態が相次いでいる。NHKが「不時着」を「緊急着陸」と報道しているのは不正確だ。
 昨年から今年にかけて判明しているだけでも、15件もある。伊計島(2回、AH1ヘリ)、伊計島補助飛行場(2回、オスプレイ)久米島空港(1回、CH53Fヘリ)、大分空港(1回、オスプレイ)、嘉手納基地(4回、F35A、F15、F22)読谷村(1回、ヘリ)、熊本空港(1回、UH1ヘリ、AH1ヘリ)、奄美空港(2回、オスプレイ2機)、築城基地(1回、F35B)といった具合いだ。

       オスプレイ2機が奄美空港に緊急着陸
       (オスプレイ2機が奄美空港に「緊急着陸」)

 専門家は、米国防費削減による整備不足や対北朝鮮対応によるパイロットの疲労などが原因だと指摘している。
 しかし私は、1980年代に第二次朝鮮戦争を想定して、米空母などの大型艦が函館から鹿児島まで全国各地に入港し、戦闘機があえて民間空港に「緊急着陸」を繰り返したことを覚えている。
 まもなく(今月12日頃)米朝首脳会談が開かれる予定だが、〝最悪の事態〟に備えた米軍の「訓練」と思われるのだ。果たして私の考えすぎだろうか?

「諫早干拓開門訴訟」決裂して判決へーーめざせ有明海再生

  昨年4月の当ブログに「潮受け堤防」設置より20年と題して諫早干拓問題を書いておいた。(環境問題ジャンル。4月14日付)

 それから1年経過。開門を巡る訴訟で和解協議は不調に終わり、開門反対派の漁業者を置き去りにして、7月30日、福岡高裁は判決を下す予定だ。
 振り返ると、2010年、福岡高裁が国に開門を命じる判決を下し、民主党政権が上告せず確定した。

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 その後、干拓地の営農者が起こした「開門差し止め訴訟」で、13年、長崎地裁は開門を禁じる仮処分を決定した。
 国は、14年、確定判決の執行を強制しないよう求めて佐賀地裁に提訴するが、同年、敗訴した。
 国は、開門による漁業被害を認めず開門しない前提の「基金案」を打ち出して、有明海漁協(佐賀県)を説得した。

 福岡高裁は3月、国の意向に沿った基金による和解案を示し、協議が決裂した場合は漁業者に不利な判決になるとまで示唆したのだった。
今年2月、有明海漁協は方針転換し、今月1日、福岡・熊本の団体と連名で「高裁が示した和解の実現を強く期待します」との統一見解を発表した。

       有明海

 反対派漁業者側は「非開門を譲らない国の姿勢にくみし、その和解案だけを裁判所が後押しした」と反発して、和解協議を欠席した。
 和解協議の場では、「有明海再生のあり方」などについての意見調整こそ必要であったはずだ。最初から漁業者側をテーブルにつかせないようなやり方は大いに疑問である。
漁業被害の原因となった潮受け堤防を強制執行した長崎県にも大きな責任がある。

       アゲマキ

 こうした悲観的状況の中でも、干潟の再生に取り組む人々がいる。先日、佐賀新聞に「アゲマキの養殖成功」との記事が写真付きで載っていた。有明海を〝死の海〟にしない再生への道を関係者は模索すべきではないか。

福島原発事故から7年~再稼働を止めて「脱原発」社会の構想描け

 人類史にその惨禍が刻まれた福島原発事故から7年が過ぎた。
 政府は、今夏に閣議決定するエネルギー基本計画で、2030年度に30基前後の運転を目指す予定だが、果たして現実的だろうか。

     18.5.13朝日・エネ計画原案、原発30基必要
     (朝日新聞5/13付)

 大手電力会社は徐々に原発の採算性にシビアになっているようだ。福島事故で安全規制が抜本強化され、世界で常識だった過酷事故対策が日本でも義務付けられた。
 再稼働や運転延長には巨額の安全対策費がかかり、しかも司法や住民の厳しい目にさらされる。再稼働にこぎつけた9基のうちの5基は、運転差し止めの判決や仮処分命令を受けた。

     再稼働した原発と審査の状況18.5.13
     (朝日新聞5/13付)

 原子力規制委員会の審査では、すでに7原発の14基が新規制基準に適合するとされた。
 しかし、同規制委では、同じ敷地内の複数の原子炉で同時に事故が起きることは想定しているが、近隣の複数の原発でも並行して事故が発生する事態は審査の対象外だ。
 実際、福井県の若狭湾沿いでは関西電力の3原発11基を中心に、14基もの原発が林立する。「もんじゅ」など6基の廃炉が決まったが、高浜1~4号機と大飯3、4号機、美浜3号機の計7基が適合とされた。

 そもそも米国では、原発の立地指針で、相互に影響する複数の原発については放射性物質の想定排出量を合算して評価するのを原則とする。
 日本は災害大国であるにもかかわらずこうした規定がなく、狭い地域に多くの原発を集中させてしまった。(この日本列島に原発を押し付けた米国自体が問題なのだが)

       再稼働を巡る主な出来事18.5.13朝日
       (朝日新聞5/13付)

 ちなみに、一つの重大事故の背後には29件の軽微な事故と300件の異常がある、という「ハインリッヒの法則」があると朝日新聞の社説「余滴」が紹介されていた。(5月4日付)
 実際、再稼働後、川内1号機(九電)では2次冷却系に海水が混入し、その後、細管5本に穴が見つかった。(15年8月)高浜4号機(関電)では変圧器周辺の設定ミスで緊急停止した。(16年2月)玄海3号機(九電)では、蒸気漏れトラブルがあった。(今年3月)

 福島原発事故を巡る裁判(東京地裁)で、国の専門機関による地震予測「長期評価」をまとめる責任者だった島崎邦彦・東大名誉教授は証人として出廷し、東電が長期評価に沿って対策を取っていれば、「原発事故は防げた」とする認識を明らかにした。
 福島事故の検証・教訓は不明確、原発地域の複数事故の審査もなく、周辺住民の避難訓練も不十分、こんな状態下の再稼働自体を止めて「原発に依存しない」エネルギー基本計画を作り直すことがよほど有益だと思う。

「水陸機動団」発足~進む日米軍事一体化

  先月下旬、佐世保・相浦駐屯地で行われた「水陸機動団」の公開演習を見に行った。
 〝日本版海兵隊〟と称される同機動団は3月27日に発足し(約2100人)、4月27日に発足式典が行われた。

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 相浦駐屯地に機動団本部と2個・水陸機動連隊を、崎辺地区に水陸両用車(AAV7)を運用する戦闘上陸大隊を置き、陸上総隊が防衛相直轄で運用する。
 但し、崎辺地区の分屯地建設工事は約半年遅れており、部隊との一体運用を図る輸送機オスプレイの佐賀空港配備も、漁協など地元の反対で先行き不透明だ。

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     (ヘリ護衛艦「いずも」)

 ところで政府は今年末までに、「防衛計画の大綱」を抜本的に見直す方針だ。防衛相直轄で宇宙・サイバー空間や電子戦に対処する統合司令部を新設するとしている。
 弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」導入など「統合防空ミサイル防衛(IAMD)」新構想を盛り込む。
 さらに、ヘリ護衛艦「いずも」をF35Bを搭載できる空母化や、敵基地攻撃を念頭においた長距離巡航ミサイルの導入も検討している。
 これらはいずれも、これまでの「専守防衛」に基づく「性能上もっぱら相手国の国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる攻撃的兵器」の保有禁止を踏み破るものだ。

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     (リムパック)

 他国との合同演習・訓練も、豪・英・印などに拡大している。
 80年代、海自がリムパック(環太平洋多国間演習)に参加するにあたって、あくまでも「米軍との演習」だと言い訳していたのに比べて驚くべき変化である。
 とくに、豪州を「準同盟国」と位置付けて日米豪による「インド太平洋戦略」を推進している。

     SSM部隊の南西諸島への配備計画

 政府の「中期防」(14~18年度)では南西諸島の部隊の態勢強化が盛り込まれ、陸自の編成計画では18年度以降、宮古島・石垣島・奄美大島に地対艦誘導(SSM)部隊を配備し、あわせて地対空誘導弾(SAM)部隊を配置することが決まっている。
 さらに、沖縄本島にもSSM部隊を配備する計画を検討中だ。

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      (地対艦誘導弾)

 こうした自衛隊の〝飛躍〟にとどまらず、「文民統制」を揺るがす事案も発生している。先月16日、ジョギング中の3等空佐が民進党だった小西洋之参院議員と遭遇し、「国民の敵」呼ばわりした。
 防衛省は3佐について、懲戒処分ではなく訓戒にとどめた。しかも、小野寺五典防衛相は「(3佐の)若い隊員なので様々な思いもある」とかばっている。
 戦前、国策に非協力的と見なされた者が「非国民」「国賊」と指弾されたことを連想させる出来事だ。シビリアンコントロールの危機と言うほかない。
 陸自の南スーダンやイラク日報の隠ぺいなども含めて、防衛省・自衛隊の全面的な検証と組織改革がぜひ必要であると思う。
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今川正美のブログへようこそ!

生年月日 1947年8月7日
住  所 長崎県佐世保市
学  歴 佐世保北高等学校
     卒業(66年)
     佐賀大学農学部農
     学科中退(68年)
職  歴 佐世保地区労書記
       (68年)
     佐世保地区労事務
     局長(94年)
政 治 歴 衆議院議員
     (2000年・1期
      社会民主党)